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2023年02月18日

【なぜ追求は6人が一番いいのか?】現代的な感覚から読み解く

(画像はこちらからお借りしました)

 

前回の記事では、歴史的な集団形態に照らし合わせて「仲間追求の最適人数は5~6人程度では!?」とお伝えしました。

果たしてそれは昔の人たちだけの感覚だったのでしょうか?


現代の様々な場面から読み解いていきます。

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2023年02月06日

【縄文~弥生時代においての婚姻制度の役割とは?(2)】妻問婚が男たちの活力を生み、集団を強固にさせる循環関係を作っていた

前回、弥生時代から古墳時代にかけて始まった妻問婚によって集団同士の関係を作ってきたことを扱いましたが、今回はもう少し掘り下げ、なぜ男が嫁いでいったのか?女性はどんな意識だったのかを考えていきたいと思います。

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当時の男の役割を考えると、大事なのは集団に変異促進をもたらす役割であり、外へ飛び出していくことで未知の外圧に適応していくことが男にとっての役割です。
男女の役割から見ていくと、男が他集団に嫁いでいったのも、外に出ることで成長していき集団を強くしていくことは本能的に理にかなっているといえますね。

 

では女の役割とは何でしょうか。
第一義的には安定存在として、子供を育て、集団を守ることではないかと思います。母系集団として女性が族長の役割を担っていることで、集団内の課題を察知し、女性同士でも、お互いが協力、情報共有をすることで集団を守っていったのかもしれません。

 

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2023年02月06日

【縄文~弥生時代においての婚姻制度の役割とは?(1)】婚姻制度による関係構築が集団統合のカギへ

〇集団統合と妻問い婚

日本の婚姻制度は縄文時代から弥生時代にかけて群婚が一般的であり、古墳時代に入り、集団の規模が大きくなっていくにつれ、婚姻形式も「妻問婚」(男が女の所へ嫁ぐ)形式へ変化していき、集団の形態も「族長」が時には族長同士が集まり会合を開きながら集団をまとめていました。

族長たちが行っていたことの一つに、男たちを導き、他集団の女性のもとへ通わせていたそうです。なぜ、族長たちはそんな事を行っていたのでしょうか。また、集団統合において妻問婚はどのような役割を果たしていたのでしょうか?

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2023年01月29日

【なぜ追求は6人が一番いいのか?】人類の集団適正人数からの推定

 

仲間集団での追求(=仲間追求)が上手くいく構造を色んな角度から明らかにしようという試みです。

なかでも今回は、仲間追求の適正人数について、とことん掘り下げてみたいと思います!

 

突然ですがみなさん、人類の一集団の適正人数(人数限界)って何人だと思いますか?

学校のクラスは30人くらいだな~とか、

親戚一同だったら20人くらいかな~とか、

そんな感覚が何となくあると思いますが、その直観、意外と的を射ています!

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2023年01月28日

【縄文人の特性】同類圧力が追求力のカギを握っている!

※画像はこちらからお借りしました

 

人口が増大し、集団が密集した縄文中期には、火焔式土器のような道具が進歩したり、翡翠を贈りあう贈与文化が興隆したり、環状列石のような天文的知見が見られたり、クナド(交叉)婚のような人材システムが編み出されたりと、観念が大きく進化しました。

縄文人の著しい観念進化とその背景

なぜ族内婚から族外婚へ移行したのか

 

このことから分かるのは、人類の観念進化は、同類圧力の高さがカギを握っているということ!

これは、戦争が科学技術を発達させたことや、市場競争が製品の機能やサービスの質を向上させることなどからも言えます。(いい・悪いは別にして)

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2023年01月23日

縄文時代 人口増加は人々が火山の近くに集まったから?!

 

縄文中期の人口は約26万人と前期の約2.5倍に増えました。気温が現在よりも2~3度高い程度まで温暖化したのが大きな要因の一つで、中期の気温は前期後半から上昇し始めたピークにあたります(後期は寒冷化していく)。
人口が大きく増加したのは東北地方や関東・中部地方で、近畿・中国・四国地方はまだ相対的に寒冷であったためか、ほとんど変化はありません。参考

 

しかし、草期2万人→前期11万人→中期26万人と、大幅に人口が増加した要因は、温暖化だけではないようです。他の要因の一つとして注目したいのは、火山の噴火との連動性。
どうやら縄文人は火山の近くに集まり、集団同士が集結し、火焔土器に象徴されるような新たな文化も生まれ、観念機能を進化させてきたようなのです。

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2023年01月23日

縄文時代 約14000年間の概観~縄文前期から中期

画像はこちらからお借りしました

縄文時代 約14,000年間の概観~縄文草創期から早期まで

に続き、縄文時代の前期~中期~後期~晩期を概観します。

縄文前期はBC5000年から、晩期はBC500年頃までとなり、縄文草創期BC15,000年から数えると既に10000年=2/3が経過しています。この縄文前期~中期は最も典型的な縄文文化が華開いた時代です。複数の集団が一つの村落を形成した時代でもあり、その後の日本の歴史や文化、精神風土の基礎となっていると思われますし、集団と集団をどのように統合するか≒社会の原型がつくられた時代ともいえます。故にこの時代の考察は非常に重要な意味をもっています。

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2023年01月16日

【原始日本の共同体性8】日本人の(男の)体質とは?日本人はどう闘っていくべきか?

世界中で見ても最も長く続いたと思われる日本における原始時代の族内婚や族外婚(集団婚)は、日本人のどのような体質をつくりあげたのか?

今回は、前回の「女」に続いて「男」の視点で考えてみたいと思います。

【族内婚】

>群は必然に孤立的で、洞窟や竪穴式・平地式住居に住み、共食共婚であったろうと思う。つまり同じ火をかこみ同じ性を分け合っていたのであろう。だから共食共婚こそ同族の特権であり、連帯性の基礎であるとされたのであろう。

【族外婚】

>族外婚の典型としては、近い頃までオーストラリアに見られたという俗があり、それによると、A群の 全男子はB群の全女子と夫婦、B群の全男子はA群の全女子と夫婦という形態のものらしい。

高群逸枝の「日本婚姻史」より

 


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2023年01月16日

【原始日本の共同体性7】縄文族外婚における集団内の暮らし、男女の役割

写真はコチラからお借りしました。

 

【原始日本の共同体性6】なぜ族内婚から族外婚へ移行したのか。集団間を統合するための婚姻?② では、族外婚の形態について扱いました。

決められた部族の男女同士での集団婚の形式をとる海外の族外婚様式と比較して、日本縄文時代では複数の群で構成された集落内であれば、相手がどこの群かの区別なしに皆が共婚し合うという特徴がありました。(この集団婚は、部族連合としての集団単位が形成された大和時代以降に生み出され始めた妻問形態の個別婚まで続いていたとされています。)

 

日本ではなぜ、オーストラリアや中国と違い、群分け隔てなく集団内で交じりあったのでしょうか。また、ここでの男女それぞれの意識はどのようなものであったのでしょうか。

今回はこの時代の集団の住まい方、そして男女それぞれの役割意識という点から掘り下げてみたいと思います。

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2023年01月07日

【縄文人の特性】自然との共生がもたらした縄文人の融合力

前回の記事では、縄文人が、火山のそばを生活の拠点としてきたことを扱いました。今回は、そのような自然の恵みや災害と隣り合わせの環境がもたらした、縄文人の力・特性とは何かを見ていきたいと思います。

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