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中山太郎の「日本婚姻史」から~共同婚~☆3☆貸妻って?

Posted By mori-ma On 2008年12月29日 @ 7:32 PM In E 8 日本 | 6 Comments

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こんばんは 今年も残りわずかとなりましたね。
昔の婚姻史に興味津々で読みすすめています
前回 [1]は、昔の大らかな婚姻制のご紹介といいながら、禁を破ると結構きつい制裁があるものもあり、「あんまり大らかじゃないね~」という感想をいただきました。
それについて、話し合ってみました。大らかじゃない(ように読み取れる)のは何で
つづきを読む前に、今日も応援をよろしくお願いします
[2] 

大らかな共同体といえども、昔はみんなで集団を守り生きていくのに精一杯 飢えや病気や天災や、努力だけではどうしようもないこともたくさんあったに違いありません。

そんな状態だからこそ、みんなの充足を破壊することには厳しかったのではないか(「村八分」という言葉もありますよね)。実際に規範を破るのは、ごくわずかだったと思われます。
もう一点は、この本が書かれたのが昭和の初めだということ。明治~大正という時代を経て、貨幣経済や私権観念が共同体にも侵入してきて、共同体を守ろうとする人々と、そこから抜け出して自分第一に生きたい人々とのせめぎあいがあり、その事例が数多く反映されているのではないかということです。

共同体が破壊されて個人がバラバラにされていく過渡期にあって、好き勝手が許されない共同体内での婚姻から、娘を有力者に嫁がせたり好きな相手と結婚したい、つまり婚姻も私権獲得の一手段と変容していった時期にちょうど当たります。そう考えると、厳しい制裁があったのも頷けます
ではでは、そんな時代背景も頭におきながら、引き続き事例をご紹介します

我国にも貸妻の習俗は各地に在った
阿波国澤谷村:かなりの山奥で十三戸しかない寒村であるが、宿屋がないので旅客は普通の民家に宿泊する。旅客を迎えた家では、その夜は娘(なければ妻)を同衾させる。もし旅客が娘に振られるようなことがあると、娘は『出戻りさんだ』と大声を発し、親や夫が出てきて夜中であろうとその旅客を追い出してしまう。一度『出戻りさん』の名を負わされると、その村では宿を得られない。
肥前天草島:他地方から旅客が来ると良家の子女が自らすすんで枕席に侍る。こうして多くの異性に接するほど、早く良縁が得られると信じていたためである。
肥前国富江村:殊の外に外来人を忌む風俗がある。それは昔から今(昭和二年の秋)に至るまで、外来人が『あの女を借りたい』と言うと、処女でも妻女でも貸さなければならぬ習慣があるためだと言われている。
他に、山陰の因幡・伯耆や越後国三面村等でも、貸妻が行なわれていた。それらは物質的な報酬を受けるのではなく、全くの好意に外ならぬのである。
「而してこれ等の貸妻の習俗は友愛を表するための手段であると説明されているが、更に一段と遡源して考えるとき、此の習俗の起源が女子共有の基調に出発していることを容易に看守し得られるのである。換言すれば如何に友情の極致を示すためとはいい、貸妻というが如き不倫のことを敢てして、それを社会が少しも怪しまなかったのは、女子共有の思想が背景をなしていたからである。反言すれば妻を貸す夫も、その妻を借りる男も、共に此の所業を不倫と考えず、否不倫どころか寧ろ当然のように心得て居り、社会もこれを黙認していたのは、元々、女子という者は個人が独占すべきものでなくして、男子の共有すべきものであるという思想が潜在しているためである。私は貸妻の起源は遠き女子共有の流れに出たものと信じている。」
娘の通経を村内へ披露する理由
遠州国曳馬村地方:女子に初めて月経が来ると、隣家では米二・三合を袋に入れて贈り、『初花が咲いてお目出とうございます』と祝詞を述べた。女子は月経の度に別に立ててある小屋に入ることとなっていた。
讃岐国小豆島:娘が十七歳になると村内の若い衆を招き、『娘も通経があるようになったから、何分ともよろしく頼む』と披露することになっていた。もし娘の家が貧しく披露の宴をひらけないときは、若衆が各自醵金して宴を張る定めであった。
八丈島:女子の初潮のときは『タビ祝い』として村内の若者が芋酒一升と里芋一籠を持ち寄って祝宴を開いた。娘が一人前の女―即ち妻となり母となる資格ができたことを村内に披露するのである。
「而して此の女子が通経を機会として、その事実のあったことを部落中へ披露―即ち若者の共有に提供することに就いては、種々なる方法と手段が存していたのである。他屋(月屋またはひま屋または汚れ屋などとも言う)と称する定められた家屋に別居することもその一つであるし、十三詣り(この事は後に述べる機会があろう)と称して神社仏閣へ参拝するのも又たその一つであった。」

