2009年05月20日
日本人形成のシナリオ【叩き台の問題点】紹介
前回紹介した『日本人形成過程のシナリオ【叩き台】』は、岡さんの『3ルート渡来説』とも整合するようですね。
日本人の起源に関して、これまで各方面で追求されてきた過去成果の発掘は、(まだまだ追求途上の分野ってことで)そろそろ出尽くしてきた感じがします。
今回は、当ブログで更に追求していくポイントを抽出~固定するためにも、人類学界における現在的問題意識について紹介しておきたいと思います。
↑日本人の祖先たち?の移動経路図
『更新世から縄文・弥生期にかけての日本人の変遷に関する総合的研究』からお借りしています。
←続きの前に応援よろしくお願いします。
以下上記総合的研究のホームページから、
現代日本人形成過程のシナリオ【問題点】について抜粋引用します。
(1)縄文時代人の祖先集団はどこから来たのか?
・アフリカで現代人(ホモ・サピエンス)にまで進化した集団の一部が何万年か前に東南アジアや東アジアへやって来てその地の後期旧石器時代人となり、その一部が縄文時代人の祖先になった、と言われているが、その拡散経路や年代はまだ明確になっているわけではない。
(2)縄文時代人祖先集団のアジア大陸内・周辺地域での移住・拡散経路は?
・縄文時代人の祖先候補であるシベリア、中央アジア、南アジア、華北、華南、東南アジア、オセアニアなどの後期旧石器時代人は、日本列島に辿りつく前、どのように拡散・移動していたか。この問題はまだほとんど手付かずの状態にある。
(3)縄文時代人の祖先は具体的にどのような人びとだったのか、どのような経路で日本列島へ入ってきたのか?
・沖縄の港川人のような人びとが縄文時代人の祖先であっただろうという考え方は有力ではあるが、懐疑的な見方もある。
・沖縄・九州などを経由する南方からの経路と北海道などを経由する北方からの経路がしばしば強調されるが、西日本に近い朝鮮半島経由の移住経路もあったに違いない。
・どの経路から来た集団の遺伝的影響が一番大きかったのかは不明である。
・北海道の縄文時代人は本州以南の縄文時代人とは少し系統が異なるかもしれない。
・形態の頑丈さなどが著しく異なる縄文時代早・前期人と中・後・晩期人は果たして同じ系統の集団なのか。
(4)弥生時代人祖先集団のアジア大陸内での移住・拡散経路は?
・弥生時代人の源郷はアジア大陸のどこかであろう、という点はほぼ衆目の一致するころであるが、弥生時代人の祖先集団が大陸内の同じ一地域から来たのか、いくつかの地域から来たのか、また、大陸内をどのように拡散し、日本列島へ辿りつくことになったのか、という点はまだ不明である。
・しばしば弥生時代人の祖先集団は寒冷地適応を果たしたと言われているが、その集団は元々はどこから来た集団なのか、もとを正せば縄文時代人とルーツを同じくするものなのか否か。
(5)弥生時代の開始時期と弥生時代人の人口増加率の問題
・弥生時代の開始時期が従来考えられていたよりも500年ほど早かったかもしれないという説が2003年に提唱された。もしこれが正しければ、大陸からの大量移民や渡来系弥生時代人の高い人口増加率を仮定しなくても、当時の人びとの形態変化を無理なく説明できるかもしれないが、果たしてどうか。
(6)弥生時代前後の渡来民からの遺伝的影響はどの程度だったのか?
・現代本土日本人の祖先は、弥生時代の渡来民が先住の縄文時代人と混血した結果生じた、とする考え方が一般的ではあるが、混血に比べて環境要因の影響は無視できるほどに小さかったのか否か。
・北海道アイヌは縄文時代人の比較的純粋な末裔であるという考え方が一般的だが、北東アジアからの遺伝的影響はなかったのか。
・沖縄の琉球人にもアジア大陸からの遺伝的影響がかなりあったらしいと言われているが、もっと南方からの影響はなかったのか。
(7)渡来系弥生時代人はどのような経路で日本列島を東進・北上したのか?
・西日本の渡来系弥生時代人がどのように日本列島を拡散し、どのように東日本の古墳時代人に遺伝的な影響を及ぼしたのか、という問題は手付かずに近い状態である。
学界での問題意識はわかりましたか?(わからないって言う人は前の記事もおさらいしてみてください。)
(1)~(3)縄文期については、当ブログでの今の問題意識ともピッタリ重なるので、上記研究での再構築シナリオ公表されるのが待ち遠しいですね。でも待ってる時間がもったいないので、素人なりにも並行して調べていきましょう。
(4)~(6)弥生期についても気になってる所ですが、特に(5)の開始年代問題では、全ての遺跡や遺物の整合までとるには、まだまだ時間がかかる領域だと思います。
(7)については、友好ブログ『縄文と古代史を探求しよう』でも解明中の領域なので、両方読み比べてどんな共通点、違いが出てくるか?楽しみです。
- posted by nandeyanen at : 2009年05月20日 | コメント (4件)| トラックバック (0)
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comments
このような複雑な社会構造を形成しているのには何かの必然的な状況が有りそうですね。
次回以降で、その必然性を解明して行って欲しいと思います。
マントヒヒ(父系)の重層社会とゲラダヒヒ(母系)の重層社会、ずいぶん違いますね。本当、対照的です。
人間社会に例えると、
ゲラダヒヒ(母系):狩猟採集民族
マントヒヒ(父系):遊牧民族
といった感じでしょうか。
その違いの要因はどこにあるのか?それぞれの集団がおかれた外圧状況の違いが分かれば、見えてくるかも知れませんね。続きに期待してます。
五光さん、
コメントありがとうございます。
>このような複雑な社会構造を形成しているのには何かの必然的な状況が有りそうですね。
そうですね。必然的な状況を整理して、鮮明にしたいと思っています。
引き続き、よろしくお願いします。
さいこうさん、
いつもどうもです。
>人間社会に例えると、
ゲラダヒヒ(母系):狩猟採集民族
マントヒヒ(父系):遊牧民族
といった感じでしょうか。
確かに、そうですね。なにか似てるものを感じます。
マントヒヒ(父系)の重層社会とゲラダヒヒ(母系)の重層社会を対比させた形で、次々回くらいに整理します。この違いの、各要因・外圧など整理したいと思います。
引き続き、期待してください。
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