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発見の学問=民俗学から学ぶ「脱・教科書」への道~柳宗悦による追求。民藝から学ぶ技術伝承~

民藝1

前回 [1]は「共同体の答えの出し方」というテーマの下、宮本常一氏の村落共同体の実態、そこから現代に活かすことのできる要素を抽出しました。今回は、柳宗悦氏を切り口として『技術の保存・伝承』をテーマに、明治時代から始まった民藝運動に着目します。

現在、産業の生産基盤を日本から海外へ移す企業が多い状況にありますが、この先技術の保存・伝承についてどのように考えているのでしょうか。人件費、土地代、建設費等の経営上の問題からそのような判断に至ると考えられますが、そのような状況下でも日本の技術は日本で受け継ぐ!という企業も存在します。またサラリーマンではなく、職人として技術を身に付けていこうとする若者も増えてきています。

 

民藝に着目し、日本各地を巡りながら品々の保存・収集の活動を明治時代に開始した柳宗悦はまさに技術の保存・伝承の先駆者でした。日常的な暮らしの中で使われてきた手仕事の日用品の中に「用の美」を見出し、活用する日本独自の運動(民藝運動)を日本へ広めた人物です。個人主義が広まりをみせる中で庶民が生み出す日用品に着目した柳氏は民藝をどう捉え、考えていたのでしょうか。

■民藝の魅力とは

柳氏が民藝について追求し始めた今から100年前、日本に西洋文化が入ってきます。生活様式や建築物で西洋の様式が浸透していきますが、もちろん芸術の分野においても西洋の文化が入ってきます。

■民藝=日用品

民藝という言葉を皆さん知っているとおもいますが、この言葉は柳氏が1925年に作り出します。

民藝とは、民衆が日々用いる工藝品との義です。それ故、実用的工芸品の中で最も深く人間の生活に交る品物の領域です。それ故民藝とは民器であって、普通の品物、すなわち日常の生活と切り離せないものを指すのです。「柳宗悦:民藝とは何か」より

 

器など [2]

上記の言葉にあるように、民藝とは特別なモノではなく我々の生活に密着した身近な品々なのです。では、柳氏は民藝のどこに魅力を感じていたのでしょうか。民藝に寄せる想いが現れている柳氏の言葉です。

 

・私は私自身をここに主張するのではなく、よき作品が示す工藝の意義を、そのまま忠実に伝えたいと思うのである。この問題が投げる抛物線は広くかつ深い。美に結合し、生活に参与し、経済に関連し、思想に当面する。工藝が精神と物質との結合せる一文化現象として、将来異常な学的注意を集めてくることは疑いない。

・されば地と隔たる器はなく、人を離るる器はない。それも吾々に役立とうとてこの世に生まれた品々である。それ故用途を離れては、器の生命は失せる。また用に堪え得ずば、その意味はないであろう。そこには忠順な現世への奉仕がある。奉仕の心なき器は、器と呼ばるべきではない。

・ここに「用」とは単に物的用という義では決してない。(中略)用とは共に物心への用である。物心は二相ではなく不二である。

・人々は美しい作を余暇の賜物と思ってはならぬ。休む暇もなく働かずしてどうして多くを作り、技を練ることができるであろう。汗のない工藝は美のない工藝である。

 

各地 [3]

民藝とは、土地の風土に根ざし、自然の素材を活用し、人々の生活の中で歴史的に使用されて、伝承されてきたモノです。多くの人々に使われる日用品は、大量に作り出されますが現代的な工業製品の大量生産とは異なります。工人が手作業でいくつも作り上げる中で、技が磨かれ作り手の想いがそのモノへ入っていきます。まさに作り手の応望性が反映されるのです。柳氏は、各地の土着性がモノに反映されているところに魅力を感じたのだと考えられます。

 

■西洋発の芸術とはどのようなモノか?

