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インドの婚姻制度と共同体 1/2

シリーズで「近現代の世界の婚姻制度の変遷」(日本だけでなく、他の国はどのように婚姻制度を考えているのか、その歴史的背景は?)として、北欧(スウェーデン)→フランス→ドイツ→イスラムと扱ってきました。
r212917_820416.jpg 「北欧(スウェーデン)の婚姻制度と可能性~その歴史的背景~」 [1]
 「フランスは、恋愛「LOVE」で『カップル社会』です。」 [2]
 「フランスのカップル社会とは?」 [3]
 「フランスのカップル社会とは?第3弾 西洋の婚姻史」 [4]
 「フランスのカップル社会とは?⇒キリスト教による奴隷の婚姻制=一対婚」 [5]
 「ドイツ人の気質とは?(1) ~ヨーロッパの中でも共同体気質が見られる国~」 [6]
 「ドイツ人の気質とは?(2) ~その共同体気質の根源は?~」 [7]
 「アラビアの女性」 [8]
     インドの花嫁
 
次はいよいよアジアです。
世界が経済破局に向かう中、これからの国と期待されているBRICs [9]の一角を成すインドです。
 
今回と次回、2回シリーズで行きたいと思います。
まずは、インドの婚姻制度を中心とした現状問題点の整理から…。
その前に、
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 インドは国家という形態を取っていますが、多民族国家で15以上の言語に別れており、ちょと隣の町へいくと言葉が通じないという所もあるようです。そういう意味では、インド連邦or合衆国といった方が相応しいかもしれません。
 大きく民族的に分けると、アーリア人75%、ドラヴィダ人が23%で他のモンゴロイド系の民族が3%ですが、細かく分けるとかなりの民族の集合体です。
 宗教的にはヒンドゥー教徒80.5%、イスラム教徒13.4%、キリスト教徒2.3%、シク教徒1.9%、 仏教徒0.8%、ジャイナ教徒0.4%となっています。(日本でインド人のイメージであるターバン・髭もじゃのおじさんは、シク教徒であり、インドでは少数派です。)
 これらからも細かく複雑な問題があると予想されますが、全体共通の大きな問題は、以下のように言われています。
 
■現状の問題(課題) 
 
・カースト制という身分制度が今なお色濃く残っており、就学・就職・結婚等すべてに身分がついてまわる。
・上記の影響もあり、貧富の格差が大きく、特に貧困層(ホームレス)の問題が深刻である。
・犯罪多発、衛生状態が悪い、自己主張が強く喧嘩が絶えない、モラルが低い(電車、バス時刻通りに来た事がない)
・19世紀まで幼児婚、妻の殉死、持参金(これは現在も残る?)→貧困層の女子間引き
等々。 
掲げだしたらきりがないですが、特に婚姻に関する問題をまとめているサイトがあるので引用します。
Yahoo!百科事典「女性史(じょせいし) [11]」インド編より~部分抜粋
 

合同家族制とカースト
こうして11~12世紀を境に、男女両系を含む合同家族の利益が強く主張されるようになった。たとえば娘の息子(プトリカー・プトラ)の相続順位に特別の配慮がなされ、姉妹の息子、父の姉妹の息子、父の父の姉妹の息子などの相続順位が男系の傍系親とともに重視されるようになった。
しかし女性の社会的地位は、カースト制の成立とともに隷属と賤視(せんし)のなかに置かれた。それを象徴的に示すものが上位婚と下位婚の慣習である。上位婚(アヌローマanuloma)とは、上位身分(カースト)の男性と下位身分の女性の間に行われる婚姻形式で、これは社会的に認められた。 
これに対して下位婚(プラティローマpratiloma)は上位身分の女性と下位身分の男性との間に行われる婚姻形式で、これは社会的に忌避され、その間に生まれた子供は劣等身分(シュードラ、アンタッチャブル)に落とされた。 
この慣習は同一身分同士の結婚を制度化するためにつくられたものでもあったが、しかしその結果、最高身分のバラモンは原理的には同一身分の女性のみならず、それ以下のすべての身分の女性を妻とすることができるという観念を生み出し、それはやがてバラモン男子を中心とするクリニズムkulinism(ベンガル地方の超多妻婚)のような悪弊を引き起こすことになった。
以上、大局的にみると、合同家族制は女性の権利に道を開き、これに対してカースト制は女性の差別を促進してきたといえるが、インドにおける女性の地位は上記の二つの方向の危ないバランスのうえで右に揺れ左に揺れてきた。 
またこれと並んで無視できないのは、『マヌ法典』以来、女性に対する初潮期前の結婚が勧められた結果、長い期間にわたって幼児婚と幼女寡婦の習慣ができあがったということである。そのうえ、早期の結婚をさせるため両親は幼い娘のために必要以上の持参金(ダウリ)を用意しなければならず、そこから女子の出産を重荷と考える心情が育ったことも否定できない。 
一方、一度寡婦になった女性には再婚を許さないという社会理想は、その極端な形においてサティー(妻の殉死)という悪習を生み、先のクリニズムの慣習と並んで、インドにおける女性の悲劇的な状況を浮き彫りにするものとなった。

