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2009年05月21日

アラビアの女性

シリーズで「近現代の世界の婚姻制度の変遷」(日本だけでなく、他の国はどのように婚姻制度を考えているのか、その歴史的背景は?)として、スウェーデン、フランス、ドイツと扱ってきました。
「北欧(スウェーデン)の婚姻制度と可能性~その歴史的背景~」
「フランスは、恋愛「LOVE」で『カップル社会』です。」
「フランスのカップル社会とは?」
「フランスのカップル社会とは?第3弾 西洋の婚姻史」
「フランスのカップル社会とは?⇒キリスト教による奴隷の婚姻制=一対婚」
「ドイツ人の気質とは?(1) ~ヨーロッパの中でも共同体気質が見られる国~

「ドイツ人の気質とは?(2) ~その共同体気質の根源は?~」
そして、ヨーロッパは、原住民:ゲルマン人の共同体文化が母系社会であったのが、文明国:ギリシャの奴隷社会で起こったキリスト教(特にローマカトリック)の普及により父系化して、一対婚社会に変わっていった事を見て来ました。 🙂
イスラム世界は、女性隔離、一夫多妻などの一面から、イスラム社会では女性の地位が極端に低いとみなされがちですが、実態はどうなのでしょうか。それは、どのような歴史背景を有しているのでしょうか?
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「ばらQ」から写真お借りしました。
昔のペルシャ半島は?
イスラム教の始りは、 ムハンマドが一神教であるユダヤ教やキリスト教の影響を受け、610年に預言者とったので比較的新しい。では、ムハマンド以前のペルシャはどうだったのだろう?
ムハマンド以前のイスラム(多神教、母系性の社会)
ペルシャは、当時から砂漠で自然環境の非常に厳しい場所だったようです。遊牧と交易で小部族が暮らしていたようです。
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7世紀までは母系的傾向が残っていた!

イスラム社会では女性の地位が極端に低いとみなされがちであるが、かならずしもそうとはいえない。昔のアラビアでは、古来母系的傾向が強かったという記録がある。
①現今でも、妻の実家のほうで新居を営む母方居住が一般的。
②女性が自分の家、部屋、テントの所有権をもっている。
③イスラムが興る前、6、7世紀までは妻問い婚も盛んであった。
④6、7世紀までは、財産所有も母方の共同体によるものであった。
⑤イスラム初期7世紀ごろに、大商人、詩人、医者などとして活躍した女性たちが史料に描写されている。
⑥ムハンマド(マホメット)の最初の妻ハディージャも、シリア方面との隊商交易を牛耳る実業家であった。

この母系文化は、少なからず現在まで残っているようです。
多神教世界(シャーマニズム)

マホメットが生まれた7世紀頃、かの地は、何と、メッカを中心とした伝統的な「多神教崇拝」世界でした。
・・・・・(中略)・・・・・・
つまり、元々交易で生計を立てる砂漠の人々ですから、市の立つオアシスを転々と巡回しながら商売をして、その地に祭ってあるさまざまな神様に祈っていたようです。
部族ごとに祭る偶像があり、商人ですから、「金は力だ」といった拝金主義も蔓延していたようです。
中でもメッカは、このアラビア半島全域の多神教崇拝の中でも、最高の聖地でした。
・・・・・(中略)・・・・・・
どんなものを祭っていたかというと、
・ラート神 = 岩 (女神)
・ウッザー神 = 3本のアカシア樹 (女神)
・マナーフ神 = 女神
・フバル神 = 占い用。右手の欠けた人物像、7本の矢  などなど。
つまり、自然物や、自然現象、超自然的な力が宿るというアニミズム的な信仰と畏怖の念をいだいていたわけです。・・・・・(中略)・・・・・
対象を偶像にして祭り、聖域を定めて神殿をつくり、周りをめぐり歩く巡回儀礼をして、生け贄の動物を捧げる祭礼儀礼を行っていたのだそうです。

高い外圧があり、母系性を残した私権集団
当時のアラブは、西にローマ帝国、東にササン朝ペルシャ挟まれていたが砂漠の痩せた土地は価値が低く侵略される事なく、小部族たちは遊牧や交易で生き延びていた。
交易を行っていたことから私権性も高いと思われるが、小部族間も部族間闘争が多く外圧が非常に高いので、高い集団性を維持しており、古い形の母系性もかろうじて残っている状況だったと思われます。
ムハマンドの時代(7世紀頃)どうだったのだろう
この頃、ビザンツ(東ローマ)王国とササン朝ペルシャの慢性的な抗争によるシリア近辺の交通が危険になり、アラビア半島経由での交易が活発に行われるようになった⇒紅海ルート(メッカ)が大繁栄した。
この時点が、ターニングポイントです!メッカが経済急成長する事で、母系の小部族集団は時代に適応して行かざる得なくなってきます。
母系社会から父系社会に  
貧富の差が拡大、社会矛盾の拡大です。

7世紀に入ると、それまでの遊牧経済の多くが定住経済に移行し、メッカにみられるように、都市的商業社会が飛躍的に膨張した。これに伴って母系的な部族財産共有体は崩壊し、私有財産観念がみられるようになった。母系集団の共有財産管理権は私有財産の所有権となり、相続権は父系をたどることになった。
また、商業利潤の追求が激しくなるにつれ、妊娠、出産などの女性の身体的生理条件がハンディキャップとみなされ、女性商人の後退がみられるようになった。こうして、メッカなどの都市では父系社会への移行が急速に進み、貧富の格差も増大した。

