2009年03月15日
フランスのカップル社会とは?
フランスの婚姻シリーズの第2弾として、カップル社会 とは??をお送りします。フランスでは、『カップル 社会』でなければ何処に行くのも、何をするのもシングル では肩身が狭いとのとこ。兎に角夫婦 同伴かカップル での行動を大切にする。ここまで思わせているのは何なのか?に迫りたいと思います。
応援宜しくです。 😀
まず、カップル社会に関する論文から引用します。まずはカップルとして結びつけている「 恋愛 」の歴史から遡ってみていきます。
フランス 恋愛の歴史から引用します。
この恋愛のルーツは、さらに500年前の12世紀にさかのぼる。ヨーロッパにおいて、「恋愛は12世紀の発明(発見)」といわれる。キリスト教の道徳観の支配下の元で、恋愛感情は野蛮なものとされていた時代、その時代に恋愛を歌い上げる“トゥルバドゥール”と呼ばれる叙情詩人たちが登場した。彼らは、恋愛を価値ある新しいものという概念を仕立て上げた。彼らの詩のテーマは、「まことの愛」(フィナモール。純粋な愛。誠実な愛。)であり、騎士が貴婦人にささげる女性崇拝の愛だった。しかし、これらの愛は報われることはない。なぜなら、騎士の愛の対象は身分の高い既婚の貴婦人だったからである。
このような恋愛は、“騎士道恋愛”(宮廷風恋愛)と名づけられた。恋愛は、騎士にとって自分に試練を課し、精神を高めていく行為だった。彼らの関係は、主人と下僕であり、恋のために命を投げ出す純粋さを持つことが美徳であるとされた。この愛に対する見返りは、女性から与えられる何らかの好意的な表現であり、それらは騎士に勇気を与える。
この騎士道恋愛が西欧的恋愛の原型である。つまり、「不倫」が根底にあり結婚とは別物というわけだ。このような恋愛の基本型は、「女1人に男複数」である。
「恋愛は12世紀の発明である」と評言したのはフランスの歴史家セニョボスです。ここに登場するトゥルバドゥールたちが歌う愛とは現代の私たちが考えているものとは違っています。それは「至誠」「至純の愛」。肉体的に結ばれることを目的としているのではない。多くの場合、対象となる女性は人妻であり身分の高い貴婦人だそうです。想いの女性の名は決して口外してはならず、胸の内に秘めたまま思慕の念を熱く燃え立たせることがよいとされていたようです。女性に近づくには一定の手順と戒律を踏まなければならず、また、障碍が多ければ多いほどよいとされ、いざ想いの女性に対する時に主君に使えるようなに奉仕することが求められたのだったとのこと。(「目からウロコのヨーロッパ史」島崎晋著より抜粋引用)
恋愛の歴史は、こんなに昔からあったとは知らなかったです。が、恋愛の意味はさほど現代の恋愛と変わらないようにも思います。違う点は、相手が一般人ではなく、時間を持余している統合階級の貴婦人であったぐらいか...これも時代背景から考えると当たり前ですね。その後、宮廷サロンへとその場が継承されて行きます。
王妃マリア・テレサの死後、ルイ14世はマントノン夫人と再婚する。彼女は、非常に地味で慎み深かった。彼女の登場で、宮廷に陰りが出てきたころ、宮廷で発展した文化を引き継いだのはサロンであった。17世紀末の有名なサロンの女主人にニノン・ド・ランクロがいた。
18世紀のサロンは、高い教養を身につけた富裕なブルジョワの夫人たちで、そこには多くの文化人たちが私的な交流を求めて集まった。彼女たちは、金銭的援助も含めて、男性の才能を引き出し、育てる役割を果たした。サロン内では恋愛も生まれ、宮廷の男女文化はこのようにしてサロンに引き継がれていった。そして...
