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【男女関係の行き詰まりと可能性】~恋愛関係の変化<今や若者の8割に恋人がいない!>

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前回までの【性の衰弱】編で、セックスレスの進行、男子の草食化といった性の衰弱化現象についてみてきました。そして、その背後には社会構造の大きな変化があることがわかってきました。
今回は、「結婚」や「性」と密接に関係しているはずの”恋愛関係”に注目し、さらに社会構造の変化を明らかにしていきたいと思います。
結婚したいとも思わないし、そもそも”性”そのものが衰弱してしまっているとすれば、これまで誰にとっても大切なものと思われていた”恋愛”の実態も、実はもう無くなってしまってるのではないでしょうか。
いろんな事象を見ながら検証していきます。
いつも応援ありがとうございます。
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<若者の恋愛離れホント? 新成人77%「恋人いない」> [3]より抜粋

 結婚情報サービス会社オーネットが新成人を対象に毎年実施しているアンケートで「交際相手がいない」と答えた人が77%に上った。1996年の新成人を対象とした第1回調査は50%で、年々増加傾向という。15年間で「恋人いない派」が27ポイントも増えたことになるが、若者の草食化がそこまで進んでいるのか。この数字本当なの?
 若者の恋愛意識に詳しいマーケティングライターの牛窪恵さん(43)は、最近の傾向を「不況もあって恋は二の次、三の次。恋愛に幻想が持てなくなっている」と分析。
 牛窪さんが若者を調査すると「恋愛はめんどくさい」「(アイドルの)嵐のDVDを見ている方がときめく」との声を聞くという。若い感覚を持った親と密接な関係を築き、恋人よりも家族との時間を重視する人の割合も上昇している。

◆恋愛に幻想が持てなくなっている
この牛窪さんの分析は興味深いですね。そもそも「恋愛に幻想を持つ」ってどういうこと?
かつて明治時代における日本の婚姻制度とは、「家制度」に基づく家同士の結びつきでした。結婚相手は「許婚」といって親同士が決めるもので、当人たちに選択の余地はありません。つまり、”自由な恋愛”は存在していませんでした。
こう書くと窮屈なイメージを持ってしまうかもしれませんね。
農村の村落共同体の中には、”夜這い”といった集団内男女の性充足規範があって、男女が心身共に充たし合える関係がありました。だから”自由な恋愛”など必要なかったのです。
ところが近代化を目指した日本は、村落共同体を解体して都市化を推し進めていきます。
男女の性充足の可能性を失ってしまった人々は、次第に西洋から入ってきた近代思想に染まっていきました。”個人の自由”を大前提にしたこの西洋観念によって、与えられない性充足は”恋愛”という崇高で素晴らしいものとして幻想化(美化)されました。さらに、駆け落ちや命を絶って恋愛を成就させるというように、「恋愛は何よりも大切なもの」という”恋愛至上主義”などという言葉も生まれるほど、その幻想は膨らんでいったのです。
この恋愛(幻想)観念は、近代化が進み、集団が解体されていくにしたがって広く大衆に広がっていきました。同時に家制度は次第に機能しなくなり、婚姻制度が見合い婚から恋愛婚へ一気に転換したのは、以前の記事「②近年の婚姻動向<離婚の増加>」 [4]で紹介されている通りです。
そんな恋愛に幻想が持てなくなったというのは、意識潮流の大きな変化だといえますね。
◆恋愛はめんどくさい
「恋愛はめんどくさい」「恋人よりも家族との時間を重視する」といった状況は、他のデータでも現れています。
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<「クリスマス」についてのアンケート結果> [6]より抜粋

「クリスマスに恋人と予定がないってどう思う?」
1位:どうも思わない(46.4%)
2位:周囲に流されることなく凄い(17.8%)
3位:かわいそう(9.8%)
「クリスマスに決行しようと思っていることある?」
1位:特にない(46.9%)
2位:慈善活動・ボランティア(19.5%)
3位:その他(13.9%)
「クリスマスに欲しいプレゼントは?」
1位:特に何もいらない(42.5%)
2位:貴金属・宝飾系(アクセサリー・時計等)(30.2%)
3位:小物・雑貨系(CD・書籍等も)(11.8%)

