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2010年03月11日

「共認運動の実現構造とネットの可能性 」その⑥~錯誤の根は、古い武力闘争のパラダイムにある~


前回までの記事:
m270 「共認運動の実現構造とネットの可能性」その① ~社会制度の最基底部の「婚姻」を議論できる場が無い~
m270 「共認運動の実現構造とネットの可能性」その② ~ネットにおけるツールの進化~
m270 「共認運動の実現構造とネットの可能性」その③ ~潜在思念は、ネットに収束するか?~
m270 「共認運動の実現構造とネットの可能性」その④ ~変革課題VS逃避解脱~
m270 「共認運動の実現構造とネットの可能性 」その⑤~チンケな運動(要求運動の終焉)~

に引き続き、今回も「共認革命シリーズ」から紹介します。
シリーズ6回目の今回は、

「共認革命7 錯誤の根は、古い武力闘争のパラダイムにある」

を紹介しながら、社会運動、要求運動が衰退してきたのは何故かを見ていきたいと思います。

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共認革命7 錯誤の根は、古い武力闘争のパラダイムにある

この私権社会(→その延長の市場社会)は、そもそも掠奪闘争⇒武力支配によって形成された。従って、私権時代の革命=体制転換は、常に武力闘争を必要としてきた。実際、私権時代(とりわけ古代・中世・近世)において、体制転換=革命の歴史は武力闘争=戦争の歴史であり、武力に拠らない革命など存在しない。(注:武力は体制転換の必要条件であって、充分条件ではない。従って、単に王朝or政権の交代に過ぎない「革命」が、歴史には無数に刻まれている。)


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それは、近代においても同じである。その後進性=非近代性ゆえに近代思想に立脚し切れず、相対弱者であるという厳しい所与の状況から武力革命の路線をとるしかなかった諸国においてのみ、革命は(その善悪はともかくとして)実現された。しかし、先進国=近代国家で武力革命が実現した国は、どこにも無い。


ところで、戦争であれ革命であれ、武力闘争とは文字通り命をかけた闘いであり、窮極の実践活動であるとも云える。その残影か、社会運動と云えば示威行動(デモや集会)というイメージが残されているが、それなどはもともとの武力闘争における行軍や行進を真似たものであろう。とにもかくにも世間の目を引く為には、「決起」するしかなかった時代のスタイルである。
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しかし、逸早く市場拡大の道を歩み、国富(国力)を市場拡大に依存するに至った先進国では、既に戦前(前世紀初頭)の段階で、戦争であれ革命であれ、弱者側(独・日や労働者・農民)の武力闘争による勝利の可能性は、とっくに無くなっていた。それは、武力によって統合された武力社会から、人々の共認によって統合される共認社会に既に移行していたからであり、かつその最強の課題共認が豊かさ追求=市場拡大だったからである。 そして’70年、貧困の消滅をもって、先進国の社会運動は終焉した。

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m268 先進国の社会運動終焉第一弾 「先進国の社会運動の終焉過程」より
前世紀初頭より市場拡大へ舵を切った先進国において、弱者による武力革命の勝利可能性が無くなった段階。

ここで、資本主義を採用した国家の一群に対する弱者(敗者)側の対抗策が、共産主義(中ソ)やファシズム(独)、軍国主義(日本)だった。しかし、豊かさ追求(私権の獲得)という最強の課題共認のもとでは、私権闘争のエネルギーを最大化する資本主義というシステムに勝てるわけもなく、それらが生まれた当初から既に敗北が運命づけられていたと言える。

m268 終焉第二弾
'70年の貧困の消滅であり、日本であれば団塊世代の全共闘運動が最後の社会運動だと言える。それまで、現実には敗北の連続であっても、貧困という外圧が原動力となり、弱者による身体を張った体制転換運動は続いていた。貧困の消滅と同時に序列崩壊が始まるので、一見、全共闘運動は規模としては大きい。しかし、運動の肉体的な目的である豊かさの実現は既に達成されてしまったため、体制による鎮圧の後は運動を継続するエネルギーも失せ、団塊世代は一斉にマイホーム収束に転じ、後に続いて三無主義(無気力・無感動・無関心)のシラケ世代が訪れる。

こうして、まず勝利の可能性が封鎖され、次いで原動力たる私権欠乏が衰弱することによって、先進国の旧い社会運動の命脈は尽きた。

m281 社会運動が機能しなくなったので、これからの社会はどのように変革するように社会に働きかけていくべきなのでしょうか? 次回に扱いたいと思います。

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