このような社会状況下で、ムハマンドはイスラム教を布教し始める
ムハマンドは何をしたのでしょうか? 
当時の人々のニーズに応えたはずです。
そのニーズは次のようなものだったのでは無いでしょうか。
①ユダヤ教・キリスト教に負けないアラブ人の近代宗教が欲しかった  
⇒アラブ人のシャーマニズム多神教を一神教に纏める。
②商売を賛同する宗教。
⇒ユダヤ教、ローマカトリック教は商売を否定視しているが、イスラム教は賛同している。
③アラブ人の国家建設で、国家間の私権闘争に適応したい。
⇒小部族でバラバラなアラブ人を、ウンマ(イスラム共同体)の建設によって統合した。
その結果イスラム大帝国に発展。
④貧富の差を解決したい。
⇒金持ちは貧民に、施しをする事が勤めであるとした。

その結果は

★母系社会である小集団を統合し、私権闘争の国家体制へ。

★商業重視ゆえ、宗教的幻想化が少なく驚くほど現実的であり、
具体的な社会規範が細かく定義されている。
弱者救済や、女性救済の規範も数多い。

★商業社会だが個人主義は制御されて、集団性の高い文化が創られた。

13世紀に、イスラム法が完成。

イスラムとは、唯一神アッラーへの絶対帰依を意味する語句で、イスラム 教徒はムスリムと呼ばれる。
ムスリムは平等と相互扶助の精神に基づいて行動する。
また、イスラム教の経典はコーランと言われ、神からムハンマドに下された啓示の記録で、教義と律法の書である。コーランには政治や社会、文化的活動など生活全般に関わる事柄が規定されており、六信五行という形でまとめられている。
六信は神、天使、啓典、預言、来世、天命を信じるという行為で、五行は信仰告白、礼拝、断食、喜捨、巡礼を行うことである。

イスラム法における結婚

イスラム法においては、結婚は当事者双方の意思に基づく契約によって成立する。契約式には双方から証人が出席し、男性からの結納金の額や結婚後の居住条件などが書き込まれた契約書を取り交わす。結納金はマハルとよばれ、契約の際に、結婚時と離婚時に男性が支払う額が取り決められる。
現実社会においては地域差もあるが、マハルは、原則として妻個人に支払われるものであり妻の財産となる。離婚時のマハルは、結婚時のマハルよりも多いのが通常であり、マハルが支払えないために結婚または離婚できない男性も少なくない。
夫婦は別産制であり、女性のほうが男性より収入が多い場合でも、家族の生活は男性が保障する。これは男性の宗教的義務とされているので、妻を養ってやる、あるいは夫に扶養されている、といった意識はこの社会には存在しない。こういった状況のなかで実際に一夫多妻の生活を送っている者の数は、非常に限られている。

現代アラビアの女性

アラビア半島諸国では、男女隔離が行われている地域が多いが、男性の世界のほうが上であるという観念は存在しない。女性の世界のほうが重視されることも多い。
また男女隔離のゆえに、女性が高度な専門職に進出する道が開かれている面がある。女性は女性医師に診てもらうほうがよいという考え方から、女性医師の養成が盛んである。
女子教育のための女性教員も増加している。アラブ首長国連邦やサウジアラビアには女性専用の銀行ができ、店長以下すべて女性である。
男女隔離の象徴として知られるベールは、日よけ、砂よけといった実用のほか、外見などによって女性が商品化されるというような傾向を阻止している面もある。
1960年代から、アラビア半島では教育熱が高まり、女子教育にも力が入れられている。サウジアラビアのリヤド大学、アブドゥル・アジズ大学などには女子の入学が急増し、女子教員学校、看護婦養成学校、女子医学部などが設置されている。
高等教育を受けた女性の割合はまだ少数であるが、これらの女性は教員、医者、ジャーナリストなど、かならず社会的労働に参加し、結婚後も仕事を続けているのが普通である。
ほかのイスラム諸国と違い、イスラム法を遵守するサウジアラビアでは、女性の相続分が男性の半分であったり、法制上、多妻が許されている。このことは、女性にマイナスのイメージを与えるものであろう。
しかし、イスラムのなかに存在する契約精神は、女性の地位を支える面もあり、おおむね自立意識の強い女性たちは、教育・経済界等で活発に活躍しており、その社会貢献度には、侮りがたいものがある。

イスラム社会では女性の地位が極端に低いとみなされがちである。確かに、女性を商品として扱う文化があった一方で、ムハマンドの啓示には、(母系社会の文化を継承した?)女性を大切に扱う内容がたくさんあるらしい。
イスラムは強い私権性をもちながらも、外圧適応の為に集団第一の文化性と共同体文化~母系性という、矛盾するような二面性を堅持しているように思えます。
欧米文化は、キリスト教による一対婚文化を選択し、さらに、個人中心の社会を作ことで集団性を著しく崩壊させてきたことから比べると、イスラム文化のほうが良く見えてくるのです。

最後まで読んでくれて有難う!!
※主な引用は下記からお借りしました。
「yahoo百科事典/女性史/イスラム」

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台湾人は、漢人なのですね。
大陸に比べて侵略部族が少なかった事と、豊かな農作物などから、台湾人は、同じ漢人でも大陸の中国人と違って、ゆったりとして、配慮深い気性なので私も大好きです。
さらに、何かに付けて反日を振りかざす中国と違って、親日なのも良いですね。
台北の都市整備などは日本が行ったと、今でも感謝されています。

  • アンニョン
  • 2009年8月27日 23:49

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