2010年08月28日
「日本人はいつ物を考え出すのか?」(3) 騙しの破綻→特権階級は追い詰められている
「日本人はいつ物を考え出すのか」シリーズ第3回目です。
前回、現在の学習観念が役に立たないのは、ひとつはわずか数回の学習で次から次へと詰め込む為、記憶に定着しないこと。
さらに学校で習う観念の内容そのものが、多くの人の手によってかつ長い年月を掛けて洗練されたものではなく、作者個人が書いたものであり、あるいは現実には存在しない「架空観念」であったり、物事を分解し掘り下げて行く一方で、全体を統合する理論ではないことなどが上げられていました。
しかしそのような学校教育は、実は近代以降の大掛かりな騙しの枠の中に我々をはめ込むためのものだったのではないか?
そのことが、特権階級の暴走によるボロによって表に出てくるようになってきたように思われます。
今回は、そこに迫ってみたいと思います。 😉
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「日本人はいつ物を考え出すのか?」(3) 騙しの破綻→特権階級は追い詰められている
より、以下引用
学習観念(近代思想)は役に立たない。学校教育で習ってきたことだけでなく、本で読んだ認識もほとんど役に立たない。また、マスコミの報道や情報は捏造だらけで、人々の判断を狂わせるだけ。
反復し定着していない認識が使えるわけがない。にも拘らず、認識を反復→定着させることなく、次々と新しい教科内容を詰め込んできた学校教育は愚民教育に等しいのではないか。しかも教えている中身は架空観念のオンパレードである。それが現実の役に立つはずがない。そして、学校に行く動機も己の利権のため。
これら教育の問題全体を総合的に捉えると、膨大な時間とエネルギーを費やしたにもかからわず、ほとんど役に立っていないわけであって、とすれば、近代以降、大掛かりな騙しの枠の中に我々ははめ込まれてきたのではないか。
こういう状況(構造)はどう捉えたらいいのか?
近代以降200年、学校教育が始まって100年余りが立つ。
その中で、全体が騙しであるという認識を得たのは最近1年くらいの話であり、それまでは気づかなかった。
もちろん、近代思想がペテンであるということは、共同体類グループ設立の前から発見していたが、近代社会が金貸しに支配されているという認識はこの2~3年のものである。そして、理解しようとして読むこと(理解主義)が洗脳の罠に嵌る構造は数ヶ月前に発見されたものである。ここに来て近代社会の騙し(罠)が続々と発見されるのはなぜか?
主体側の原因として、’70年貧困の消滅以来、私権原理から共認原理への転換が進行しており、私権収束力が衰弱し、それに代わって共認収束力に転換したので、新しい角度からの発見が可能になったという面は当然ある。
しかし、やはり大きいのは対象側(外部状況)の変化である。
ここに来て次々と騙しの構造が発見されるのは、近代社会の支配階級(金貸し)とその手先たる特権階級(学者・官僚・マスコミ)が追い詰められていることの現われではないか。今ままではボロが出なかったが、’00年以降、9・11事件の捏造をはじめとして、もはや彼らの策謀は大衆の目からはミエミエである。
例えば、世界史などは典型的で、歴史的な事象とその年代を次々と詰め込むだけで、なぜそのようになるのかは詳しく語られません。あるいは意図的に断片的にしか伝えられていないのではないでしょうか。
十字軍遠征は、聖地の奪還のためとは書かれていても、先々での掠奪による冨の蓄積、商圏の拡大についてはほとんど書かれていません。
理由は簡単、書かれてしまって歴史の表に出てくると都合の悪い人たちの隠蔽する意志が働いているからです。 😡
参考:ブログ 金貸しは、国家相手に金を貸す
『国家と市場の力関係の逆転』 3 十字軍遠征~騙せば官軍
特権階級が追い詰められている、その現れの一つが、日本における検察・官僚・マスコミの暴走である。
彼らは一般人にはない権力を持っている。例えば、無数の微罪・軽犯罪のどれを挙げてどれを見逃すか、その裁量権は検察・官僚が握っている。マスコミの編集権も同様。従って、権力を握る人間は公正でなければならない(そうでなければ不正の温床になる)というのが暗黙の共認(不文律)であったが、現在の検察も官僚もマスコミも公正さを投げ捨て、その暴走は止まる所を知らない。
特権階級たちがここまで暴走し、誰の目にも明らかなボロを出したのは、今回が初めてである。それは彼ら特権階級が追い詰められていることの証左である。彼らは背に腹は変えられないが故にミエミエの手段でも繰り出さざるを得ず、そしてその多くが大衆にバレてゆく。
こうした状況で、学校教育やペーパーテスト全体がおかしいのではないかという問題意識が生まれ、近代社会の全てが騙しなのではないかという認識が登場してきたのである。
こういう認識が登場したということは、騙しの構造を突破し得る可能性が現実のどこかに存在する、あるいは登場したということを意味する。∵人は可能性がないことは考えない。
そして、今や私権時代から共認時代へ大転換中→旧思想は役に立たない⇒新認識が必要とされている。
では、騙しの構造を突破する新認識の必要性は、どういう構造(条件下)で生まれるのか?
我々の周りには常に情報が溢れている。その大部分はマスコミを通じて得る情報であるが、マスコミが公正中立であるという固定観念は捨てた方がよい。
逆に彼らは、金主→金貸し→特権階級の構図で言うところの手先なのである。親方が困るような情報が出てくることはない。
小泉フィーバーをはじめとする自民党偏向報道
鳩山つぶしのためだけにクローズアップした普天間基地問題
そして小沢つぶしのための検察の暴走等々
マスコミが挙って大騒ぎする事件の裏には、何かあると思った方が良い。
また、逆にマスコミが報道しない、サラリと流す報道の方が重要な問題を孕んでいることがあるのだ。
ではどうすれば良いのか? 🙄
マスコミの報道を鵜呑みにしないこと。情報はネットからでも入手できるし、現にその情報を構造化して、上記のカラクリに気付くことができたのである。
洗脳なんて無縁の世界の話だと思っている人が、実はドップリと洗脳されているという恐ろしい現実なのだ。
- posted by mtup at : 2010年08月28日 | コメント (4件)| トラックバック (0)
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comments
当時の人々は、本能・共認・観念をフル稼働させて、同類闘争を回避しようとしていたのですね。それにも関わらず、戦争=殺し合いが起きてしまった。この両者の間には、おおきな断層があるように思います。
闘争回避という集団(=社会)期待さえもくつがえしてしまう新たな社会期待とは何なのか?その社会期待の源は何なのか?
ひきつづき、このあたりを追求してもらえればと思います。
>競争的な「浪費・贈答・破壊」合戦へとエスカレートしていった。
ポトラッチがどんどんエスカレートしたという話を聞いて、「何故そんな馬鹿を事をしていたんだろう」と思ったが、現代のバブルも、株価は皆の評価で決まるといいつつ、高騰と暴落を繰り返している点では同じことですね。
>なおとさん
コメントありがとうございます。
確かに大きな断層がありますよね!
次回から最終章に入ります。農耕が始まり、社会は大きく変わっていきます。社会期待もどのように変化していったのか!解明して行こうと思います。
>tamaさん
ポトラッチを調べてみて、なんでこんな風に変質して言ったのだろう?と思いましたが、日本の祭りでも、男気を見せるため怪我人や時に人が亡くなっても継続しているものがたくさんありますよね。これもポトラッチのエキサイト感と似ているような・・・。
株価も似てるかも知れませんね。
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