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2023年01月16日

【原始日本の共同体性7】縄文族外婚における集団内の暮らし、男女の役割

写真はコチラからお借りしました。

 

【原始日本の共同体性6】なぜ族内婚から族外婚へ移行したのか。集団間を統合するための婚姻?② では、族外婚の形態について扱いました。

決められた部族の男女同士での集団婚の形式をとる海外の族外婚様式と比較して、日本縄文時代では複数の群で構成された集落内であれば、相手がどこの群かの区別なしに皆が共婚し合うという特徴がありました。(この集団婚は、部族連合としての集団単位が形成された大和時代以降に生み出され始めた妻問形態の個別婚まで続いていたとされています。)

 

日本ではなぜ、オーストラリアや中国と違い、群分け隔てなく集団内で交じりあったのでしょうか。また、ここでの男女それぞれの意識はどのようなものであったのでしょうか。

今回はこの時代の集団の住まい方、そして男女それぞれの役割意識という点から掘り下げてみたいと思います。

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まず、この時代の群や集落の暮らし、もっと言えば各住居の住まい方はどうだったのでしょうか。

リンクによれば、

>この中(竪穴住居)で縄文人は「家族」という単位ではなく、「女の家」「男の家」「若者の家」と別れて暮らしていたとされています。

・「女の家」 :村の世話、子育てを役割として、子育ては“女たち”で行っていた。土器づくり。
・「男の家」 :狩猟。武器づくりを主の役割として、男たちで闘争圧力を高めていた。若者の世話も。
・「若者の家」:生きる力を鍛えるため、特訓の繰り返し。男の家に習いにいく。

縄文時代は社会的な分業(全員で同じことではなく、役割分担をしていた)をもって生きていたと言われています。それぞれの単位で暮らしながら学びあう、そんな生活を送っていました。それが集団を強くする竪穴住居の住み方です。

現代での男女子どもの単位で作られる家族と異なり、縄文時代では相手に対する私有意識や恋愛感情等で形成される家族単位は無く、あくまでも集団としての役割分担で暮らしているという可能性が示唆されています。

 

では上記の男女での分業を成り立たせていたそれぞれの役割意識はどういうものだったのでしょうか。

そもそもまだ私有意識が無い時代において、男女ともに持っていたと考えられるのが、前回の記事(【日本人の特性】自然との共生がもたらした縄文人の融合力)にもあった、自然含めて全ての外部存在をありのまま受け入れる体質です。

 

この視点だけでも縄文集落の集団婚のイメージに繋がりやすいと思いますが、女性側の視点ではどうでしょうか。

高群逸枝の日本婚姻史では、猿田彦神話で踊取式舞踊の祖神であるウズメ式巫女の例を引き合いに、女性が男性を踊りで誘惑する(雄取り)の視点が挙げられています。

>原始部落の女性たちは胸乳を現し、ホトを露出したウズメ式の身振りの尻振り踊りによって他部落の男性を誘惑し、これを「雄取」って子ダネを獲得し、同時に政治的、経済的な同盟をもかち取った。(本文p.24)

本来、生物としてのメスの役割には、種としての安定と変異における安定を司る役割が中心にあります。

そして集落の女性にとっては、変異存在である男性を外の集落から迎え入れる(交じり合う)ことによって、集団の安定基盤を更に高めていったのではないでしょうか。

では男側の視点としてはどうだったのか、次回に続きます。

 

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