2008年08月07日
日本婚姻史12 寄合婚~明治大正昭和~
日本の婚姻制度(明治以降)が時代を追って投稿される予定とのことで、参考のため日本婚姻史11 嫁取婚~室町安土桃山江戸~の続きをざくっと紹介します。いろんな角度からの豊富なレポートを期待しています。
一 寄合婚のめばえ
寄合婚というもの
寄合婚とは、母系型でも父系型でもなく、男女が平等な人格と権利をもって自由結合する個人型の一夫一婦制をいう。欧米ではすでに数世紀を経過した形態だが、日本では明治から萌芽が見られ、昭和憲法以来表面化の過程にある。
婿取式は氏族が保障し、嫁取式は家が保障し、寄合式は社会が保障することで結実するが、社会保障は欧米においてもいまだ完備にはほど遠い。
応援よろしく by岡
明治の一夫一婦主義
維新政府は全面的に西洋文明を受け入れ、明治6年(1873)には、福沢、津田、西、森などによって明六社が組織され、西洋近代思想を普及した。一夫一婦主義もその一つ。福沢諭吉は、両性の不平等を最も痛切に論難し、女性の独立と自由解放を主張した。「日本婦人論」「男女交際論」「女大学評論」などをあらわした。
一夫一婦主義は、戦国時代にキリシタンとともに移入され、女性と大衆の支持を得たが、鎖国とともに消滅した。それが維新によみがえり、特にプロテスタントの立場から説をなすものが多く出た。森有礼もその一人で、明六雑誌に「妻妾論」をのせ、「婚姻律案」を作り、自ら一夫一婦主義の結婚を行った。
当時の排妾、廃娼の論も、おなじ一夫一婦主義の現われであった。「女学雑誌」創刊、明治女学校創立も、ともに夫婦倫理が高唱された。湯目補高「欧米女権」、深間内基「男女同権論」、依田幸一「一夫一婦論」等も前後して出され、また植木枝盛によって鋭い家父長制批判もなされた。
憲法発布(1889年)の前後から、国粋主義が台頭し、素朴な婦人論は衰退し、近代的知性に支えられた浪漫主義文学、平民社の社会主義思想等がともに男女関係の革命を叫んだ。
女性のめざめ
女性文化は、平安女流のそれを最後として死滅していた。平安のそれは、貴族文化といわれるが、実は大化以前にさかのぼる女性祭祀の「言葉の文化」から来たものだった。平和と善言を愛し、あたたかで母性的で、汎神的な文化だった。それは表面では死滅していたが、庶民の間では息づき、明治時代に復活したのが、一葉・晶子の文学、らいてうの思想だったといえよう。
平塚らいてうが出現し、東天に日が昇り(その本質は母性愛だった)、一葉の自我の苦悶、晶子の自我の昂揚で黎明期は終わり、ここに女性の自我と家父長制との全面衝突が起こる。
二 寄合婚をはばむもの
明治憲法
明治憲法(ここでは主に民法)の特徴は、家父長制の再編にあった。
はじめフランスの法学者ボアソナードが草案を起草した旧民法(明治23年)は、夫婦主義・個人主義の色が濃く、「わが古来の家族制」と相容れないとされ、その実施を無期延期とした。
明治初期は「家督制は未開の俗」と考えられていたが、いつのまにか「日本独自の神聖な家族制」になってしまい、とくに穂積八束、奥田義人らは、旧民法を非難すること甚だしく、この耶蘇的な小家族、男女が単なる情欲で寄り合う一夫一婦主義家族は、国家の基礎たるべき尊厳な家族制ではないと宣言した。
こうして、さらに新しい民法がドイツ法を取り入れ作られた(明治31年)。新民法には、家父長権が戸主権に継受され、多少の近代法がそれに加味された。
また「家」は戸主と家族からなるとされ、戸主権は家族に対して居住指定権その他をもち、家族は戸主権に服従する義務があった。
嫁取婚であるから、女は嫁すれば戸主権、夫権に服した。夫権は強大で、そこには「妻の無能力」が設定された。妻は自分の特有財産でさえ夫の許可なしには使用できない。夫の許可のない就職、営業は取り消され、借財も保証も訴訟行為も贈与や遺贈を受ける能力もないとされた。
離婚は事実上追い出し式で、姦淫罪では、夫は妻を処刑に追い込むことができたが、妻はできなかった。
良妻賢母主義の日本化
良妻賢母主義はヨーロッパから輸入されたもので、日本や中国のものではなかった。ヨーロッパの古代は、夫に従い、子に従うのが第一義とされていたが、中世以後は、キリスト教的一夫一婦主義が普及し、夫婦は主従ではなく、中世的な男女分業観を基礎とした同伴者であるとされた。良妻賢母主義はこの思想を基礎とした婦徳だった。
全国の女学校では、あげて良妻賢母主義を教育目標としたが、国粋派が登場してくる機運の中、儒教出身の女子型の女流教育家が輩出し、明治民法に呼応して、家父長制の婦道を宣伝した。
三 寄合婚へのあゆみ
昭和憲法
第二次世界大戦に敗戦し、「日本国憲法」が公布され、民法も刑法も改正された。
従来の「家」(家父長制)が廃されて、同権的な夫婦制(寄合婚)にかわった。すなわち「明治憲法」の家・戸主・家督相続等が全廃され、結婚・離婚も平等となり、その他妻や母のあらゆる無権利がのぞかれ、財産相続には妻が常に相続権をもち、緒子の相続も平等となった。
また結婚と同時に夫婦は新戸籍をつくるが、氏称は任意に両者のうちから選んでよく、従来の夫氏につく制度は滅びた。だから「父系制」は一応崩壊した。
以上、抜粋でした。
『日本婚姻史』は都市の最先端を追っているので、大多数の農村の有り様も明らかにしたいところですね。
- posted by okatti at : 2008年08月07日 | コメント (6件)| トラックバック (0)
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comments
沖縄の人とアイヌの人は同じ系統という説もありますが、どうやら違う系統から来た人々のようですね。
私も古代琉球について少し調べてみましたが、土器が発掘されている時代より後に、無土器の時代が続いたり、土器の年代が本州や他の島と合わなかったり、謎の多い島です(><)
今後、発掘が進めば、新しい事実がわかるかもしれませんね。
沖縄は日本列島中間部ともアイヌとも全く別、という視点が重要なようです。
土器については、新石器時代後期(約2200~1000年前)の南琉球で、今まで使用していた土器を忘れ「無土器文化」になってしまったようです。こうした現象はオセアニア地域の一部(ポリネシア)にも認められるが、他に例を見ない珍しい現象とのことです。
遺跡は海岸砂丘に立地することが多く、サンゴ礁の海から得られる豊富な食糧資源に支えられて人口は頂点に達していた時期。土器の代わりに、「ストーンボイリング」と呼ばれる調理用の石蒸し遺構を多用したようです。
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