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「性の探求者」シリーズ② 赤松啓介に見る性の追求 ~日本人のおおらかな性~

2012年の新年特別企画、「性の探求者シリーズ」
第2回の本日は、赤松啓介氏を取り上げます。
赤松啓介氏については、当ブログでも、
日本婚姻史2~その8:赤松啓介と言う人 [1]
『日本の婚姻史に学ぶ、共同体のカタチ』「夜這い婚って何?」 [2]
など、何度も取り上げています。
歴史に残るものは統合階級側から見た、統合の仕組みや制度改革の出来事ばかりで、かなり偏ったものです。
それに加え、統合の仕組みは歴史として残っている反面、その統合様式の最基底になる婚姻様式には、ほとんど触れていません。ましてや庶民の婚姻様式など皆無です。
そんな状況の中で、庶民の生活を探り、記録として残した赤松啓介は本当に貴重な注目すべき存在です。
そこで、若い20代の友人に、赤松啓介氏について感想を聞いてみました。

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赤松さんの記事や本を読んで一番感じたのは、
「女性が性の充足を求めることがみんなに認められ、喜ばれている」
というみんなの意識のありようがすごくありがたいなぁということです。
現代は性って特に女性にとっては秘め事になりがち。
集団の中でみんなにオープンにするなんて考えられないこと。
でも、それが100年も遡らない時代に、女性から性充足を求め、そしてそれが喜ばれる状況があった、ということをありのままに教えてくれる赤松さんの記録はとても勇気付けられます。
全体の意識を共有していくためには、まずは女たちでオープンに性の話や充足を共有できるようにすることが始めの取っ掛かりになりそう。2012年は、性充足を女たちで共有していけるような空気を作っていきたいです☆

>雨の夜、仲間の家に集まって馬鹿話をする若衆たち。
「お前夕べ、ウチのお袋のとこ来てたやろ」
「えー知らんでえ」
「ウソ言え。で、どうやった?」
「俺の妹がお前に会いたい言うてたで。最近ご無沙汰らしいな」
「いやーお前の妹イマイチやしなあ」
「俺今日留守するから、嫁のとこに来てやってよ」
「わかった、行くわ」とまあこんな感じ。
そゆことしてると当然父親不明な子が生まれますわよね。
それを「こいつ全然俺に似てないやろ?」と笑いながら育てる夫。
赤松さんが紹介しているように、共同体の中で上下関係なく、みんなで性の充足話をしていた事実を現代の人はどれだけ知っているのでしょうか。「笑いながら性の話をするのは当たり前。」そんな風潮があったことが驚きとともに、楽しそうだなと思います。
こういう事実をみんなに知ってもらいたいと思います!

