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日本人の可能性⑫~日本は亜細亜の図書館だった。

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シリーズ「日本人の可能性」。10回以上にわたってお届けしてきたシリーズも、今回が最終回です。
シリーズではこれまで、
 ①~日本人の基点「勤勉」は、充足発の女原理 [1] 
 ②~西欧と日本の階層意識の違い [2]
 ③~西欧と西洋の民主制の違い [3]
 ④~共同性がの差がもたらす東洋・西洋の観念体系の違い [4]
 ⑤~日本人の持つ舶来信仰とは [5]
 ⑥~”考えない日本人”のこれからの可能性はどこにあるか? [6]
 ⑦~なぜ、日本一国が、侵略を免れたのか?(先兵ザビエルの到来)~ [7]
 ⑧~自然音を左脳で聞く日本人~ [8]
 ⑨~漢字が同化能力を伸ばす-1 [9]
 ⑩~漢字が同化能力を伸ばす-2 [9]
 ⑪~漢字が同化能力を伸ばす-5 [10]
と扱ってきました。
「日本人の可能性」と大きなタイトルを銘打ったわけですが、一連の記事の中で見えてきたのは一言で言うと「日本人は稀な存在である」ということかと思います。それは、今なお保持されている共同性であったり、肯定性であったり、同化体質であったり・・・これら本源性をベースとして、その上に独自の観念体系(端的な例が日本語)を塗り重ねてきている点によっています。戦後、欧米化する中で考え方が変わり、かなり見落とされてきていますが、私たち日本人が塗り重ねてきたことを見直そう、という訴えでもあったでしょう。
一方で、私たち日本人は、自分が属する小さな集団について考えることはあっても、広く「社会」をどうするか、ということは考えてこなかったという指摘もありました。縄文時代からこれまで、社会変革は度々起こりましたが、それは自発的に起こったものではない。独自の受け入れ体質を発揮して、外からの圧力に受動的に対応して(≒流されて)いった結果である、という指摘です。私たち日本人の「稀」な部分はこのような歴史事実によって形成されてきたわけですが、これから先、本当にそれで良いのか?という疑問は残ります。
そこで、今回は「るいネット」 [11]より『日本は亜細亜の図書館だった。』 [12]という投稿を紹介します。
[13]


■日本は亜細亜の図書館だった。(前半)

~前略~
今回の主役は人間ではない。主役は私たちの「日本」である。
「亜細亜の図書館」かつて日本がこう呼ばれていたことをご存知だろうか。インドのノーベル経済学賞を受賞したアマーティア・センはこう言っている。
┌——–
日本は、まだ経済の足腰もしっかりしていない頃から教育に力を入れ、諸外国の文献をせっせと翻訳し、20世紀の入り口での出版物の量は米国の2倍に達していた。
└——–
日清日露戦争後には、アジア各地の留学生が大挙して日本に渡ってきた。アジアの独立、近代化の中で、ひときわ光を放つ人物の多くが日本で学んでいる。私たちが学校の歴史で学ぶアジアの人物で、日本と無関係な者はほとんどいない。
特に中国においては、孫文しかり、蒋介石しかり、文化面では魯迅など教科書で習う中国人の全てが日本の恩恵に与っているといっても過言ではない。
アジアの近代化運動も、日本が本拠地であったこともある。多くのアジア人が日本で学び、祖国の発展の夢を描いていた。日本はまだまだ貧しいながらも、彼らを差別することなく迎え、民間人も彼らの「夢」に協力していた。
日本が訳した欧米の知識は「漢字語」という姿に変え、中国へももたらされ、ベトナムやタイへも形を変えて伝わっていった。「近代文化の種」それが新しい漢字語でもあった。
アジアの近代化は日本発、まさに「亜細亜の図書館」‥‥それが日本だった。
日本における「教育」、これはある意味「文化」といえるものかもしれない。昔から、どんなに貧乏でも、「教育だけは」という話は巷にあふれている。
江戸時代、出島のオランダ商館長が、高札に書かれていることを一般庶民が普通に読んで理解していることに驚いた、とその手記に残すほど江戸時代の識字率は高かった。
諸説あるが、江戸後期で男子が約8割、女子は2割、農村地区でも約2割が読み書きができたといわれる。この教育という「文化」があったからこそ、明治維新後、いち早く近代化が進み「亜細亜の図書館」となりえたのではないだろうか。

