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2011年05月11日

シリーズ「モンゴロイドの歴史」3~原モンゴロイドの北上~

前回、500万年前にアフリカ大陸で誕生した人類は、気候変動に伴う環境変化でアフリカ大陸からC系統及びD・E系統そしてF~R系統の三大グループが分散して移動した事が判りました。その内C系統の人類は、約5万年前温暖湿潤で食料的にも豊かなインダス川流域迄到達していた事も判りました。
今回は、インダス川流域に居た原モンゴロイドの人類が、4.6万年前頃の寒冷化により再び移動し中央アジアを経由して日本やシベリヤからアメリカ大陸に移動拡散して行く1.35万年前間での原モンゴロイドの北上について考えます。
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【モンゴロイドが北方へ新天地を求めて移動開始】

4.6万年前頃、寒冷化に伴って、インドのインダス河流域にいた原モンゴロイドが北方のパミール高原・タリム盆地へと進出する。これはこの地域がヒマラヤ山脈の影響を受けて、寒冷化すると南方が乾燥化し、北方のパミール高原の方が湿潤化するためである。こうして北方へ進出したモンゴロイドは4万年前の温暖期には動物を追ってバルハシ湖からバイカル湖へと進出した。彼らを北方モンゴロイド(C型)と呼ぶこととする。

    『’10年末なんで屋劇場レポート2~モンゴロイドの誕生と北方への進出』
4.6万年前頃、インダス河流域に居た原モンゴロイドは、寒冷化と乾燥化によりヒマラヤ山脈を越えて北方へ新天地を求めて移動し始めたのです。
ここで少し疑問が残る事は、「寒冷化すると南方が乾燥し北方のパミール高原の方が湿潤化するのか?」を考えておきます。
[ヒマラヤ山脈と中央アジアの気候変動と環境変化] 
4.6万年前の中央アジアも厳しい寒冷期に入り、おそらくユーラシア大陸中央部にシベリア高気圧が発達したと思われます。するとシベリア高気圧から乾燥した冷たい北東季節風が吹き出し、インド・ネパール・バングラデシュ等の南アジアでは厳しい乾季に成り乾燥した気候が続きます。一方ヒマラヤ山脈の北部は、元々シベリア高気圧の影響下の地域なので環境の大きな変化が無いと思われます。そしてその地域は、以下の様な大草原のマンモス・ステップが広がっていたのです。

シベリアで当時マンモス・ステップが広がっていた地域の大部分は、(中略)
第四紀(更新生=180万年~1万年前)の寒冷期の堆積した地層からは豊富で多様な大型哺乳類の化石が見つかり、それらには草原を好む種類が多く含まれていたのである。その後、植物化石などの研究が進みデーターが数多く集まるようになると、科学者たちは第四紀の寒冷期が暗くじめじめした寒い時期ではなく、寒いがむしろ明るく乾燥していて、草原が発達した時期ではないかと考えるようになった。マンモスゾウが栄えた後期更新世の寒冷期、つまり最終氷期にもこのような草原がユーラシア北部から北アメリカにかけて大規模に発達していたことが広く認められるようになったのである.。

     『マンモスの時代3』
mammoth_zoom%5B1%5D.jpg
画像は、こちらからお借りしました。
しかし、3.3~2.7万年前頃を境に再びバイカル湖周辺は寒冷化が生じ北方モンゴロイドは南下を始めます。
【気候変動に応じて北方と南方を往復するモンゴロイド】

