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習慣や文化の継承とは(1)

皆さんこんばんは!
今まで 「日本人はいつ物を考え出すのか」 シリーズを5回に渡って紹介してきました。
ちなみに今までの内容は・・・
「日本人はいつ物を考え出すのか?」 (1) 共認充足が最大の活力源。’10年代はそれだけで勝てる [1]
「日本人はいつ物を考え出すのか?」(2) 学習観念が役に立たないのはなぜか? [2]
「日本人はいつ物を考え出すのか?」(3) 騙しの破綻→特権階級は追い詰められている [3]
「日本人はいつ物を考え出すのか」(4)力の原理の崩壊→米中欧崩壊で日本人は考え始めるか? [4]
そこで今回はこの流れを受けて、
「習慣や文化の継承とは(1)」 [5]
という投稿を紹介したいと思います。
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「日本人はいつ物を考え出すのか」のシリーズを通じて私たちは、
現行の市場主義社会が限界に来ており、共認社会への移行はもはや必然構造であると言う事。
そこでは、私たち日本人の本源的な「縄文体質」が一つの可能性を示せるのではないかと言う事を勉強してきました。
では何故、私たち日本人は、近代以降、その文化文明や諸制度の範として欧米諸国を見つめながらも、最基底部にあるこうした民族性を保持し得たのか?
そして西洋人と日本人の違いはどこにあるのか?
この投稿は、こうした疑問に対する一つの切り口になると思います。
■「習慣や文化の継承とは(1)」 [5]

最近、言葉とか、観念とか、価値観とかを日本人と他国という比較において考える機会が増えています。日常語には英語(和製英語)が氾濫し、日本語自体も若者を中心に様々な表現方法が生まれては消えて行っています。また、西洋文化が入り込んで、西欧民主主義とか、資本主義とか、議会政治とか、明治以降は社会制度も様変わりしました。
でも、今でも日本人は日本人で、日本の文化は日本文化として、他国とは明らかな違いを保ちながら日本特有の社会を形成していると思います。NHKの「COOL」などを見ていますと、日本に限らず各国の文化も実は、その文化特有の習慣や価値観を保ったままに受け入れるところは受入れながらも長い間変わらないものを持っているようです。
数千年前の縄文人の体質が今も日本人には残存しているということも、日本人であるならば心のどこかで得心できることではあるのですが、頭の中で考えると不思議なことではあります。
縄文人の言葉もすでに大半は喪失したでしょうから、「言葉」が文化の継承の要(かなめ)では無いかも知れません。同様に、近代西欧の制度や思想も日本人の文化や習慣に必ずしも溶け込んではいない可能性すらあります。
いろいろと考える契機として、株式日記と経済展望リンクの記事を引用させて頂きます。
(注:元の引用は、pikarrrのブログ  [まとめ]なぜ日本人は民主主義よりも資本主義に順応したのかリンク [7]

◆なぜ日本人は民主主義よりも資本主義に順応したのか 6月25日 pikarrr
(要点のみ)
◆習慣が破れることへの日本人の強迫性
ファーストフードではみなが淡々と注文し食事をしているが、たまにお年寄りが必死に店員と交渉しているのを見かける。はじめてなのか、注文のシステム自体を知らずに恥ずかしそうに懸命に注文している。しかしこのような場面は誰にでもあるだろう。初めての手続きに慣れないだけではなく回りから浮いていることが恥ずかしい。
日本人にとって習慣で処理できないこと、始めての場面に出くわしてフリーズしてしまうこと、は恐怖である。それは日本人でなくても恐怖だろうが、多くを習慣で処理できるハイコンテクストな社会を生きている日本人には強迫的な恐怖である。
外国人は多かれ少なかれ異文化が身近にあり生まれながらに「習慣の破れ」を経験する。そして対処方法も訓練として身につけている。習慣の破れをいかに乗り越えるかといえば、簡単に言えば開き直りの自己主張しかない。そのために西洋人は笑顔と交えた社交性の技術を身につけている。
ハイコンテクストな社会を生き、習慣の破れに慣れていない日本人は慣れずキョドってしまう。自らを主張するとは慣習を越えて自らを曝け出すことであり日本人にはとても不慣れな技術である。

 ◆思想は身体訓練で伝承される
日本人に思想が無いわけでなく、わざ、習慣、身体訓練として伝承され、言語化されないわけです。実は思想の在り方としてはこちらが一般的です。太古から民族はそうして思想を伝承してきたわけです。まず理解しないといけないことは、言葉は思想伝達法としてほぼ使いものにならないということです。
たとえば会ったことも見たこともない民族がいて彼らの思想について書いた本を読んで何がわかるでしょうか。実際に一緒に生活してみないとなにもわかりません。
言語信仰に毒された現代人にはこれを理解することがまずできない。まさに「馬鹿の壁」が目の前にある。
たとえば旨いザーサイを食べたリボーターはいかに読者にその旨さを伝えるか。日本人同士は親しげに「食べてみなよ」と勧めます。西洋哲学者はそれをメタファーや造語を駆使して伝えるわけです。それは実際に食べるより素晴らしくみなを魅了するわけですが、正確な伝達とは別です。

 ◆言語思想の暴力性
言語で思想を伝えなければならない状況はとても極限的な状況です。その状況とは多民族に自らの思想の正当性を訴えかける弁論述です。
日本人が日本人論を書き始めたのは明治入り知識人が留学を始めてからです。島国日本では思想は、わざ、習慣、身体訓練であり、他者に自らの思想を訴えた経験もなく、当然、うまく言語化できない。それが近代日本知識人の劣等感だったわけです。
いまでもよく、日本人は明確な言語思想をもち外国に主張しなければならないといいますが、本当でしょうか。言語思想を語りあえばわかりあえるのでしょうか。
そもそも西洋の近代思想はいかに発展したか。世界の資本主義化と密接な関係があるわけです。すなわち西洋の貿易先(資本主義)を広めるために、海外に向けては植民地化の正当性を巧みに訴えるためです。たとえば日本人もアジアへ侵略した時は珍しくその思想を懸命にしゃべりましたね。
—(続く)————————————————

以上、引用終わり。
この投稿はこの(1) 習慣や文化の継承とは(2)  [8]の2本立てですが、
今回は特に日本人の民族性に焦点を当てている、(1)を紹介しました。
これに基づいて(2)では現在の政治、経済について踏み込んでいます。
そちらの投稿も是非ご覧になって下さい!!
最後まで読んでくれ有り難うございました!!

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