柳氏が比較対象としていたのは、高貴なモノや芸術品でした。現代の芸術に繋がる源流はどこから始まるのでしょうか。歴史的に捉えてみます。以下、引用文です。

 

中世までの社会における芸術は、宗教的世界観(とその支配力)を表現する為のものでした。このような宗教的世界観を表現してきた芸術は、ルネッサンスを起点として人間的世界観=「個人の自由」を表現する方向に転換して行きます。その後の芸術世界は「個人主義」をその根幹として、益々個人の価値観や思想性を重んじる方向へと偏重して行き、最後にはわけのわからない個人の精神世界を描いたものが「芸術」としてもてはやらされるようになりました。近代思想が世界に広まったことに付随して、このような芸術観が世界に広がり構築されていったのが、現代的な芸術世界だと思います。本源時代・私権時代の芸術史観と次代の芸術 [4]

 

個人主義の芸術とは、特定のパトロン(個人)に応える事で成り立っていました。そこでは個人に応える事が生業となり芸術が一つの仕事となったのです。また、芸術は近代思想に付随して発展してきた市場と密接な関係があります。

 

ルネサンスとは、莫大な富を蓄えた商人・金貸しが、その資金によって何万人に一人の天才を集め、恋愛観念とそれを正当化する思想を欧州全域に広めた時代だと言えます。これは、まず、芸術家・知識人・建築家といった知的エリート(茶坊主)という存在にお墨付きを与えました。そして、彼らにつくらせたルネサンス作品を通じて、快美欠乏が欧州の人間たちの間に広がり、性市場→商品市場をさらに拡大する原動力となってゆきました。近代市場の成立過程(5)~ルネサンス:金貸しによる恋愛観念の布教 [5]

 

 

民藝に着目した柳氏は、この市場原理に組み込まれた芸術や高貴な品々が美しいと評価を受けることに、大きな疑問をもっていたのです。柳氏は、民塾の美しさとは、自然の働きを素直に受け入れた、自然への帰依が原点にあるのではないかと記しています。

 

・無心とは自然に任ずる意である。無学であった工人たちは、幸にも意識の慾に煩わされることなく、自然の働きを素直に受けた。無心の美が偉大であるのは自然の自由に活きるからである。この自由に在る時、作は自ら創造の美に入る。近代の作に創意を欠くのは、自然への帰依が薄いからと云えないであろうか。

・されば工藝の美は伝統の美である。作者自らの力によるものではない。(中略)よき作を守護するものは、長い長い歴史の背景である。今日まで積み重ねられた伝統の力である。そこにはあの驚くべき幾億年の自然の経過が潜み、そうして幾百代の人間の労作の堆積があるのである。柳宗悦

 

また、原始芸術とは感謝の表現であるとの記事もあります。

 

光と生命の源の太陽、そして生命を生み出す女性、食料などの恵みを与えてくれる海・・・それらに対する感謝の念を壁画と言う形で表したのではないでしょうか。例えば、日本の縄文土器や土偶、また未開部族の踊りなどにも同じような「生命への感謝」を感じます。

本源集団にとっての芸術や芸能とはまさに「感謝」の表現に他ならず、その「感謝」をみんなで共感・共認し活力に繋げていく方法論であったのではないかと思います。(恐らくそこには現代的視点から見た「芸術や芸能」と言う意識は全くなかったと思いますが)本源時代・私権時代の芸術史観と次代の芸術 [4]

 

 

■まとめ

柳氏の活動開始から100年近く経とうとしていますが、民藝と芸術を比較してみると、民藝が多くの人々を対象としていることに気付きます。芸術が特定のパトロン(個人)の快美欠乏に応える『個人発の芸術』であるなら、民藝は、人々の生活や自然への感謝を表現した『みんな発の芸術』と捉えられます。土地に学び、先人に学び、それを次代に繋げてゆくこと、そして学ぶことは真似ること。それが柳氏が目指した技術の伝承なのです。

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