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人口から読む日本の歴史1 第一の波

DNA系統ごとの人口構成比の試算 [1]で参考にした鬼頭宏著『人口から読む日本の歴史』から、日本の人口がいったいどのようにして変化してきたのか、その歴史をたどってみたいと思います。人口の波動は、社会・経済の変動と深く結びついており、日本人のライフスタイルも一変しました。これら相互関係の歴史を読みとろうと思います。
四つの波
地域別人口表 [2]グラフ [3](下図)にあるように、日本の人口は四つの波のあったことが認められる。
(↓クリックすると大きくなります。)
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第一は縄文時代の人口循環、第二は弥生時代に始まる波、第三は14・15世紀に始まる波、そして最後は19世紀に始まり現代まで続く循環である。
第一は旧石器文化に代わる縄文文化の発展と気候変動が結びついて引き起こされたもの、第二は稲作農耕とその普及による人口増加であり、第三は農業社会の中で生じた経済システムの変化=市場経済化に伴う変化、第四は工業化に支えられた人口成長である。
今回は第一の波、短命な社会で人口を再生産する出生力について紹介します。
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第一の波:縄文サイクル
縄文時代の気候・植生と食生活は、後期旧石器~縄文時代の日本の植生と食糧事情 2 [5]を参照。
骨を読む
小林和正は、全国各地の縄文遺跡から出土した人骨の死亡年齢を推定している。推定15歳以上の人骨で性・年齢の推定されたものは、縄文前期から晩期までの人骨235体で、そのうち男は133、女は102である。
15歳以上と推定された個体の死亡年齢を見ると、男では30~34歳にピークがあり、女では20~24歳と男女間に違いが認められる。恐らく出産にかかわる死亡が男女の差を生んだものだろう。男女とも死亡年齢が著しく低く、20歳台の死亡が半数を占めている。50歳まで生存した人は少なく、60歳以上の高齢者はごく稀な存在だった。
短命な社会
小林が作成した生命表によれば、15歳時余命男16.1年女16.3歳でしかない。15歳まで生存した男女も、平均すると31歳ころには死んでしまうということである。
資料上の問題から除外された15歳未満の死亡を考慮すると、短命さがより鮮明になり、菱沼従尹は出生時余命を男女ともに14.6歳と推定している。
もっとも縄文人の平均余命が狩猟採集民として特別短かったというわけではなく、世界各地の狩猟採集民はほぼ似たようなものであった。自然条件に強く依存する不安定な生活基盤が短命の原因であったと考えられる。
人口再生産と出生力
縄文時代の極端に短い寿命は、著しく高い乳幼児死亡率によってもたらされたものである。このような社会においては、人口増加はおろか単に人口を維持するためでさえ、生物学的上限に近い出生率が実現される必要があった。どの程度の出生率が得られれば一社会の人口を維持できるか、簡単に計算してみよう。
女性が15歳から平均余命いっぱい16年間にわたって、2年に1回の割で出産するものとしよう。生涯出生数は8(人)である。出生性比を105とすると、女児の平均出産年齢(23歳)までの生存率が26%以上あれば、1人の女性が次代の母親になりうる女児を1人は得ることになり、人口再生産は可能である。
この出生数8、平均出産年齢までの生存率26%、出生時余命14.6歳という水準は静止人口を実現する組み合わせに近く、その場合の普遍出生率は人口1000対60以上となる。(引用者注:普遍出生率とは普通出生率のことか。人口1000人当りのその年の出生数。)
しかしこれは相当楽観的な予想であるといわなくてはならない。15歳から16年間に2年に1回の出産、すなわち年間の出生率0.500という水準を維持することはそう容易とは考えられないからである。0.500という出生率は人間の出生力の上限に近いものであろう。栄養、労働、環境の面において劣悪な条件のもとで、そのような高い出生力水準が長期にわたって維持されえたであろうか。
人類学研究は、高い出生力が実現された可能性を婚制の面から示唆している。シミュレーション実験からは、一夫一婦制ではなく、一夫二婦のような複婚制をとる場合には石器時代人口は確実に増加しうるとされる。
いずれにしても、縄文時代における長期的な人口増加は、よほど環境条件が良好である場合のみ実現可能であり、縄文前期から中期にかけての千年ほどの間の年平均増加率は、かろうじて0.1%程度のものでしかなかった。
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縄文時代の人口維持がそう容易でなかったことが分ると思います。
4500年前から気候は寒冷化しはじめ、2500年前の年平均気温は現在よりも1度以上も低くなった。それ以前の温暖期よりも3度も低下したことになる。東日本での人口激減は相当な規模であったことが推定される。

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