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原始日本の共同体性2~共食共婚に見る、一体化充足に満ちた原始の日常世界

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(画像はコチラ [2]からお借りしました)

前回の記事で紹介したように、この【日本婚姻史シリーズ】では、日本の原始時代からの婚姻史・性の持つ役割に焦点を当てながら、どのような集団統合を果たしていったのか、ということを掘り下げていく予定です。

 

ちなみに、縄文時代から日本人の歴史は約1万年以上あると考えられていますが、婚姻形態において文献史料として残されているものは、あくまで明日香・奈良以降1400年間の支配階級周辺のものが中心となっています。

つまり、日本人における集団の本来持つ体質や集団の根本規範を探ろうとすると、日本の歴史の大部分を占める縄文あたりの様子を追求することが重要になってきます。

その中でも、大陸からの文化が入ってくる前の縄文時代以前の性を紐解いていくことで、より共同体としての集団のあり方が見えてくることでしょう。

 

※以降、本シリーズでは注記無き限り引用元は、「日本婚姻史」高群逸枝著によるものとします。

 

■共食共婚で集団が統合されていた原始時代

 

>わが始原社会は農耕を知らない自然物獲得の時代として捉えられ、その住居跡などは、遡れば遡るほど簡単で、移動性が顕著である。縄文早期の花輪台住居跡は、いままでに発見された中で一番古いとされているもので、数個の竪穴からなっているが、 その一つを見ると、面積約25平方メートル、5ー6人程度の収容能力が考えられ、まだ炉の跡もなく、 移動性が濃厚に認められるという。

 

>群は必然に孤立的で、洞窟や竪穴式・平地式住居に住み、共食共婚であったろうと思う。つまり同じ火をかこみ同じ性を分け合っていたのであろう。だから共食共婚こそ同族の特権であり、連帯性の基礎であるとされたのであろう。古語のヘグヒは共食、イモセは兄弟姉妹間の夫婦関係を意味するが、これらは群時代の共食共婚の俗をうかがわせる。一つ鍋の食事(つまりヘグヒ)をすれば同族になり、同じ女を分け合えば兄弟分になれるという後代の俗もこの群段階からの遺制であろう。(p.14 「1.族内婚というもの 共食共婚」)

 

移動しながら狩猟採集していた原始時代、群単位の集団において、食と性は皆で分け隔てなく共有されていたという記述です。

ここから、以前取り上げていた観念機能の構造と合わせてみるといくつか興味深い追求ポイントが見えてきます。

 

◯充足としての食、性を分け合っていたからこそ、高い追求力を生み出すことができた?

 

人類の追求の原動力は何か?①~同期と一体化と観念機能〜 [3]の記事で扱った図解にあるように、人類は対象との一体化の過程で同期・共振することで得られる麻痺物質により充足回路が働きます。そして、充足を味わったからこそ、非充足・不整合発の追求ができる≒追求する基盤には充足があるということが言えます。

縄文人は、仲間と食・性を分け合い、より集団内での一体化充足を高める、つまり日常的に充足で溢れていたことによって、結果として追求力・観念機能も進化していったのではないでしょうか。(ちなみに、現代のように個人の所有意識が混ざった途端、一体化欠乏発の充足も封鎖されるため、縄文の時と比べると追求力は落ちているのではとも捉えられます。)

 

◯そもそも、1万年もの縄文時代において集団規模が大きく変わらないのはなぜ?

 

上述にある通り、群は5〜6人が入れる住居が数個ある、数十人単位の規模で暮らしていたことが伺えます。もちろん時期によって多少の変動はあるでしょうが、1万年もの間、群単位の集団規模が大幅に拡大しなかったのはなぜなのでしょうか。

ここで繋がりそうな視点が,全ての生物にとって、30~100匹の集団単位として生存しているということです。サル・人類の共認機能も、互いの意図や評価が見える範囲の30~100匹を前提として形成されてきたと考えられています。

観念機能を身に着けた縄文人も、この程度の集団規模を維持していたということは、自然の摂理に根差した集団構造、調和を優先していたということでしょうか。また、定期的に拠点を移動しながら生活していたということも、自然界のバランスを壊さないように(食べ尽くさないように)、万物との一体化を感じ取っていたとも見ることができるのではないでしょうか。

 

◯女は、より集団の一体化を増幅するため、性周期も揃えていた?

 

祭事での共婚行事の場においては、集団の男女が分け隔てなく入り交じっていたとされています。また、「縄文人の世界観 ~再生と甦りを象徴した月」 [4]にあったように、祭事は月の周期≒女性の性周期と合わせて行われていたのではということを扱いましたよね。

この時に可能性として考えられるのが、女性が仲間同士でも性周期を揃えていたのではないかということです。

現代でも、友人や同じ空間・部署内の女同士だと生理のタイミングが一緒になることもありがちな話と聞きます。

ボス集中婚においてはボスに守ってもらうために周りのメスたちは生殖のタイミングをずらしていきますが、縄文では男女それぞれでの格差はなく、より皆で一体になる方がエネルギーも共振⇒増幅できるため、女で性周期を揃えていったのではないでしょうか。

つまり何であれ、より集団・周りの環境と一体化し、充足を得られる方向で生活を営んでいたということが特徴としてありそうです。

本シリーズでは引き続き、このあたりを深めていきたいと思います。

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