2023年02月06日
【縄文~弥生時代においての婚姻制度の役割とは?(1)】婚姻制度による関係構築が集団統合のカギへ
〇集団統合と妻問い婚
日本の婚姻制度は縄文時代から弥生時代にかけて群婚が一般的であり、古墳時代に入り、集団の規模が大きくなっていくにつれ、婚姻形式も「妻問婚」(男が女の所へ嫁ぐ)形式へ変化していき、集団の形態も「族長」が時には族長同士が集まり会合を開きながら集団をまとめていました。
族長たちが行っていたことの一つに、男たちを導き、他集団の女性のもとへ通わせていたそうです。なぜ、族長たちはそんな事を行っていたのでしょうか。また、集団統合において妻問婚はどのような役割を果たしていたのでしょうか?
妻問婚は、群婚段階を起点とする氏族共同体に照応して、群婚と併存しながら成長してきた個別婚的婚姻制である。それはいわゆる対偶婚で、この対偶婚の特徴は、身柄や生活の根拠が各自の氏族にあり、夫は妻方に通ったり(別居― ― ―妻問い) 、滞在したり(妻方同居― ― ―婿取り)するのであるが、その結合は弱く、離合が容易である点にある。つまり対偶婚の段階では、氏族が生活組織の単位であって、夫婦関係は、いわば恋愛関係である。ここでは夫妻関係は、 「家ゆすりて取りたる婿のこずなりぬる」 ( 『枕草子』 )というように、容易に「床去とこさり」 「夜離よがれ」ができるし、女の側でも男を「門から帰す」と、それで簡単に離婚が成立する事情にあった。
高群逸枝の「日本婚姻史」より
この当時の婚姻における男女関係はどちらかの力が特別強かったというわけではなく、お互い離婚も簡単に行え、一夜限りの関係もあったことが伺えます。そんな関係で大丈夫と思うかもしれませんが、この関係性の柔軟さが集団を統合していくために重要だったのです。
この時代、集団単位では祭祀場に集まることで、集団の統合感を形成していました。では他集団との結びつきはどのように行われていたのでしょうか?実は妻問婚という婚姻形式が関係しているのです。
妻問婚では族長の手配によって男たちは婿として別集団の女性と関係を作ることになります。
この時、他集団と関係を作るというのがポイントで、この時代徐々に高まっている集団間の同類圧力に対し、集団同士でも新たな繋がりを作り、変化を促進していくことも重要になるのです。
婚姻は、こうした集団の結びつきにおいて重要な役割を果たしており、婚姻関係を結ぶことで少しずつ集団同士の関係を深め、集団としての安定性を作っていったのではないでしょうか。
男たちも生涯その家にいるわけではなく、状況に応じて新たな関係づくりを行っていたことで、集団の変異(適応)スピードも早かったと想定できます。
そこで、次回は集団課題で統合されてきた中での男女の役割から妻問婚を考えていきたいと思います!
- posted by ito-k at : 2023年02月06日 | コメント (0件)| トラックバック (0)
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