2014年02月27日
発見の学問=民俗学から学ぶ「脱・教科書」への道2~宮本常一の伝聞による共同体の答えの出し方~
みなさんこんにちは。前回から始まった新シリーズ「発見の学問=民俗学から学ぶ『脱・教科書』への道」ですが、今回は、「共同体の答えの出し方」をテーマに据え、50年以上も前の村落共同体の事例に学んでいきます。
現代に生きる私たちにとっても、重要な気づきがあると思いますので、ぜひ、ご一読ください♪
現代社会において、多くの企業は、肩書きや身分の序列によって統合されており、社長や組織のリーダーが方針を決定して課題を下へ指示するという「トップダウン」が一般的です。
しかし、1970年豊かさが実現し、生存圧力が消滅したことによって、それまで働いていた私権圧力は、衰弱していきました。
それにより、上から強制的に命令を下しても有効な圧力にはならず、指示を受ける側の社員の活力は衰弱していってしまいます。
指揮系統が無効化し、ミスの隠蔽や誤魔化しが蔓延。トップダウンのやり方では、組織は統合されず、ますます企業の状態は悪化してしまいます。(リンク)
一方で、「みんな平等に権利を持つ=民主主義で答えをだしていく」という方法も考えられます。
現代では、選挙にせよ、国会にせよ、多数決を取り過半数の意見を採用していくのが常識です。しかし、多数派に少数派が従うという序列で統合している方法では、本当の答えにたどり着いているとは言えません。
加えて、多数決で方針を決める民主主義には欠陥があることは明らかです。
成員の大多数が、ほとんど何も学ばず、何も知らない状態で、権利だけが平等に与えられ、自分勝手に「発言権」や「評価権」を優先させてしまうという点です。民主主義は正しいと信じ込んでいる人は、学ぶことをせず、身勝手な要求ばかりをする何も考えない無能な人間になってしまいます。それでは、当然、組織は統合されず、答えは出せるはずもありません。(リンク)
今の時代、「トップダウン」でも「民主主義」でも、答えは出せないことが明らかです。では、どうしたらいいのでしょうか?これこそ、本ブログの追求テーマです。
今回は、徹底したフィールドワーク調査をもとに民俗学の新境地を切り開いた、宮本常一の認識をヒントに共同体の答えの出し方を探ります。
トップダウンとも民主主義とも違う、答えの出し方が村落共同体に見ることができます!
以下、宮本常一「忘れられた日本人~対馬にて」(1960刊行)より
いってみると会場の中には板間に20人ほどすわっており、外の樹の下に3人とか5人かたまってうずくまったまま話し合っている。雑談をしているように見えたがそうではない。事情を聞いてみると村で取り決めを行う場合には、みんなの納得のいくまで何日でもはなしあう。はじめは一同があつまって区長からの話をきくと、それぞれの地域組でいろいろに話し合って区長のところへその結論をもっていく。もし折り合いがつかなければ、また自分のグループへもどってはなしあう。用事のある者は家にかえることもある。ただ、区長・総代は聞き役、まとめ役としてそこにいなければならない。とにかくこうして二日も協議がつづけられている。この人たちにとっては夜も昼もない。ゆうべ暁方近くまではなしあっていたそうであるが、眠たくなり、いうことがなくなればかえってもいいのである。(中略)
この寄りあい方式は近頃はじまったものではない。村の申し合せ記録の古いものは二百年近いまえのものもある。それはのこっているものだけれどもそれ以前からも寄りあいはあったはずである。七十をこした老人の話ではその老人の子供の頃もやはりいまと同じようになされていたという。ただちがうところは、昔は腹がへったら家へたべにかえるというのではなく、家から誰かが弁当をもって来たものだそうで、それをたべて話をつづけ、夜になって話がきれないとその場へ寝る者もあり、おきて話して夜を明かす者もあり、結論がでるまでそれがつづいたそうである。
といっても三日でたいていのむずかしい話もかたがついたという。気の長い話だが、とにかく無理はしなかった。みんなが納得のいくまではなしあった。だから結論が出ると、それはキチンと守らねばならなかった。話といっても理屈をいうのではない。一つの事がらについて自分の知っているかぎりの関係ある事例をあげていくのである。話に花がさくというのはこういう事なのであろう。(中略)
そしてそういう場での話しあいは今日のように論理づくめでは収拾つかぬことになっていく場合が多かったと想像される。
そういうところではたとえ話、すなわち自分たちのあるいて来、体験したことに事よせて話すのが、他人にも理解してもらいやすかったし、話す方もはなしやすかったに違いない。そして話の中にも冷却の時間をおいて、反対の意見が出れば出たで、しばらくそのままにしておき、そのうち賛成意見が出ると、また出たままにしておき、それについてみんなが考えあい、最後に最高責任者に決をとらせるのである。これならせまい村の中で毎日顔をつきあわせていても気まずい思いをすることはすくないであろう。と同時に寄りあいというものに権威のあったことがよくわかる。
村落共同体では、「全員一致の合意形成を経て、長老が最終的な決定を行う」ということが行われています。
特別な教育を受けたわけでもない普通の人たちが、あらゆる角度から物事を捉え、潜在思念までをもすり合わせて答えを出していく追求姿勢を備えていること。そして、そのような場を創りだしていることは、追求の時代である現代に欠かせない重要な事実です。
加えて、三日三晩にも及ぶ寝食を共にしたすり合わせは、「100%合議」に対しての妥協の無い強い意志を感じます。
私が所属する部門でも、震災以後、急激に変化する人々の意識(期待)に応えていくためにも、これまでにない新たな価値を生み出せる、新たな体制構築が必要な状況にあります。
先人たちに学び、自分たちが直面する課題を粘り強く、すり合わせていきたいです。
村落共同体における「答えの出し方」をまとめると、
①論理以前の実感を具体話ですり合わせる
→論理づくめでは収拾がつかないため、たとえ話や自分の体験したことに事よせて、相手に分かりやすい工夫をしている。
②結論を急がずに、いろんな切り口で追求を深める
→一つの事がらについて自分の知っている限りの関係ある事例を挙げていく。
③そのベースには肯定視がある
→一旦出た賛成/反対の意見に対して、即決せず、まずは受け入れ、時間を置いて寝かせたり、他の話を例えに出して議論する。
事例のような、合意形成を経て出された方針なら、その後もずっと守られる規範として在り続けるだろうと感じます。
皆が委ねられる存在=長老が、最終的に決を取り、物事を進めていくことができるのも、共同体ならではの強みです。
次回は、民藝運動を牽引した柳宗悦を取り上げていきます。お楽しみに♪
- posted by KIDA-G at : 2014年02月27日 | コメント (0件)| トラックバック (0)
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