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本格追求シリーズ1 人類の”性”の本質を探る<人類にとって性とは?(2) 極限時代の人類の性(前半)>

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草食男子に肉食女子。婚活。少子化。セックスレス。現代、男女の性を巡る行き詰まり現象が、様々な形で表れています。人類本来の性とは、どのようなものなのか?本日は、前回 [1]に引き続き、るいネット実現論の一節 [2]を紹介しながら、極限時代の人類(=初期人類)の性について見ていきたいと思います。

人類はつい一万年前まで、まともに地上を歩くことが出来ず洞窟に隠れ棲むしかない様な、凄まじい外圧に晒されていた。※人類は、樹上に棲めるという本能上の武器を失った結果、想像を絶する様な過酷な自然圧力・外敵圧力に直面していた。

-人類のゆりかご スタークフォンテン渓谷- [3]
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従って、人類のメスはサル以上に極度に依存収束を強め、首雄収束⇒応望収束回路を発達させていった。しかも人類のメスは(首雄でも防ぎ切れない)飢えや怯えに晒され、サル以来はじめて自らの不全感を直撃されたメスは専ら解脱収束を強め、強力な解脱収束⇒性機能収束回路(エンドルフィンとドーパミンの快感回路)を形成していった。だから、人類の女は徹頭徹尾、応望存在であり、自らの役割欠損を専ら性機能に収束させてゆく性的存在である。

-まずは、生物学的な視点からおさえてみます-
男の闘争性、女の充足性 [4]
男女ともにストレスを感じればアドレナリンやコルチゾールといったストレスホルモンを分泌しますが、この影響を和らげるために、女性の脳は「結びつきのホルモン」であるオキシトシンを放出しようとします。女性が落ち込んだとき、友だちと集まっておしゃべりに興じたり、子どもやペットに接したりするのは、こうした行為がオキシトシンの分泌を促し、女性の心を穏やかにしてストレスを解消していくからです。(充足性による外圧適応)
一方、男性にはそれがなく、コルチゾールの分泌によってドーパミンやテストステロンの値が抑えられ、憂うつや不満を感じるようになるといいます。幸福のホルモンの生成をうながすために、男性は女性のようにおしゃべりでストレス解消しようとせず、問題の解決や克服などの行動に出ようとします。(闘争性による外圧適応)
-それは現代女性の実感ともつながるようです-
仕事をする上で重要な、「男であること」「女であること」 [5]
仕事をし始める前は、仕事する上では男も女も一緒と思っていた。だけど、「最前線で闘う男の人」や「場の空気を明るくする女の人」を見ていて、やっぱり得意なものがそれぞれあって、男女で役割分担しているんだなぁと思った。「女」という役割を感じているから、女たちはあんなに明るくて、やわらかくて、可愛らしいいい女になっていくのだろう。「男」という役割を感じているから、男たちはとことん追求して、ぎりぎりまで考え抜いて、話し合って、どんなことがあっても前線に立って闘い、そして、女の人を可愛がってくれるいい男になっていくのだろう。
全ては性的期待 [6]
性的存在=充足存在になることが、仕事でも社会でも、みんなが一番期待してくれていることであり、それが最大の役割なんだと気付けば、女の心は開放され安定する。
期待していたのは、「女」としての、性的期待☆ [7]
ほんとは、「女」として見て欲しい。「女」として充足したい。充足を与えたい!みんなの太陽になりたい!
-その資質は、女性の勤勉性にも表れています-
「勤勉」は、充足発の女原理 [8]
闘争存在である男性は、闘争課題があるとがんばるものの、闘争圧力がなくなると途端に「怠ける」。一方、女性は外圧が高い場合は当然のこと、外圧が低い状態でも勤勉さを失わない。子育て、炊事、掃除、縫い物・・・身近な周りの充足のために日夜勤勉に働くのが女性=お母さんの姿だったりします。女性は身近な皆の充足・安定のために働いてくれているということです。自分の勤勉さが、皆の充足・安定につながるとわかるうえ、主体的に動いていけば、皆の充足・安定を高める課題(期待)は無数にかつ常に存在します。したがって、永続的に勤勉さが持続するということでしょう。それは、充足・安定存在ゆえであると考えます。
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もちろん、それら全ては首雄の期待に応えて役割充足を得る為であり、従って男たちはそんな女たちを、純粋にかつ積極的に肯定視してきた。それどころか、樹上機能を失い、絶望的な状況下に置かれたカタワのサル=人類が、その極限時代五〇〇万年間を生き延びることが出来たのは、性と踊りをはじめとする強力な解脱充足回路を形成し得たからであり、もしそれがなければ、人類は生きる希望を失って早々に絶滅していたであろう。この様なサル→人類を貫くメスの応望存在化⇒性的存在化が、生物進化を貫く雌雄差別化のベクトルに合致した、その一つの極限的な実現形態であることは言うまでもない。

