RANKING
にほんブログ村 歴史ブログへ
NEW ENTRIES
RECENT COMMENTS
RECENT TRACKBACK

2022年08月27日

集団の中心にあった“自然の摂理≒精霊観”とは?②~「何をどうしたら循環させられるのか」

前回記事では、縄文人が生命の摂理を循環であると認識していたのではないかと追求しました。
生死、男女の性などの「生命」を「循環」と捉えていたのなら、「何をどうしたら循環させられるのか」という意識が主軸になっていたのではないでしょうか。

 

■循環していった人々の祈りや叡智の結晶

「何をどうしたら循環させられるのか」という意識は出土物からもうかがうことができます。

 

・土偶

土偶は飾るためではなく、土偶に込められた霊魂を広くいろいろな場所に配布できるよう、壊され、一部をそれぞれ持ちかえり、廃屋になった住居の窪みやムラの各所に納めたり、自分の住居の中に埋めたりされていたのではないかと考えられています。

例えば、富山県八尾町長山遺跡の土偶の多くは頭部・腕・胸部・でん部・脚部を別々に作り、それらを組み合わせて一体の土偶を作っていますが、それぞれの破片は離れた場所から出土しています。

 

・地鎮祭

大地に埋めて循環させるという点では、現代に残る地鎮祭も同様と言えそうです。富山県大山町東黒牧上野遺跡では竪穴住居の柱穴から土偶が出土していたり、弥生時代になると高床式住居の地面から勾玉が発見されています。

大地の神を鎮めるための鎮物として、人々の祈りや叡智の結晶である土偶や勾玉を捧げていたのです。

 

・黒曜石

他にも、刃物や鏃等に使われていた黒曜石は、貴重なものにもかかわらず、自集団を超えて他集団に渡っていたこと分かっています。
伊豆諸島神津島、長野県和田峠、北海道白滝、日本海男鹿・隠岐、九州姫島・阿蘇山・腰岳など産出地はある程度限定されるのにも関わらず、隠岐産の黒曜石などは、中国地方、さらには、日本に止まらず朝鮮、さらにはウラジオストクやナホトカ周辺まで運ばれて使用されていたようです。

画像はこちらからお借りしました。

 

縄文時代、人々の中心にあったであろう祭りこの祭りも、「循環」のためだったとも考えられないでしょうか。
お供え物、捧げものに始まり、祈り、歌、踊り、、、など祭りにある人々の様々な行為を、恵みを与えてくれているものへのお返しだったと想像するのは、難しいことではありません。

 

画像はこちらからお借りしました。

 

■“自然の摂理≒精霊観”の中核にあった「循環」

「循環」は、現代人が持つ「私有」「所有」という観念と真逆のもの。
もし、縄文人が、家庭・社会・自然などの環境や、人々の肉体・精神など、至る所で行き詰まっている現在をみたら、「全ては循環している。自分のところに留めている(私有している)ものが一つでもあるのなら、上手くいかないのは当然。」と思うかもしれません。

縄文時代の“自然の摂理≒精霊観”の中核にあった「循環」という摂理。この最も根源的ともいえる「循環」という観念から、改めて、生死や男女、集団を捉えなおしてみたいと思います。

> List 

trackbacks

trackbackURL:

comment form
comment form