『貸妻』 って、現代の感覚で捉えるとちょっと衝撃的な言葉ですが、性がみんなの充足であるから、客人にも充足でもてなそうということですね。これは場所はかなり離れますが、タヒチの女たちが、侵略者をも性的に歓待した大らかさに通じるところがあるように思います
また、性がみんなの充足であるからこそ、月経が来る=大人の女になったら、みんなに披露してお祝いをしてもらうというのも、ごく普通の感覚だったのでしょう。祝宴を開くお金がなければ、若衆がお金を持ち寄ってくれるほど、おめでたいことですもんね
では、さらに続きです。

村内の娘を女にしてやる若者の権利
阿波国山城谷村:未婚の娘と寡婦は、村中の若者の自由になると考えていたから、他の村の者が娘に通じようとすれば、まず村内の若者に酒を買い黙認を受けることになっていた。守らなければ石打または殴打されるのが普通であった。

磐城国草野村付近:娘が年頃になると村の若者が集って、旧正月十五日の夜に『誰々の家の娘は、まだ女になっていぬから、あれを女にしてやろう』といって、娘達を呼び出して女にする行事が近年まで存在していた。

下野国氏家町:五人の若者を我が家に引き入れた娘に親が怒り、娘を裸にして外に立たせ、通行人に向かってこれが浮気女のよい手本ですと懲罰の意で説明したことを若衆が知り、神聖なる淑女を侮辱する不法の父母なりとして押しかけて大論判をした事件があった。

梁田村(筆者の生まれた隣の村):明治二十五六年頃、寺の娘が若者数名に悪戯され、親である寺の住職が立腹して告訴すると息巻くのを、村内の故老が調停に立ち、言った。『昔は娘は若者持で身分の高下なく自由にして差支なかったのである。それに村の娘が他日嫁入りする際に不具者であるようなことがあれば、ただに親の恥辱ばかりでなく村の名折れになる。それ故に嫁入りする前に娘が不具でないか否かを試験するために若者はこれを自由にする権利が与えられていたのである。此の村の古い掟も知らずに告訴して表沙汰にするというのなら、住持は傘一本で追い出してしまう』こうしてその住職は屈服しなければならなくなり、そのまま結末を告げた。

「然しながら女子共有というような倫常を没却した事実は、然るべき物の本には一行といえども記載されず、且つこの事を知っている者でも秘したり隠したりするのが人情である。従って私の引用した文献が一部の『世の中の事は書物さえ読めば何でも判然する』と妄信している学者達に言わせると、如何にも俗書であり且つ片々たる雑誌であって、頗る価値の尠いもののように思うかも知れぬが、私は決してそう手軽に考えることができぬのである。否、私に言わせると一部の学者が言うような書物に載っていない資料であるが故に、却って価値が多いのであると断言して憚らぬのである。更に年代を異にするとか地域を別にするとかいうことは、土俗の普遍性と永遠性とを会得すればかくあるこそ当然であって、これが為に価値を減ずるようなことは絶対にあり得ぬことと信じている。此の点は本書の全体に通じて言わるべきものと考えたので、敢てこの機会において付記した次第である。」

親に浮気女呼ばわりされた娘を、淑女を侮辱するなと若衆が助けるなんてびっくり ですが、それだけ若衆の娘たちとみんなの充足を守らねばという意識が強かったんですね。

「」の部分は原文からそのまま引用しましたが、この本が書かれた昭和初期でも、旧観念に染まった学者たちが事実を見ずに都合の良い主張ばかりしていたことが伺えます。それに対抗して、たくさんの文献を調べ上げ実際に歩き回って事例を収集した中山太郎には、ほんとに頭が下がりますね。

では、今年はこのあたりで。つづきはまた来年のどこかでお届けします お楽しみに~


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