このシリーズでは我らモンゴロイドの歴史を紐解き、人類史におけるモンゴロイドの可能性の道を追っています。
これまでのシリーズの紹介は次のとおりです。
1.人類史を追求する意義と視点 [1]
2.人類の出アフリカとモンゴロイドの誕生 [2]
3.原モンゴロイドの北上 [3]
4.南方モンゴロイドの拡散 [4]
これまでのシリーズでは、500万年前にアフリカ大陸で誕生した人類が、気候変動に伴う環境変化でアフリカ大陸から三大グループに分散してアフリカ大陸から出て、東へ進路をとった原モンゴロイドがユーラシア大陸を北上していく流れと、その後ユーラシア大陸の南東部(スンダランド)に定住した南方モンゴロイドの1.4万年前~6千年前の温暖期における拡散を紹介してきました。
[5]
<スンダランド>
今回のエントリーでは、スンダランドから拡散した6つの南方モンゴロイドのグループの中から、
<北方へ移動して適応したモンゴロイド=新モンゴロイド>を紹介したいと思います。
ポチッ
と 応援お願いします。
[6]
●北方適応した新モンゴロイド
[7]
<人類の拡散ルート>
これまでのシリーズでも紹介したとおり、アフリカを出て東方に向かった人種=モンゴロイドは、当時(7万年前)は地続きであった今の東南アジアの大陸「スンダランド」に5万年前までには到達し、その気候に適応して形質が固っていきました。彼らを「スンダモンゴロイド」と呼んでいます。
しかし1.4万年前から6千年前の温暖期により、「スンダランド」が水没したため、そこから大きく6つのグループに分かれて拡散していきます。
そのグループの中の1つであるO型モンゴロイドは、メコン川などの大河を伝って、チベット高原からパミール高原・タミル盆地へ北上し、そして1万年前にはアルタイ山脈~モンゴル高原に到達して北方適応し、現存する北方モンゴロイドの祖となります。
ほとんどが絶滅してしまったC型の北方モンゴロイドと区別するために、この新しく登場した彼らを【新モンゴロイドO3】と呼びます。
このO3モンゴロイドはこの後、中国へ進出すると、豚の家畜化に伴って強い免疫力を獲得したためと思われるが、中国人の主流となって行きます。
そして現存する中国人は、華北では66%、華南でも33%、チベットでも33%がO3タイプになっています。
[8]
<Y染色体亜型の世界分布>
[9]
<新モンゴロイドの移動図>
〇気候変動と新モンゴロイドの変遷
チベット高原~タリム盆地のモンゴロイドが、温暖期に入って北上し、アルタイ山脈~モンゴル高原に到達した。彼らはここで人口を増やし、部族としての形質を固めていきます【新モンゴロイド(O3)(原アルタイ族)】。
なお、彼らは垂直的な上天信仰、厳しい自然条件に適応するためのシャーマニズム、熊神信仰、冬祀りなどの特徴を持っています。
[10]
<モンゴル高原>
[11]
<気候変動グラフ>先史時代ワールドモデルの構築 [12]からお借りしました
・1.4~1.2万年前:ヤンガードリアス期(小寒冷期)
気候の寒冷化が-6℃/100年,温暖化が7℃/50年。この劇的な気候変動の中では植生も急速に変化して行きます。
このような環境変動の逆境において、人類は農耕・牧畜といった人為的かつ安定的な生産様式を徐々に獲得して行きます。
気候変動の逆境において、新モンゴロイドは豚の家畜化によって強い免疫力を獲得したため、ほとんど絶滅してしまったC型の北方モンゴロイドとは異なり、現在にまで中国を中心として数多く継承されていると考えられるのです。
(1)8200年前からの一時的な寒冷期などもあって南下した部族の最先端は、農耕民と接触し農耕を始めたと考えられる。(8200年前には遼河流域でツングース族?の興隆窪文化。7000年前?には、扶余族が半島北部に登場)
(2)7500年前からの気候最適期に更に人口を増やし、バルハシ湖周辺のテュルク族(トルコ族)、モンゴル高原のモンゴル族、日本海西部沿岸のツングース族に分化し、拡大していきます。
(3)元々、母系社会であったが、6000年前?に遊牧に転じて以降、父系社会に転換しました(or 5000年前以降、略奪闘争→力の原理によって父系社会に転換した)。
新モンゴロイドは「トルコ族」「ツングース族」「モンゴル族」に分化するが、その後中国に進出し、中国人の主流となっていくのです。
参考記事
●’10年末なんで屋劇場レポート3~南方モンゴロイドの拡散と新モンゴロイドの誕生 新しい北方適応モンゴロイド=新モンゴロイドの登場 [13]
●モンゴロイドの歴史④ 1万年前~6000年前 新モンゴロイドの誕生と拡散 [14]
●500万年間の気候変動 [15]
次回は「モンゴロイドが北方適応形質を獲得したのはいつか?」について紹介してみたいと思います。