「バレンタインデーにプレゼントを贈る人:クロス集計(女性)」 [7]より

※10代女性がバレンタインデーにプレゼントを贈る相手は、46.0%が「友人・知人」であり、「付き合っている彼氏」(24.0%)の約2倍!
※20代女性では、「自分の父親」(37.0%)、「夫」(34.0%)の次に、ようやく「付き合っている彼氏」(30.0%)
※バレンタインデーは、あってもなくてもよい。(3割)

いかがでしょうか?クリスマスやバレンタインデーが、恋愛関係にとっての一大イベントだったのは、もう遠い過去の話。今や仲間関係や家族関係内でのプレゼント交換程度に大きく変化していることがわかります。
若い世代を中心に恋愛幻想の衰弱はすごい勢いで進んでおり、冒頭で書いたように、今や恋愛なんてどうでもよいものになってしまったのではないでしょうか。もはや草食・肉食どころではない!?
◆恋愛至上主義の終焉
以下は、コチラ [8]のブログからの抜粋です。

2005年をもって日本の恋愛至上主義は終焉を迎える。
ほどなくして高校生の流行を引っ張って来た雑誌は全て廃刊に追い込まれた。
インターネットの出現で「共通体験欲求」がなくなりユース・カルチャーが終焉してしまったからである。
もう恋愛を題材にしたドラマも歌も映画も全くと言って良いほどヒットしないのである。
言葉を換えれば女性は社会的な地位が高まり受身ではなく主体性を持った代償として生物学的な意味での女としての価値は大暴落してしまったのである。
これはセックスの価値が下がってしまったことも意味する。

恋愛や女性の価値の下落は同時に嘗ては異性を惹きつける必須アイテムとされた自動車の価値を大暴落させた。
最近の若者は免許すら取らないのである。
出会いの場としてのクラブも一気に力を失っていく。
大人の男性の擬似恋愛の場所としての銀座のクラブやキャバクラ、風俗産業もまた一気に衰えていく。

我々は日本の恋愛至上主義が日本的スノビズムとリンクしてあの経済成長を支えていたことに気付かされたのだった。

クリスマスやバレンタインデーだけでなく、雑誌が売れない、恋愛ドラマ・映画がヒットしない、自動車が売れない。。。といった最近の市場の衰弱現象は、全て恋愛の衰弱が原因になっているのですね。
これまでの市場経済が、恋愛幻想によって支えられてきたということは目から鱗です。そして現在、モノが売れなくなって冷え込んだままの市場経済が、いつになっても再浮上する兆しが見られないのは、その原動力を失ってしまったからだということがよくわかりますね。
◆今後の男女関係の行方
一方で、恋愛幻想から冷めたしまった現在の若者たちの男女関係って、一体どうなっているのでしょうか?
前回の記事「性の衰弱② <世代を問わず草食化が進んでいる>」 [9]では、男と女が一晩共にしても何も起こらないという彼らの姿を『頼りがいのある可能性のある存在』と提起されました。
「何もしないなんて信じられない」「何もしないのは逆に失礼でしょ」と思う人たちは、かつての『いい女はモノにする』といった旧い価値観をまだ大事にしているのだと思います。だけど今振り返れば、その価値観上での男女関係なんて、自我の性を充たすためだけの駆け引きそのものだった。。。と気が付くはずです。
一方現在の若者たちは、その「自我の性」にはとっくに見向きもしなくなり、『隙あらば』というギラギラ感が全くありません。『ステイタス』みたいな自分の価値観などはどうでもよく、まず『仲間が大事』という意識に転換しているのです。平気で(安心して)雑魚寝ができてしまうのは、男も女も関係なく仲間としての充足関係が第一になっているからなんですね!
自我の性とそれによる邪心が無くなったとすれば、それはこれからの男女関係にとっての大きな可能性であることは間違いないと思います。現状は、婚姻様式が1対1の密室関係であるが故に、どうしても仲間関係とのせめぎ合いや葛藤があるでしょう。そこをいかにして突破するか?を追求していくことが、新しい男女関係を開くための課題なんだと思います。
次回は、「少子化」の観点から婚姻関係を検証していきます。

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