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本格追求シリーズ1 人類の”性”の本質を探る<人類の性欲構造3 本源の性とは?その性欲のスイッチは?>

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先日の記事「本格追求シリーズ1 人類の”性”の本質を探る<人類の性欲構造1 現在の性のいきづまり>」 [1]及び「本格追求シリーズ1 人類の”性”の本質を探る<人類の性欲構造2 私権時代特有の自我・独占の性>」 [2]で、現在は自我・私権の性が衰弱していることが明らかになりました。
また、今までの追求から、人類の性には歴史上、大きく分けて本源の性、自我・私権の性という2つの性が存在していると考えられます。
自我・私権の性が衰弱し、今後もこれが再生することは論理的にありえないことから、今後の可能性としては極限時代からの性のあり方である本源の性に可能性があるのではないかと考えられます。
そこで、今回は「本源の性とは?その性欲のスイッチはどうなっている?」ということを考えてみたいと思います。
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まず、本源の性とは何か、イメージをするために、るいネット [4]から投稿をいくつか引用します。

>ふたりの体から緊張がとけてきたなと感じられたら、キスと愛撫を非常にゆっくりはじめる。
>性器の興奮に集中するのではなく、絶えず深呼吸して全身を楽にする。
>女性が濡れてきたら、性器同士が触れ合うところから始まり、徐々に深い結合に向かっていく。ただし、挿入は絶対に必要というものではない。絶対に必要なのは、男性が女性に肉体的に挿入するよりも、性的、情動的、精神的エネルギーの相互挿入の方である。


「イクためには、100パーセント自分を開き、自分を明け渡さなければならない」
「(愛おしい、愛おしい。好き、好き、大好き。全部包んであげる)という気持ちに女性がなったとき、どちらがどちらの体ということではなく、まさにお互いが自分の体の一部になる」
「自分に足りない部分を相手から補って等分にしようとするのではなく、自分に多い部分を相手に与えて等分にしようとしたとき、二つに分かれてしまったものは元の一つに戻ることができる」


そこでウソをつくのをやめてみたらどうでしょう。うわべの理性や強迫観念をすててスケベな気持ちに素直になってみるとセックスの本当のところ(本能かそれに近い部分の充足感)が判ってくるかも知れません。


以上が本源の性についての記述の紹介です。少し前に各種書籍等で話題になったポリネシアンセックスもこのひとつと考えてもいいのではないでしょうか。
そして、次に性欲のスイッチが入る構造について、もう一度るいネット [4]から引用します。

性というのは本来、女発の「充たして」という挑発・欲情が先にあって、その女の挑発・欲情を見て男も欲情し性欲が生起していたのだと思います。
そして女発の「充たして」という性充足期待と、男側の「充たしてあげる」という意識は、男の「守ってあげる」という庇護意識、責任意識ともピッタリ重なり合い、「女を充たせるのがいい男」という役割規範と共に男側の性欲は飽きる事無く生起していたのだと思われます。


ここまででわかることは、
・本源の性とは性的、情動的、精神的エネルギーの相互挿入=最大の共認充足である
・そのためには100パーセント自分を開き、自分を明け渡さなければならない
・男の性欲のスイッチは庇護意識であり、そのスイッチを入れるのは女発の性充足期待であるようだ

ということです。
ここで、現在の意識潮流全体の方向性としては共認収束の流れにあり、論理的にはこの共認収束の潮流が本源の性へ繋がっていく母胎になるのではないかと考えられます。しかし、まだ実感としてすぐに繋がっていく感じはしません。
この断層は何なのでしょうか?この点について、仲間で議論してみました。
・本源の性には不可欠な要素である、「心を開く」ということができていないということでは?
→この正体は?自我?強迫観念や規範意識?共同体としての安心基盤?
→これらの意識も置かれている環境によって生み出されていると考えられるため、やはり共同体としての安心基盤がないことが根本原因ではないか。
つまり、集団のみんなが性を含めた「人」を全面的に肯定し、開きだしているというような共認基盤がなければこの壁は突破できないのでは?また、更に現在の一対婚制度や規範観念が壁として立ちはだかっている。
⇒この共認基盤を作っていくにはどうする?ということが課題であり、可能性
・社会不安が高まっていることで、女の不安が増大し、目先の制度・観念に収束している
→一対婚=独占関係に目先収束するため、結局常に不安は消えない
→心が開けない
→つまり、女も男にどうやって、何を期待したらいいのかわかっていない状態
⇒社会不安に対する可能性が見え、安心基盤が再生すればこの壁は突破できる
⇒まずは女は男に対し、安心基盤を作ってほしいという期待を投げ掛け、男はその期待に応えて闘うことが可能性
・現在は「性」の問題を個人の問題として捉えているが、かつては「性」を集団の課題と捉えていたようだ。
→この違いが大きいのではないか。私権に収束していた頃はまだよかったが、私権に収束できなくなった以上、一人で抱え込めば抱え込むほど、性忌避→セックスレスが進行していく
⇒性を個人の課題としてではなく、集団の課題として捉えることが必要。集団の課題として捉えられて始めて庇護可能性が開かれ、男の性欲のスイッチが入るのでは?
重要なのは、個人の庇護意識というように捉える限り、本来的な性欲は生起しないということ。極限時代の人類もそうであったように、男も集団全体で守ってあげるという意識にかわってはじめて庇護意識が男の性欲にスイッチを入れることになるのではないかと考えられます。
では、ここに繋がっていきそうな最近の意識潮流における萌しはあるかと考えると、
・女子社員を部下に持つ男性会社員が真剣に指導について考えはじめている事例の増加
・性を一旦棚上げにして課題に向かっている男の意識も、最終的にはここに繋がっていくと考えれば、可能性と考えられる
といった話がありました。
今回の追求は以上です。今後、継続して本源の性の可能性について追求していきますので、続きの記事にも是非期待してください
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