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2010年03月04日

「共認運動の実現構造とネットの可能性 」その③~潜在思念は、ネットに収束するか?~

前回の記事:
「共認運動の実現構造と、ネットの可能性」その① ~社会制度の最基底部の「婚姻」を議論できる場が無い~
「共認運動の実現構造とネットの可能性 」その② ~ネットにおけるツールの進化~
に引き続き、「潜在思念は、ネットに収束するか?」を探っていきます。
まずは、前回に引き続き9年前に投稿されたるいネットの記事「共認革命シリーズ」から紹介します。
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共認革命4 潜在思念は、ネットに収束するか?

●本源回路の、本源的(根源的)な作動=つながり欠乏といい人収束。
本源回路の、私権的(習慣的)な作動=逃避の解脱収束とスター評価収束。
●本源収束=つながり・広がり欠乏や応望収束とは、脳内の(絶対本能に近い)絶対回路の作動である。しかし、現実の家族や学校や職場etc私権集団のしがらみの中では、本源回路を充足させる事が、できない。だが、ネットなら、それら一切の私権集団のしがらみから離脱して、云わば純粋無垢で、より広がりのある関係を形成できる。実際、既に、即返信(=応望)の規範や否定のタブーが、(未確立ながら)形成されている。
つまり、ネットは私権集団のしがらみから脱却しようとする、本源的(脱自我)かつ社会的(広がり)な集合の場である。

現状におけるインターネットの普及状況を見てみよう!総務省の「平成20年通信利用動向調査の結果(概要)」より引用します。

1 インターネット等の普及状況
(1) インターネット利用者数及び人口普及率 (個人)
過去1年間にインターネットを利用したことのある人は推計で9,091万人と、前年に比べ280万人の増加。人口普及率は75.3%となった。 個人がインターネットを利用する際に使用する端末(「パソコン」「携帯電話・PHS等」「ゲーム機・TV等」)を見ると、それぞれ前年に比べて利用者数が増加しているが、特に、「ゲーム機・TV等」からのインターネット利用者が209万人増(対前年比58.4%増)と急速に拡大している。

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(2) インターネット利用率 (個人)
インターネットの世代別の個人利用率を見ると、13歳~40歳代までは9割を超えているが、60歳以上になると、利用率が低くなっている。 また、所属世帯年収別にみると、低所得者ほどインターネットの利用率が低くなっている。

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驚くべき数字であることがわかる。今の40代までの人が今後歳を経て行くと、ほぼ90%以上の国民がネットと関わりを持つまでに普及することになります。また、この数字は、単に興味があるというレベルではなく、明らかに可能性収束した形であると思います

●ネット生活は、(つながり・広がりを求めて)まず注目すべき人や活動や情報を探索することから始まるが、それは、今何が起きようとしているのかを注視する(真猿の同類闘争時にも匹敵する)社会探索に他ならない。
と同時に、それは自分たちの新たな場=ネットの可能性の探索でもあり、その期待に応えて続々と新しいサイトが生み出されている(但し、まだまだ極めて不充分なものしか無い)。

インターネットのあり方も大きな変化を見せている!
ホームページ(掲示板)(1995年)

ブログ(2002年)

ソーシャルネットワーク(ex.mixi)(2004年)

ツイッター(twitter)(2008年)と変化してきています。この変化も、より多くの人と繋がれる方向へと進化してきたとも言えます

●私権圧力からの逃避としての個的生活は、私権が衰弱するにつれて中身がとことん空疎化し、無意味になる。

☆いずれ、中身の無い個的生活より、中身のあるネット生活の方が、有意義になる。

●ネットに参加して、互いに実感を語り合うこと自体が、緩やかな中身共認・課題共認を形成してゆく。

いまや、インターネットはテレビに変わる貴重な情報源である。個的生活は私権の終焉とともにとことん衰弱し、無内容になっています。だからこそ、中身のない個的生活より、中身のあるネット生活=事実収束や認識収束へと人々の意識は明確に変化していると思います。ネットへの関わりも、より多くの人と実感をすり合わせていけるツイッターへの変化も見逃せません

逃避集合(マイナス解脱)=私権圧力から逃避して群れる若者は遅れている。⇒いずれ、ネット生活者になるが、解脱収束かドグマ収束で×。
充足集合(プラス解脱)=私権圧力を軽く超えて、仲間充足に向かう本源派。⇒周りの実関係の空疎化は避けられず、中身(課題)と広がりを求めて、いずれはネットに参加する。

インターネット創設期は、発信力の強い旧人=ドグマ人間によるものが多くありました。そして、解脱逃避先としてのインターネットの役割があったのも周知の事実でしょう。しかし、その時代も解脱である以上、そう長くは続くものではなく、今や、解脱よりも情報収集への役割をインターネットに求める人の方が多いでしょう!
また、しがらみという極めて狭い世界では窮屈であり、そのしがらみを越えて実関係が結べるインターネットの可能性が見て取れます。
2001年の投稿ですが、人々の潜在思念からどう進んでいくのか?を予見した内容ですが、ここまでしっかり現実の世界も進んで来ていることに驚きです。これが次代を
読む認識力であると感じました
次回は、この広がっているネット生活の中身はどのようになっているのかを具体的に見て行きたいと思います。
by 復讐の叫び

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comments

みんな共通の課題を役割に応じてみんなが担うのは、勤勉というより当然と言う感じがします。
個人ありきで課題をバラバラに担い、その中でも一生懸命に課題に向かっている人を「勤勉」というのでは?

  • sinkawa
  • 2010年6月29日 18:47

日本と東南アジアの稲作の方法の違いで「日本人の勤勉性」を説明している所に
共感がもてます。
努力しだいで良質にもなり、豊作にもなるという違いが日本人を努力家、勤勉、
カイゼンなどの基盤になっているのだと思います。

その意味で引用にあるように日本人の勤勉性は男女共「充足・安定」が基にあるように思います。

  • tensen
  • 2010年6月29日 19:38

日本人の男の勤勉さは稲作発という話が大きな気付きになりました!
貨幣の流通が多くなった江戸時代も石高制を続けたのには貨幣を流通させすぎると農民が労働をしなくなるから、と聞いた事がありますが、今の日本と比較して考えるととても納得な気がしてしまいます。

  • かつまた
  • 2010年6月29日 19:41

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