18世紀のサロンに出入りし、ニノンを女性の敵として憎んでいたルソーは、社交界に幻滅し「自然に帰れ」を提唱した。貴婦人たちに、社交ばかりせず、自然と親しむ田舎生活を勧め、「自分の子供を母乳によって育てよ。」とした。この時代に「母性愛」はなかったが彼の主張後、パリでは母乳を飲ませる母親が急増した。
ルソーは、「女性に固有の使命は子供を生むこと」であり、「子供を育てるには忍耐、心遣い、愛情が必要だ。女性は子供と父親とを結びつけるものとなる。」とし、子供を育て、家庭を守ることが女性の仕事であり、女性の教育は「すべての男性に関連させて考えなければならない。」という、男性に尽くすことが女性の義務だとした。
ルソーの出現によって、宮廷恋愛は生活臭のある母親業が「使命」や「仕事」になった。恋愛は、「母性愛」・「夫婦愛」に変わっていく。
急にルソーの登場で、宮廷サロンが衰退していく。なぜ、ここまで意識が変化していったのか?不思議です。これは引き続き調査が必要ですが、想定するに、宮廷サロンでの不倫行為そのものでは、当然充足を得られることは少なかったのではないかと思われます。女性同士の醜い私権闘争に明け暮れていれば、当然、心は疲弊していきます。そこに、ルソーの言葉が心に染み、やっとその私権闘争の場から開放されたのではないかと思います。あくまでも仮説ですが...そして、ここに来てカトリック協会の波が押し寄せてきます。キリスト教の影響を強く受けていく事になっていきます。(キリスト教との関係についても今後引き続き調査が必要ですね。)
1789年に始まったフランス革命は、宮廷恋愛に終わりをもたらし、代わりにブルジョワの性道徳が主流となる。
ブルジョワの性道徳の基本はキリスト教で、その原則は性的な純潔が美徳とされ、生殖目的以外の性交渉は罪であり、恋愛やそれに伴う性的欲求は神の祝福する結婚とは相いれないとされた。この性道徳を押し付けられるのは当然女性であり、恋愛をすることなく決められた結婚をするという、不自由な身であった。
フランス革命で、女性たちは権利を主張し立ち上がった。オランプ・ド・グージュは1791年に「女性と女性市民の諸権利」宣言を書き、「人権宣言」をそのまま女性にも保証するように求めた。しかし、その要求は通らず、ナポレオン時代には女性の地位はさらに低下する。1804年のナポレオン民法典の女性観は「女は子供を生むために男に与えられる男の所有物である」だった。女性は結婚すると同時に法的無能力者となり、夫に服従し、人格、財産、生活のすべてが夫の管理化におかれることを定めていた。この法律によって離婚は厳しく規制され、1816年から1884年まで離婚は禁止された。
そして、フランスでは最近まで、夫が夫婦の居住地を定める「居住地選択権」が法的に認められていた。廃止されたのは1975年である。夫婦別財産制と妻の職業従事の自由の権利が認められたのは1965年。民法の「父権」が「親権」に改められたのは1970年。合意による離婚が認められたのが1975年。このように、男女平等への法改革は意外と遅いのである。
20世紀の後半、女性たちはこの男社会に矛盾を見出す。1968年5月に起こった“5月革命”である。この革命は、政治体制を変えた革命ではなかったが、人々の価値観を変えたという意味で「象徴革命」とされている。人間関係、つまり結婚や家族、男女関係一般に対する意識が変わった。「夫婦愛の下での健全な家庭の堅持」という偽善性に気づき、もっと自由で創造的な関係を模索し始めたのである。その中で出てきたのが、「ウーマン・リブ(女性解放運動)」である。彼女たちは、1970年に「さらに無名の戦士たちの妻へ」との言葉を掲げ、デモを起こした。このデモを、アメリカのウーマン・リブを真似て“Mouvement de Liberation des Femmes”(女性解放運動、略してMFL)とした。
フランス革命で一定女性の地位は一時的に上昇しましたが、革命後からナポレオン法典制定により、女性は男性のより、抑圧されることになります。ナポレオン法典(1804年)は、妻の無能力、夫権への従属を基調とし、貞操義務についても明らかな不平等を定めていたようです。その後、その抑圧からの開放を求める法が制定されていきます。以下がその成立過程です。
1907年、「妻の自由な賃金」に関する法律によって、妻は職業(労働)で得た自分の所得・賃金を自分で受け取り、管理できることを認められた。
1938年、妻の服従義務を規定していた第213条を廃止した。第215条「妻は、その民事能力の完全な行使権を有する。」とした。
1942年、妻の無能力を完全に廃止した。夫婦の地位を「夫は家族の長である。夫はこの職務を家族および子供の共同の利益において行使する。」とし、妻は協力者として夫に協力する地位に立った。
1965年、「夫婦のそれぞれは完全な法律上の能力を有する。」ことを認めた。
1970年、「家族の居所は夫婦が共同の一致によって選ぶ地」にある、と定めて対等な立場を与えた。
1971年、「婚姻中は、父母が共同して親権を行使する。」と定められ、親権行使=父母の平等が宣言。
1974年、女の自由意思による妊娠中絶法案が提出され、79年に恒久立法となった。
1975年、離婚法 の全面改正が行われた。
ここまで、抑圧の歴史から開放を求めてきた成果として、男女が対等=平等であることを獲得した歴史でした。フランス革命にて本来勝ち取っておきたかったこの権利を、長い年月闘ってきて実現した意味は大きいのではないかと思います。特に権利が獲得できなかった女性にとって、このフランス革命そのものの実現こそ最も渇望してきたことと考えていたのではないでしょうか?なので、やっと手に入れたその権利をきちんと施行していくことを男性に求めていったのではないかと思います。私権追求の中で、当然、男性も女性獲得のために、よりその女性の権利を尊重し行動することが当たり前として、考えられるようになったのではないかと想定しますが...ちょっと無理があるか...
以上より、フランスにおいては、何をするにはカップル(男女)が前提となっているのではないでしょうか?もっとすっきりしたいので、今後も引き続き調査していきたいと思います
蛇足ですが、フランス語の名詞はすべて男と女に分かれ、主体(○○する人=精神を持った方)を表す言葉はたいてい男性名詞で、客体(○○される対象=物質、観念も含む)を表す言葉はたいてい女性名詞とのこと。これも何か関係あるのだと思いますので、いろんな角度から調べてみたいと思います。特にキリスト教の影響は強そうだが、その当りについての関係はどうなっているのかも興味あるところです。
以上、最後まで読んでくれましたありがとうございます
- posted by gabor at : 2009年03月15日 | コメント (4件)| トラックバック (0)
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