日本婚姻史のターニングポイント2
→母系から父系へ、そしてついに嫁取婚=家父長婚に転換していく背景を、岡さんの投稿を皆で読解しました。
日本婚姻史11 嫁取婚~室町安土桃山江戸~ [1]
この時代は、時代の主人公が「公家や貴族」から、「武士」へと主導権が移り変わる時代です。
また、その新たな支配階級(武士)が力をのばしてくると、庶民階級である農民は自衛手段として自治組織「惣」を組織し、抵抗しました。
武士勢力と庶民勢力のぶつかり合いの中で、いったい婚姻形態はどの様に変貌していくのでしょうか?・・・興味が湧きます。
🙄 庶民にとって「嫁取り婚=家父長婚」は受け入れられるものだったのでしょうか?
まずはいつものやつを・・・。

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武家社会となり、勢力が拮抗した武士同士で武力闘争が激化するにいたり、ついに婿取婚から完全な嫁取婚へと移行するのは、上記の様に私権闘争に勝つ為に、集団内で男残留の為に全ての産を受け継がせる必要からだと考えられる。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2009/02/000521.html [5]
にある様に、支配者層は武力闘争の激化にって私有意識は強まり→私婚化という流れは想像できます。
また、男が私有財産を確保したとするその対象は「家」であり、血縁関係の事を指す様です。
家父長婚の目的は、「家」として象徴化されている私有財産の純父系的相続にある。
氏産、家領の枠内で男女個々人が分割私占する私産制が崩壊し、家産、つまり家父長掌握の財産制の時代に入ると、妻子は無産者、被扶養者となり、家父長の財産のみに依存することになる。家父長はその財産を、自己の延長としての嗣子につがせる。ここに純父系的相続の手段として、歴代相承けて、純父系的な「家」が成立するのである。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2007/08/000235.html [1]
ここで疑問なのが、その私婚化の流れは著者(高群逸枝女史)によると広く一般化していくとありますが、庶民までもがこんなにも簡単に浸透していったのでしょうか?
生産様式的にもなかなか考えにくい・・・。
その理由として・・・、
①そもそも農業は共同作業であり、共同体が大前提
②支配者層に対して抵抗をするための闘争力を強める事はあっても、私有に繋がるものでは無い
③共通した集団課題が多く、自治意識が高い=後に「惣」システムを構築などが言えます。
特に、この時代に特に顕著なのが、「惣」システムです。
惣村では百姓の「自治的・地縁的結合」による一致団結が前提となり、「掟」が重視された自治組織集団です。
中世日本における百姓の自治的・地縁的結合による共同組織(村落形態)を指す。(中略)
惣村の結合を維持するため、寄合などで惣掟(そうおきて)という独自の規約を定め、惣掟に違反した場合は惣村自らが追放刑・財産没収・身体刑・死刑などを執行する自検断(じけんだん)が行われることもあった。追放刑や財産没収は、一定年限が経過した後に解除されることもあったが、窃盗や傷害に対する検断は非常に厳しく、死刑となることも少なくなかった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%A3 [6]
これにみられるように、村(農業)の維持発達が主目的であって、共通課題によって統合されている事が分かります。
要するに、
「私有」
という概念は入る余地が無いと言うことが覗えます。
(とはいえ、当時は制度的な強制力も働いていたわけですから、(私婚制を)受け入れざるを得ない状況もあった。)
まとめると・・・
支配者層:「家」で統合されている
家父長婚=嫁入り婚」
農村庶民層:「惣」で統合されている
見かけ上は嫁入り婚・・・実態は「惣」の長or皆が認める?
この後、どの様に変化していくかに興味が湧きます。