- 共同体社会と人類婚姻史 - http://bbs.jinruisi.net/blog -

「共認運動の実現構造とネットの可能性 」その②~ネットにおけるツールの進化~

世界のつぶやきが聞こえるツイッター [1]
[2]
 
前回の記事:「共認運動の実現構造と、ネットの可能性 」その① ~社会制度の最基底部の「婚姻」を議論できる場が無い~ [3]
に引き続き、「共認運動の実現構造とネットの可能性」を探っていきます。
まずは、前回に引き続き9年前に投稿されたるいネットの記事「共認革命シリーズ」から紹介します。
今日もポチッとお願いします。
 
[4]


共認革命2 社会につながってゆく、広がってゆくイメージ [5]

●生物には危機集合の適応本能が備わっている。しかし、今の人類は、せいぜいメル友か小泉フィーバー程度の「危機」集合。
●共認機能でもっと強く集合する筈が、自我に妨げられ、観念機能でもっと速く集合する筈が、倒錯観念に妨げられて、単純明快に集合してゆかない(ネットワークが形成されない)。
☆共認機能が、集合を全て解脱へ収束させるのか?共認機能が、ひたすら評価共認の形成へと収束させるのか?
解脱収束も評価収束も、本源回路の発現であると同時に、市場によって与えられたある限定された可能性への収束でもある。そして、そこでは課題(⇒役割⇒規範)共認が、決定的に欠落している。
○単なる閉塞感・不全感なら、解脱収束したら、お終い。つながり・広がり欠乏も解脱して、お終い。
○性闘争・縄張り闘争(同類闘争)は、全てバラバラの私権課題。それが危機集合を妨げている。
☆危機集合の唯一の突破口が、変革課題。評価共認の形成を起点に、中身追求・課題共認へ!
注:小泉フィーバーとは、潜在していた閉塞感⇒変革期待が、評価共認の形成という形で一気に結実した最初の顕現態である。この(期待⇒評価の)共認圧力が、急速に中身追求→課題共認を醸成してゆく。

共認革命3 個的生活からネット生活へ [6]

☆しかし、変革課題に強く収束し切れずに、私権課題・個的生活という日常パラダイムに引き戻される。
●私権圧力は衰弱し、私権課題は今やマイナス課題(強制or義務。忌避可能な課題)となった。
●個的生活=好きなことと云っても、その中身は空疎化するばかりで、今やバーチャル生活に取って代わられつつある。個的生活=好きなこととは、不全からの逃避(解脱)に過ぎず、逃げれば逃げるほど中身がなくなってゆく。
☆それは、単なる私権(の不全感)からの逃走だからである。衰弱する一方の私権の不全感から逃げて解脱しても、その中身が空疎化してゆく一方になるのは、当然である。かくて、解脱箱(テレビ)への収束とそこでの中身の空疎化が、同時進行してゆく。
☆不全の元は、(私権圧力そのものではなく)私権制度と支配観念にある。相手が、絶対的な私権の強制圧力なら、その不全から逃げて解脱するしかない。しかし、相手が力を失った制度と観念なら、変えれば終いである。
☆そして、制度と観念の変革=社会変革の期待が顕現した以上、時代遅れの逃走(=個的生活)から変革の行動へと日常パラダイムが転換するのは、もはや時間の問題である。
●時代遅れの逃走の象徴が、原猿初期を思わせるコンビニ前の若者の群れではあるまいか?課題がない以上、群れていい人収束までは出来ても、その統合力は低下する一方であり、そんな群れがいきなり変革課題を共認するとは思えない。(彼らは遅れている=私権から逃げて群れているだけだから中身がないのであり、現在のところ変革とは逆ベクトル上にいる。)
☆それに対して、ネットは社会的な(超猿的な)集合の場である。しかも、かなりの時間を使うし、頭も使う。現在は、それが疲労の元でもあるが、数年後には、無内容な個的生活より、中身を伴っているネット生活の方が価値が高い事に気が付くのではあるまいか。こうして、無内容な個的生活の引力を、中身のあるネット生活の引力が超えてゆく。
☆ただの解脱なら、体感共認の方がいい。ネットで時間と頭を使う以上は、中身=課題がある方がいい。その中身=課題こそ、変革課題に他ならない。
☆つまり、ネットこそ、人々を社会的に集合させ、課題を生み出し、課題共認・評価共認を形成してゆく課題箱(同類圧力⇒社会共認の生成器)である。

この投稿があった2001年は、ネットに対する人々の意識が大きく変化した年です。
[7]
 
上のグラフを見ると2001年にパソコン普及率が50%を超え、2009年には全世帯の85%がパソコンを何らかの形で所持しており、
 
[8]
社会実情データ図録 [9]より
 
ネットの利用率も2001年に34%→60%に急激に増え、2004年には90%近くに達し、私たちの生活(仕事、買い物、娯楽etc.)に無くてはならないツールになりつつあることがわかります。
ネットにおけるツールもホームページ(掲示板)(1995年)ブログ(2002年)ソーシャルネットワーク(ex.mixi)(2004年)ツイッター(twitter:参照:Wikipedia [10](2008年)と変化してきています。
この変化はテレビ・ビデオ(一方的な受信)の引きこもり個的生活から、より社会へ向かうネット生活への流れであり、さらには「個人の一方的な発信・主張」から「繋がり・ネットワーク作り」に人々の意識が向かっている変化と言えるのではないでしょうか。
また、これから普及すると言われているツイッターは、以前流行ったチャットとは違い、マジ話が多く、オバマ大統領や鳩山首相も利用に興味を示しているように、遊びを超えた次元での利用を模索していると思われます。
現象的には個的生活からネット生活へ着実に向かっていますが、人々の意識がなぜネットに収束しつつあるのか?これからネットはどのような可能性があるのか?、次回以降、社会を取り巻く外圧の変化も含めて追求していきたいと思います。

[11] [12] [13]