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2023年01月23日

縄文時代 人口増加は人々が火山の近くに集まったから?!

 

縄文中期の人口は約26万人と前期の約2.5倍に増えました。気温が現在よりも2~3度高い程度まで温暖化したのが大きな要因の一つで、中期の気温は前期後半から上昇し始めたピークにあたります(後期は寒冷化していく)。
人口が大きく増加したのは東北地方や関東・中部地方で、近畿・中国・四国地方はまだ相対的に寒冷であったためか、ほとんど変化はありません。参考

 

しかし、草期2万人→前期11万人→中期26万人と、大幅に人口が増加した要因は、温暖化だけではないようです。他の要因の一つとして注目したいのは、火山の噴火との連動性。
どうやら縄文人は火山の近くに集まり、集団同士が集結し、火焔土器に象徴されるような新たな文化も生まれ、観念機能を進化させてきたようなのです。

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■なぜ火山の近くに集まったの?

暖かくなって生存率が高まると、集団人数は多くなり、生存に必要な土地など(生存圏)も拡大していきます。
生存圏確保や集団統合上の必要から、一定の人数規模に達したら集団は分割されていったと考えられますが、大幅な人口増の中では、食糧=豊かな土地を求めて、ある集団の生存圏とある集団の生存圏がぶつかり合っていくことになります。
生存圏を確保するために必要なのは、集団規模。より多くの人数を要した集団が、より広い生存圏を確保していくことになります。(人数がより多い方が、集団の闘争性は高くなる。)

 

より多くの人数が集まって暮らしていくためには、より広い土地が必要です。しかし、国土のおよそ3分の2が森林、さらには標高の高い山々が連なっている日本では、平らな大地は貴重です。
そのような中で、縄文中期、東北地方や関東・中部地方に広大な平地が登場しました。それは、噴火によって大量の土砂を地表にもたらす火山によるものです。(東北地方:十和田火山噴火、関東・中部地方:富士山等噴火)

 

溶岩で覆われた場所は、植物や土壌がまったくない裸地になりますが、裸地にコケ類などが侵入し、保水力や養分を含んだ薄い土壌が出来上がると、それから約5年で草原に、20年後には、ススキなどの多年生植物が、20~200年後は低木林の森林へと変わっていきます。

 

そして、火山近くの土地はとても豊かです。例えば、
・土 …噴火により積もった火山灰土は、ミネラルが豊富で栽培に最適。
・湧水 …隙間の多い火山体内部には多くの水が蓄えられ、山麓では湧水に。
・金属資源・火山噴出物…広く流通していたことで知られる黒曜石に代表されるような溶岩や火砕物といった火山噴出物、金・銀・銅・亜鉛・スズなどの金属資源も。
・その他…地熱や温泉など
(現代でも、生活用はもちろん、農業や工業などの生産活動にも活用されていますよね。)
など。

 

このように、火山噴火によって生まれた広く豊かな土地が、より多くの集団の集結とその生存を可能にさせたと考えられます。

 

■火山噴火によって生まれた広く豊かな土地にある集落

実際、縄文時代前期~中期の1,500年間もの間、最大で500人規模の定住生活が営まれていたと考えられている青森県三内丸山遺跡も、そのような場所です。

 

三内丸山遺跡は八甲田山(18の山々からなる複数火山の総称)のすぐ西の麓にあります。遺跡の規模は全体で約42ヘクタール(東京ドーム約9個分くらい)。
三内丸山遺跡から出土したいちばん古い円筒土器の年代から、円筒土器文化が巨大噴火の直後に形成されたことが明らかになっています。一方で、遺跡から噴火による災害の痕跡は認められず、噴火直前まで人が生活していたのかは分かっていません。

 

また、植生では、八甲田山噴火の後にブナ・ミズナラ等広葉落葉樹主体の森林から、クリ属やウルシ属主体へと変化しています。なお、集落を作るときにクリやクルミを残してそれ以外の樹木は伐採し、大部分をクリ林に植え替えていたそう。その他、マメ類やヒョウタンなども栽培されていたそうで、このようにして500人規模の食糧を支えていたようです。
(ちなみに、イモ類や山菜も食べていたし、ムササビやノウサギなどの小動物、魚類ではマダイ・ブリ・サバ・ヒラメ・ニシン・サメ類、フグも食べられていたそうですよ。)参考

 

また、埼玉県にあるデーノタメ遺跡群も同様です。デーノタメ遺跡は縄文中期~後期に1500年続いた集落で、約3ヘクタールほどの規模です。近隣にある遺跡群も含めると関東最大規模といえる集落です。
一万年前ごろまで続いた富士山・箱根山などの噴火により堆積した火山灰土(関東ローム層)で、縄文時代に温暖化したのちに、森林が発達し、集落が出来たと考えられています。
地層の花粉を解析により、ハンノキを伐採してクルミに植え替え、人々の食料を確保していたということが分かっています。参考

 

また、新潟県にある信濃川流域の集落群も同様です。縄文時代中期の遺跡として400箇所以上も発見されており、日本有数の規模と密集度です。
火焔土器が多数見つかっている馬高遺跡などが有名ですが、この信濃川流域は、火山の噴火による土砂が河川により運ばれ堆積してできた平野で、そこに多くの集落が出来ました。参考

 

■火山は恵みをもたらす存在
現代では火山というと災害(マイナス)として捉える側面が強いですが、縄文人は自然の圧倒的な力に対する畏敬の念に加え、様々な恵みを私たちにもたらしてくれる存在として火山を捉えていたのでしょう。

 

火山噴火は、広く豊かな土地を生み出し、より多くの集団の集結とその生存を可能にしただけではありません。新たな文化、観念進化を生み出しています。
例えば、高度な技術により作成された土器、黒曜石やヒスイなどの出土物、環状集落や祭祀場などの集落形態から分かるのは、縄文時代にも集落間の交流があったこと、そして、豊作や生死などに対する祈りの儀式や祭りなどが行っていたこと。
このような技術や文化、祈りや祭り、そして集団統合の進化については、今後、記事にしていきたいと思います。

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