 19世紀に入って、幼児婚、幼女寡婦、サティー(妻の殉死)は廃止となったが、カースト制に乗っ取った婚姻、親が婚姻相手を決める、持参金(ダウリ)の風習は、現在でも残っているようだ。
 その辺の様子は、転勤妻 灼熱インド [12]より

第8回 結婚事情
インドではお見合い結婚が主流だ。

それも日本のお見合いとは、事情が少し異なっている。
憲法上はとうの昔に廃止されているのに、現在でも職業、結婚とすべての面でカースト制度が大きな影響を及ぼしている。
 
結婚は同じカースト内でするものであり、その相手は親が探す。
インド人の結婚は、親の承諾なくしてはあり得ない。
子供としても、親が決めた相手なら間違いはないという安心もあるのだろう。
大都市では最近、自由恋愛の末に結婚というパターンが見られるようになってきたというが、まだまだ少数派である。
 
不幸にも恋愛の相手が同一カーストでない場合は、結婚への道は困難を極めることになる。
若い女性が恋人との将来を悲観する余り、自殺という道を選んだ悲惨なケースもある。
インドではカーストの枠を超えて結婚をするというのは、親子や親戚の縁を切られるほどの大事件となるのだ。
全国紙では毎週日曜日、結婚相手の募集欄が数ページにわたって掲載される。
公然とカーストが明記され、区分けされているから驚く。
色華やかなそれらの記事をよく見ていると、思わず笑ってしまうような記述もある。
本人だけでなく、親が自分の息子や娘の相手を募集している広告がたくさん出ているのだ。
自画自賛もさることながら、親が自分の子供に対する評価がこれほど高いのも面白い。
~以下省略

 
■歴史的背景
 
このカースト制と家父長制が色濃く残っているのは、かなり昔からの歴史的背景があります。
上記と同じく、Yahoo!百科事典「女性史(じょせいし) [11]」インド編より~部分抜粋

紀元前 
 

 すでに「ベーダ神話」には、多夫婚や多妻婚が言及されるとともに、一夫一婦の単婚が理想とされ、夫婦相互の貞節が強調されている。また叙事詩『マハーバーラタ』には、5人の王子を夫とするドラウパディーの話が語られ、多夫婚制についての古典的な事例とされている。しかしむろん、これらの記述から、当時の女性の地位についてその実状を推し量ることはできない。
紀元前一千年紀の前後、古代インド人は西方からガンジス川流域に移住し、新しい社会組織をつくりだしたが、それ以後、女性の社会的な役割や義務も細かく規定されるようになった。すなわち、アーリア民族系の移住民が土着のドラビダ民族と混血を繰り返し、等差を伴う階級社会が形成されるとともに、紀元前後になると後のカースト制の原型をなす社会ができあがったからである。古代インドにおける女性像は、この異民族間通婚とカースト社会の形成によって根本的に方向づけられたといってよい。
マヌ法典の成立
紀元前後のころに現形ができあがった『マヌ法典』は、祭司制と家父長制に基づくバラモン文化の社会規範を定める法体系であったが、それによると、この時代に新しい性倫理が姿を現した。まず、女子における初潮期前の結婚が勧められ、結婚前の処女性と結婚期を通じての貞節が要求される反面、男子には多妻婚と妻取替えの特権が認められた。

%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%A2%E4%BA%BA%E3%81%AE%E4%BE%B5%E7%95%A5.gif 紀元前、西方から来た遊牧民族であるアーリア人に、先住民のドラヴィダ人は支配されてしまいます。その支配を確実にするために、身分制(=カースト制)を導入し、バラモン教、ヒンドゥー教の教義の支柱となる「マヌ法典」を掲げます。(ヒンドゥー教は、イスラム教のように生活習慣に拘わるところまで規定されている宗教) 
 
 この2000年に渡る強力な支配の結果(途中250年ほどイギリスによる支配が上乗せ)、現在でも身分制度と家父長制(父系制)を色濃く残している理由と考えられます。
 
 カースト制のもとで、常に下層で虐げられている人々は、末代まで身分が変わらず、尚かつ私権(私的権益あるいは私的権限)闘争からも逃れられない中では、次第に何も考えなくなり(いわゆる奴隷根性)その日暮らしのモラルのない生活となっていくのは必然と言えるのではないでしょうか。(市場原理が導入され、頑張れば金持ちになれる世界が開けたと言えども、教育・就職・結婚全てにハンデが付いている。) 
 
 以上が、インド全体を覆う閉塞感の元凶だと思われます。

 しかし一方で、現在のインドの経済状況は上向き傾向であり、IT産業や医療技術など元気な産業も見られます。
 これらを牽引しているのが、全人口の23%しかいない、かつての被支配者層である
ドラヴィダ人です。
彼らは、他の民族と何が違うのでしょうか?
 
 次回は彼らの民族性と社会に迫ってみたいと思います。
<続く>
 

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