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日本婚姻史12の復習~一夫一婦制(一対婚)になったのなんで?

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日本婚姻史のターニングポイント2 農民は母系制を継続できたか? [1]
に引き続いて、
日本婚姻史12 寄合婚~明治大正昭和~ [2]をみんなで勉強しました。
日本婚姻史の勉強もだんだんと終わりに近づいてきました。 😀
まずはいつものようにこちら、お願いします。
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●まずは寄合婚の定義から復習から

寄合婚とは、母系型でも父系型でもなく、男女が平等な人格と権利をもって自由結合する個人型の一夫一婦制をいう。欧米ではすでに数世紀を経過した形態だが、日本では明治から萌芽が見られ、昭和憲法以来表面化の過程にある。
婿取式は氏族が保障し、嫁取式は家が保障し、寄合式は社会が保障することで結実するが、社会保障は欧米においてもいまだ完備にはほど遠い。日本婚姻史12 寄合婚~明治大正昭和~ [2]


要するに現在の一夫一婦制(一対婚)のことですね。(ようやく現在の制度にたどり着きましたね・・・)
●段階的に一夫一婦制になった
いきなり現在のような一夫一婦制になった訳ではないんですね。では現在の制度と何処が違うのかと言うと、明治憲法制定の段階では家父長制を前提にしているのに対して、昭和憲法(日本国憲法)制定の段階では家父長制が廃止しされ、当人同士の自由度が高くなったことが大きな違いなんですね。段階を踏んで『家長制一対婚』から『個人一対婚』へと変わってきたんですね。
段階的に一対婚の形態が変わった理由は、もともと共同体として営んできた集団が、いきなり個人第一だっ!って制度を変えても違和感があってなじめなかったから(相当抵抗があった)からのようです。
また、上記にもある通り一夫一婦制(一対婚)は欧米の文化を取り入れた(輸入した)わけですが、そもそも何故欧米から輸入しなければならなかったのでしょうか?
●欧米の制度を輸入したのなんで?
それは、市場の拡大と大きな関係があるんですね。
以下、るいネットの実現論 [4]  が参考になります。

やがて国家に集積された巨大な富を原資として、とりわけその富を消費する宮廷サロン=性市場を彩る為の金・銀・宝石・毛皮・絹織物・胡椒等の交易市場が生まれ、その後、近世(ルネッサンス)、「恋愛至上」に導かれて、性市場が都市全域に広がるのに応じて、商品市場が急拡大していった。この、性の自由→性市場→商品市場の拡大の流れは、近世から近代を貫いて現代に至るまで、全く変わっていない。こうして、市場は世界中に拡まり、先進国の人々は豊かさを手に入れると同時に、環境を破壊し、肉体を破壊し、精神を破壊し続けてきた。


更に中世末、ヨーロッパ半島や島国日本では、封建体制を統合する中央集権の体制を固めることができたことによって、各国の統合状態が安定する。そして、中央集権による安定した平和状態が二〇〇~三〇〇年続き、戦争圧力が著しく低下する。それに伴って闘争第一の男原理が衰退し、解脱収束→軟弱化が進んで、規範破りの性闘争(=恋愛)が勢いを得、自由な性市場が繁殖してゆく。近世には都市全域が性市場化し(例えばルネッサンスの人間主義、その中心は性であり、その象徴が「ロミオとジュリエット」や「曾根崎心中」である)、人間主義≒恋愛至上主義に導かれたその巨大な性市場を母胎として、急速に交易市場が拡大していった


そうです。市場は『性の自由→性市場→商品市場の拡大の流れ』があってはじめて拡大できるんですね。とすると明治以降、日本も豊かになって行く為には市場拡大を図って行かなければならず、その為には“性の自由化”=“個人一対婚”が都合が良かったわけです。
個人一対婚の背景には豊かさ実現(=市場拡大)といった外圧があったんですね。そして、今現在までのように個人一対婚が固定化されてきたんですね。
う~ん。なるほど。なるほど。勉強になりましたね~。
そして次回はとうとう日本婚姻史の総まとめをUPする予定です。
みなさん楽しみにしてください。

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