ほんの数世代前の日本で「性の充足をオープンに皆で共有していた」という事実が、驚きと同時に、行き詰まった現在の男女関係を打開する新たな可能性として感じられているようです。
今回は、赤松氏が亡くなられた時の、鴻上尚史氏の追悼文を紹介します。
にわかには信じがたいほど、度肝を抜く興味深い話です。
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ニュース:赤松啓介先生逝く 性生活の研究に赤松民俗学の真骨頂を読む ◆鴻上尚史
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 赤松民俗学の面白さは、これからの時代、ますます重要になってくると僕は思っています。
 それはちょっと度肝抜く面白さです。
 赤紙啓介氏の代表的著作、『非常民の民俗学』(明石書店)から紹介します。
 「千人切りと千人抜き」の項の抜粋です。
 「百人切り」は、女性百人とエッチをしたということですな。ちなみに、妻や愛人(著作では、「妾」と書いていますが)は、人数に入れないのだそうです。
 「百人抜き」は、女性が、百人の男性とエッチをしたということです。抜くんですな。ふむふむ。
 で、赤松氏は、地道な聞き取りをしていくうちに、「千人切り」「千人抜き」という事実にぶつかります。
 ほんとかいなと村の老人に聞くと、赤松氏の父親が、そもそも、盛んな人だったと教えられて、赤松氏はたまげます。
 「私のオヤジなどは、夜になると隣近所のムラから娘や女たちが二、三人連れで現れ、家の廻りウタいながら誘い出しにきたそうで」と知ります。
 昭和の初期の話です。
「俺は百人切りがすんだという若衆がおり、なんや、そんなもん、うちら一七で男の百人抜きぐらいしたぜえと、おばはんに叱られていた。」
 のだそうです。夜違いは、男からだけではなく、女からも通ってきたので、こんなことが起こるのです。
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 で、「私の在所では、百人切り、百人抜きを基準にしていたが、千人になると盛大に祝宴を開いて「千人供養」をしたそうである。ほんまかいな、と疑ったら、いろいろと事例を教えてくれた。金、鉄、木製などの巨根を正面に飾り、前に女陰形の大朱盃を供え、参列者の前には大根や山イモで作った男女陰を供し、僧尼が厳粛に読経、終わって無礼講ということらしい。引出物もいろいろ苦労したようで、性器や性交の酒盃、玩具などか多かった。義理固い男や女になると、筆下し、水揚げの恩人を上座にして、その労をねぎらったという。こうなると、まさに良風美俗である。」画像はこちら [7]からお借りしました。
 と、ものすごいことを書いています。
 しかし、赤松氏が事実だっていうんだから、事実なんでしょう。
 私は、その昔、この文章を読んだ時腰が抜けそうになりました。
 だって、千人の女性とエッチしたあげく、引出物をだして、お経を読んでもらって、義理固いと、最初の童貞を捧げた人を招待して「ああ、あなたからもう千人になりした」と報告するんですからね。そんなことが、この国で、昭和の初期までおこなわれていたんですから。
 赤松氏は続けます。
 「大福帳を見せてくれたが、日時、場所、女の氏名、年齢、住所、性交の理由、性器、回数、問答などと詳細に記録していた。」
 赤松氏は、大したもんだと感心していると、「お前こんなもんでぴっくりしたらあかんぞ。これに一つ一つ、相手した女の陰毛を貼付しているのがある、と教えてくれた。」、「聞いた話では、百人切帳を台にのせて祭り、出席者に自由に見せたそうで、たとえ自分の母親や姉妹、女房、娘の名があっても、笑ってすますほかなかったのである。」。
 こんな度肝抜く話が「非常民の性民俗」には、てんこ盛りです。
 「百人切り」「百人抜き」は、明治の中期から大正の前期にかけて流行(!)したようで、たくさんのお祝いの引出物が残っていると赤松氏は書きます。千人は、さすがに少なかったようですが、それでも、配り物は残っているそうです。
 これは、この国の特殊な人達の話ではなく、村の農民や町工場や商店で働く人達の、まさに民衆の事実としての記録です。
 で、赤松氏は、どうして、こんなことを知ることができたのかというと、他の民俗学者の研究態度がそもそもダメなんだと書きます。テープレコーダとノートを持ってお話を聞かせて下さいと頼めば、誰だって、気取って本音は語らないというのです。調査したい村の親戚筋を調べ、その人の紹介で村に入り、ともに夜這いに挑むからこそ、人々は、本音を語ってくれるのだと赤松氏は言うのです。
 この本を読むと、いかにこの国の性道徳が急激に変わっていったかに驚かされます。性を楽しみ.性を満喫していた国民がどうして、こんなに変わってしまったのかと不思議な気持ちになるのです。「非常民の性民俗」は必読の一書です。 (原文が明石書店のサイト [8]から消えているようでしたので、るいネット [9] から孫引です。全文をご存じの方がいらっしゃれば教えて頂けると嬉しいです。)

1000人切りなんて聞くと、その場限りの軽い関係を数多くこなす遊び人というあまり良くないイメージしか思い浮かばないのですが、一人ずつ丁寧に記録を残していたということは、それだけその関係を真剣に大事にしていたということなのでしょうね。
だからこそ、村全体で皆で祝うことができたのでしょう。
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性を秘め事にしている現代の私たちは、一見、性を大事にしているようですが、セックスレスや草食男子、少子化など性の衰弱が進行していることも事実です。
ほんの数世代前の日本人が、性をオープンに共有することで、皆が充足し活力を得ていたという事実から学ぶべきことは多いと思われます。

しかも近年は性だけでなく、社会的な活力の衰弱が問題になっています。
最近の「るいネット」 [11] では、活力に溢れる様々な企業が紹介されています。
どの企業も、理念の浸透や、感謝の伝播、自主活動の活性化など、取組む形は違っても、社内の活力・充足を高める方向性を目指している点では共通しています。
今年もそのベクトルはさらに加速し、「どうすれば皆が充足できるか」はどの企業も大きなテーマとなってくるでしょう。
このテーマにどう応えていくか。
私たちが婚姻史を通じて共同体のあり方を学ぶ意味もそこにあります。
長く共同体によって培ってきた皆の充足のあり様や、充足を導く集団のあり様や、男女のあり様など、これから私たちが次代を創っていくための基盤が、日本の歴史にはあります。

今年も、皆の活力・充足の再生に貢献できるよう、追求、発信していきたいと思います。
2012年も「共同体社会と人類婚姻史」ブログを、よろしくお願いいたします。
明日は「代々木忠氏」を取り上げる予定です。楽しみにしていてください。

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