《3.3万年前からの寒冷化・乾燥化》
3.3万年前ごろを境に世界的な寒冷化・乾燥化が進む。この影響で、バイカル湖の北方モンゴロイドの主力は、パミール高原~タリム盆地に南下し、インダス川周辺から北上してきた原モンゴロイドと混血した。[中央アジア・モンゴロイド=中亜モンゴロイド]
また、寒冷化→海面低下の結果、日本列島と大陸は陸続き(大陸~樺太~北海道~本州)になり、同時に対馬海峡が狭まった為に日本海への暖流の流入が止まった。そして、水蒸気減→雲減→日本海側が少雨化・乾燥化し、日本列島が草原化してゆく。この時期に画期的な石刃技法を獲得した北方モンゴロイドは、大型哺乳類を追って樺太を経由して日本列島にも流入してきた。
途中で分岐した部族が、アメリカ大陸まで移動した可能性も。
この時期のシベリアは、一旦無人の地になった。
《2.7万年前からの温暖化》
2.7万年前からの温暖化時には、パミール高原~タリム盆地の中亜モンゴロイドが北東に向かい、2.5万年前~2.3万年前にはユーラシア大陸北部・バイカル湖付近に到達。狩猟生産(主にトナカイ)を営んでいた(2.3万年前のマリタ遺跡から大量のトナカイの骨)。 (※2.6万年前から2.2万年前のものと推測される遺跡が、チベット高原南部のラサにもある。)
《2.1万年~1.8万年前の最終氷期極寒期(-10℃)》
2.1万年~1.8万年前からは、最終氷期極寒期(ヴュルム氷期最盛期、LGM)に入っていく。平均気温は地球全体で現在よりも5度低く、高緯度地域は12~14度も低くなった。
極寒期の影響で、バイカル湖の中亜モンゴロイドの主力は、再びパミール高原に南下。
他にも、漁業資源を頼りに川沿いを移動し、より暖かい太平洋沿岸に向かった部族もいた。その後南下し、中国(シナ・モンゴロイドと混血)や日本列島(北方モンゴロイドと混血)へ移動。
この時期のシベリアは、再び無人の地に。
《1.8万年~、1.5万年前~、1.35万年前~と段階的に温暖化(-2℃~+3℃)》
1.8万年前の最終氷期極寒期終了後、1.5万年前から北半球が急速に温暖化する(ベーリング期)。特に1.35万年前の高温化期(アレレード期)には、大きく人口が増加したと言われる。
[中亜モンゴロイド]
最終氷期極寒期が終了した1.8万年前以降の温暖化によって、パミール高原の中亜モンゴロイドが西回りで、中国のシナ・モンゴ×中亜モンゴが東回りで北上し、バイカル湖に到達。彼らは、寒冷・乾燥気候の下で、体温を維持するために、ずんぐりむっくり体型になったと考えられる。(4万年前、2.7万年前、1.8万年前とバイカル湖に移動してくるたびに、北方への適応を塗り重ねてきた?)
しかし、1.5万年前からの高温期にバイカル湖周辺のステップ草原が縮小していく(1万年前には、現在とほぼ同じ植生の針葉樹林に)。大型哺乳類がオホーツク海沿岸に残存するステップ草原を目指して移動した為、バイカル湖の一部の中亜モンゴロイドは大型哺乳類を追って移動した(森林地帯に適応して、中国に南下した者もいたと考えられる)。
この時期は、氷河が後退しつつもベーリング海峡が陸地化(ステップ草原化)していた時期であったため、大型哺乳類と共にアメリカ大陸に渡った中亜モンゴロイドもいた。そして、先に居住していた北方モンゴロイドと混血していく。【原アメリカ人】 1.35万年前にはチリ南部に到達。

     モンゴロイドの歴史②
この間、3,3~1.35万年前の間は、北方モングロイドは気候変動に応じてパミール高原やタリム盆地を基点に北方のシベリアに移動したり戻って来たりを繰り返し、極寒の北方適応を実現しシベリアの厳冬を克服したのです。そして、それを繰り返す内に遂に日本列島や北米大陸まで到達したのです。

[北方モンゴロイドの移動図]
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[北方モンゴロイドが何時アメリカ大陸に移動したか?を探る]
北方モンゴロイドがアメリカ大陸に移動したのは、3.3~2.7万年前の極寒期だった可能性が有ると言われていますが、極寒期に移動できたのか?考えてみたいと思います。移動できる条件は、ベーリンジアが存在していた時期と気候環境に成ります。ベーリンジア期間は、7.5~4.5万年前と2.5~1.4万年前が定説となっています。4.5万年前の移動の可能性は、4.6万年前にインダス川流域からパミール高原・タリム盆地への北方移動の時期であり、北方適応が出来ていない人類はベーリンジアを渡る可能性は少ないと思います。そして、2.5~1.4万年前の間では、2.2~1.7万年前の間は北半球の大部分が厚い氷床で覆われ移動は困難で有った時期になります。そこから推察出来る事は、陸橋が出来て間もない2.5~2.4万年前頃か、寒さが緩み始める1.7~1.4万年前にアメリカ大陸に人類最初の移動が行われた可能性が高いと思われます。ただ最近の新聞記事に、「米サウスカロライナ州南部で定説を覆す約5万年前の北米最古の遺跡を発見したとサウスカロライナ大の発掘チームが明らかにした。」(北米に人類到達5万年前)との情報もあり、まだまだ追求の必要があります。
【北方モンゴロイドは、ほとんど絶滅した人種】

原モンゴロイドのCの形質を強く残している北方モンゴロイドは、多様な交配が進む地域では後発のD,Oの方が免疫力が強いため、基本的に絶滅していった。他集団との交配の少なかった、アメリカ大陸とインドの原住民にかろうじて生き残っているという状態である。

     『’10年末なんで屋劇場レポート2~モンゴロイドの誕生と北方への進出』
北方モンゴロイドは、インダス川流域から北上してパミール高原。タムリ盆地に到達し、更にシベリア・バイカル湖まで進出しました。気候変動に伴い北方・南方を往復を繰り返す途中により可能性を求めて新天地である日本やアメリカ大陸まで移動しました。しかし、より多様な交配(混血度が高い)O・D系統の後発南方モンゴロイドに拠って、北方モンゴロイド(純血度が高い)は殆どが絶滅していった人種であったのです
次回は、「後発である南方モンゴロイド(O・D系統)の拡散」について追求します。
ご期待ください。

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