- 共同体社会と人類婚姻史 - http://bbs.jinruisi.net/blog -

縄文人の世界観~動いて循環しているからこそ世界は調和する~

[1]

※画像はこちら [2]からお借りしました。

 

八百万の神々を身近に感じ、目に見えない存在との繋がりや循環を大事にしてきた縄文人。

 集団の中心にあった“自然の摂理≒精霊観”とは?①~生命の根源にある摂理は「循環」 [3]

 集団の中心にあった“自然の摂理≒精霊観”とは?②~「何をどうしたら循環させられるのか」 [4]

 縄文人の世界観~万物の命の巡り、命の再生が自然の摂理1 [5]

 縄文人の世界観~万物の命の巡り、命の再生が自然の摂理2 [6]

 縄文人の世界観~見えぬものにこそ本質が隠れている~ [7]

 

科学技術も発達していない当時に、これほど的確に万物の摂理を捉えていたことは驚くべきことですが、実は、環境も生産様式も全く異なるインディアンの世界観も、縄文人のそれと非常に共通しているのです!

 

【インディアンの教え(イロコイ族)】

二本足も四つ足も、大地も大空も、すべてはつねに動いている。ただちがうのは、その動きが速いか遅いかだけである。すべては生きている。石であれハマグリ(中身も貝殻も)であれ、すべてはエネルギーをもち、それゆえに生きているのだ。さらにそれぞれは、ほかの場所のほかの現実とも関係し合っている。

宇宙は三次元のクモの巣のようなもので、二本の糸が交差するすべての点が、ほかのあらゆる点と繋がっている。<大いなる生命の織物>のどの部分を触っても、かならずほかのあらゆる部分に影響を及ぼすだろう。ようするに、ありとあらゆる存在がつながっていて、ほかのあらゆる存在と関係し合っているということだ。だとしたら、私たちは宇宙の中で兄弟姉妹だとは言えまいか。

すべての要素のあいだに本当のバランスがとれたとき、一つの輪が生まれる。バランスの悪い輪は卵型になる。<一族の輪>がまんまるであるためには、相違を持つさまざまなものどうしでもバランスがとれていなければならない。そうした相違としては、老いと若さ、女と男、四つ足を狩る者と種を植えてその実を集める者、などがあげられる。さらに対比の要素は二元とはかぎらず、四元だったり多元だったりするかもしれない。バランスはつねに継続の必須条件である。

※『一万年の旅路(ポーラ・アンダーウッド著:星川淳=訳)』より抜粋

【インディアンの教え(ナヴァホ族)】

俺は大地の果てまで出かけてみた。俺は水の涸れ果てるところまで出かけてみた。俺は空がおしまいになるところまで出かけてみた。俺は山のつきるところまで出かけてみた。
そして、俺は自分の友でないものなど、ひとつも見かけなかった

 

インディアンと縄文人に共通するのは、全てはエネルギーを持ち、生きて動いており、繋がり合って影響し合って循環しているということ。

またインディアンは、だからこそ我々は仲間(兄弟姉妹、友)であり、一つの同じものであると言います。

つまり、目に見えるものも見えないものも、全ては動き、繋がり、循環するからこそ、万物は一体化し、バランスや調和がとれるのではないでしょうか!

 

相手と一体化したい、物事を上手くいかせたいと言いながら、自分だけ、その場だけ、目の前の相手だけ、目先の課題だけ・・・となりがちな私たちですが、「全ては動いて循環しているのだ」と捉えると、気持ちや行動が変わっていきそうです。

[8] [9] [10]