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「共認運動の実現構造とネットの可能性 」その⑦~運動信仰を捨てて、共認革命を~

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前回までの記事:
「共認運動の実現構造とネットの可能性」その① ~社会制度の最基底部の「婚姻」を議論できる場が無い~ [2]
「共認運動の実現構造とネットの可能性」その② ~ネットにおけるツールの進化~ [3]
「共認運動の実現構造とネットの可能性」その③ ~潜在思念は、ネットに収束するか?~ [4]
「共認運動の実現構造とネットの可能性」その④ ~変革課題VS逃避解脱~ [5]
「共認運動の実現構造とネットの可能性 」その⑤~チンケな運動(要求運動の終焉)~ [6]
「共認運動の実現構造とネットの可能性 」その⑥~錯誤の根は、古い武力闘争のパラダイムにある~ [7]
に引き続き、今回もるいネットの「共認革命シリーズ」から紹介します。
シリーズ7回目は「共認革命8 運動信仰を捨てて、共認革命を」です。
 
 
 
●運動信仰とは何か
●なぜ、運動信仰を捨てる必要があるのか

をポイントとして紹介します。
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共認革命8 運動信仰を捨てて、共認革命を [9]
にも拘らず、社会に関心を持つ人の多くが、未だに社会変革と云えば身体を張って行動することだという行動信仰(古いパラダイム)に囚われ続けている。しかし、(云うまでもないことだが)社会を変える為に必要なのは人々の意識を変えてゆくことであり、従って旧思想に代る新理論を構築することが何よりも急がれるのであって、旧思想に依拠したままチンケな運動をいくら続けても社会は全く変わらない。
とりわけ心すべきは、今も何らかの社会活動をしている人々である。彼らの多くは、自分たちの行動が社会の役に立っていると信じている。だが、旧思想に依拠した体制の補完運動は、いつまでも体制を維持させ、社会をますます閉塞させているだけなのである。むしろ、社会変革の志を抱く貴重な人材をことごとく体制補完運動に収束させ、一切の変革の芽を摘み取ってゆく既成運動こそ、社会変革の最大のガンになっていると云うべきだろう。
疾うに武力支配の時代は去り、今や(貧困の消滅によって)私権そのものが衰弱してゆく時代である。そこでは、武力でも資本力でもなく、文字通り人々の共認力が全てである。従って、人々の意識を変えることさえ出来れば、社会は変わる。逆に、旧思想(恋愛・自由・個人・人権という支配観念)に支配された人々の意識が変わらない限り、社会は(基本的には)変わらない。人々の意識を支配観念から解放する共認革命だけが、閉塞状態に陥ったこの社会を根本から変えてゆける。今、必要なのは共認革命である。

 
旧思想(恋愛・自由・個人・人権という支配観念)を掲げて社会変革を唱えている人達はさすがに少数派になり、特殊な人達だと最近では思われています。
しかし、恋愛・自由・個人・人権という言葉を前面に掲げて運動まではしなくとも、普通の人達は、これらの価値観を全面的に否定している訳ではありません。
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なんとなく良さそうなこれらの言葉を感じさせてくれる海外支援ボランティアNPO活動などは現在でも人気があります。
そして、それらの活動をするために英会話をはじめ、様々な資格試験も盛んに行われているのも事実です。
海外の先進途上国が貧困に喘いでいるのは、先進国が市場原理によって、富を搾取しているからであり、貧困国にお金を寄付しても自立できる産業を作らなければ、対処療法にしかなりません。
つまり、それらのしくみを変えなければ、社会変革であれ、慈善活動であれ、すべては体制の補完運動でしかないのです。
 
 
では今、私たちに出来る事は何でしょうか?
それは、なぜこのような状態になっているのか?徹底的な事実追究です。歴史を遡って追究したり、市場や経済の仕組みを研究は、学者や評論家でない私たちでも十分可能です。(この婚姻史ブログもその一つです)
次回からは、なぜこのような状態になっているのか?その元凶はどこにあるのか?追究して行きたいと思います。

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