-様々な民族で女性賛歌が謳われています-
ネイティブアメリカンに見る「女性への賛歌」 [9]
この星は、われわれがずっと生活してきた家である。女性はその骨で大地を支えてきた。女性を愛し、大地は女性なのだと教えられ育ってきた男たちは、大地と女性を同じものだと考えている。それこそ本当の男なのだ。生命を産むのは女性である。女性が昔から感じとっていた眼にみえない大きな力との関係を男たちが理解し始めるなら、世の中はよりよい方向に変化し始めるだろう。女は永遠の存在である。男は女から生まれ、そして女へと帰っていく。女性が死にたえるまで、部族が征服されることはない。
アイヌの川は女性 [10]
アイヌも同様に考えており、特にサケやマスなど貴重な食料を得ていた「川」は女性に見立てられて、川の各所は人体部位名で表されていた。とりわけ女性自身の川(川に限らず森羅万象)への同化能力を高めただろうし、その高さゆえに集団全体が女性への期待を込めてそう命名したとも考えられる。「女性は大地」という共認は、(とりわけ生存圧力を主な外圧とした時代)生命を生み育てる性と同一視され、根源的な共認だったのだろう。
[11]
例えば、メキシコ先住民のヤキ族では、「子宮の主な機能はドリーミング(天地創造や生命活動を引き起こすエネルギー)と智慧を保存することである。出産は第2の機能である。」と伝えられるそうです。
初期人類の男は、女の背後に人知を超えた自然の根幹を感じていたし、女は集団を守り抜き、生存域を確保してくれる男に、その全存在をかけて感謝していたのでしょう。それは個人の好き嫌いを超えた全面の肯定性。互いの性を充足源とし、初期人類は集団を存続してきたことがわかりました。
最後に現代の男性へ警笛です。現代問題については次回以降も、継続して扱っていきます。

特に深く自戒すべきは、私権時代の男たちである。私権闘争存在たる男は、少なくとも顕在意識においては私権第一・仕事第一と観念しており、それ故に解脱過程を「必要ではあるが不充分なもの」、あるいは単なる発散過程であって「取るに足りないもの」と見做しがちである。従って、性や女についても同様に「不充分なもの」、あるいは「取るに足りないもの」と見做し続けてきた。現にこれまで、私権時代の男たちは誰一人、性や女の問題を社会構造上の最基底の問題として真っ正面から取り上げ、追求しようとはして来なかった。だが、実は意識下では(=肉体的には)、外圧の低下に即応して、何よりも強く性や女に解脱収束していたのである。にも拘わらず私権時代の男たちは、男支配の社会に安住し、表面上は性や女を軽視し続けてきた。それが、やがてどのような結末をもたらすことになるかを、この時代の男たちは誰一人気付けなかったのである。

全体を通し興味深いのは、初期人類の性が、私権を残す我々にも同化できるということ。人類本来の性を再生するのは、とても困難な課題ですが、決して実現不可能ではないと思いました。
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おまけ
本来の性について探索する中で、印象に残る投稿がありましたので紹介したいと思います。長くなりましたので、続きはリンク [14]先をご覧ください。美しい人 [14]

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