アジア(特に中国)の歴史的人物が日本で学んでいたとは知りませんでした。それほど、日本の教育環境がハード・ソフトの両面で整っていたということでしょう。
「文化」であると指摘されている国民教育は、江戸時代の寺子屋の数からもその片鱗がうかがえます。当時の寺子屋は、全国に15000以上存在したといい、現在の小学校の数である約22000に迫ります。江戸時代の総人口は、現在の1/4程度であったことを考えると、現在以上に高い割合で教育機関が存在していたことになります。
(参考)
「大江戸寺子屋事情」 [14]
「学力低下をどうする?(寺子屋を通じて)」 [15]
「江戸時代の小学校『寺子屋』」 [16]
■日本は亜細亜の図書館だった。(後半)

余談だが、戦後GHQで、「日本は識字率が低いから軍国主義になった」と、全く無知なことを言う担当官がおり、「国語を英語に替える」と息巻いたらしい。「それならテストしてみろ!」となり、結果参加者ほぼ100%の識字率だったことに驚き「アメリカより高い」と漏らしたそうである。
こうした「亜細亜の図書館」と呼ばれるようなレベルを維持できたのは、国と自治体が「予算の40%以上をつぎ込んだからだ」と先のアマーティア・センは言っている。
ではそのお金がいったいどこからきたかというと、日本国民の税金であった。
欧米は、国家予算の多くを植民地からの収益で賄った。人頭税、塩・アルコールの専売、人が亡くなれば葬式税まで取った。挙句には阿片を専売にして大儲けした国もある。
かのルーズベルト大統領の母方は麻薬商人だった。その資金で大統領になったと悪口も言われていた。その大統領が「日本は中国で阿片を売っている」と批判していた。自分たちは植民地からきっちり収益をあげておきながらである。
戦前の日本の税制をみると、これら欧米の植民地税制とあまり変わりないのだが、それを、統治した台湾や朝鮮にではなく内地住民に課した。植民地と同じような税金を国民は黙って払った。
さらには、本来収入源であるはずの植民地に、時には国家予算の1/3をつぎ込むということもやった。最終的に日本は、有史以来初めて「植民地をもった国が、結果その経営は赤字だった」ということで、歴史に不名誉(?)な名を刻むことにもなった。
現在の日本は、果たして「亜細亜の図書館」といえるのだろうか。
戦前を否定し、貶[けな]すのは簡単である。教育も「皇国教育だ」と頭から批判するのもよい。
今と比べものにならないぐらい貧乏でありながらも、大きな軍隊を持ち、併合地に投資し、さらに教育の充実を計った戦前の日本。ーーー来日し、日本で夢を描いたアジアの人々も大勢いた。
現代は、民主的な教育を受け、みな大学にも行ける。国として経済的にも富みODAという名で世界中にお金を出している。ーーーアジアの人々に多大なる苦痛を与えたと反省もして、日本にしかできない国際貢献をしなければと言う人もいる。
しかし、それが、戦前の日本のように彼らに「夢」を与えているのだろうか?
アジアがいま望む「夢」とは何か?いまだからこそ戦前に学ぶことがあるのではないだろうか。
戦前、多くのアジア人が「亜細亜の図書館」と尊敬していた日本を忘れてはならない。

アジアがいま望む「夢」・・・・・・これからの日本に出来ることは何でしょうか?
それは、引用もとの丸一さんのお言葉をお借りすれば「私権社会、市場社会を超えた「新しい社会」の創造、実現」でしょう。
私たち日本人の稀さとは、まさにこの「夢」にもっとも近い稀さであると考えます。先進国でありながら本源性を残し、独自の観念体系を形成している点は「新しい社会」に結びつく可能性であると考えます。
逆に言えば、ただ稀であるだけでは、可能性も可能性として芽生えてこない。私たち自身が可能性に気付き、行動していかない限り「変わった連中だ」といわれるだけで終わってしまいます。私たち日本人が積み重ねてきた歴史を再度見直し、持ち前の肯定性や充足性で捉えなおすことで多くの可能性に気付くことが出来ると思います。
シリーズ12回の一連の記事は自我自賛ではありません。私たち日本人が積み重ねてきた歴史に対する充足的な可能性発信と捉えていただければ誠に幸いです。
私たち日本人は、アジアだけでなく世界が望む「夢」を「現実の期待」と捉えて応えていける稀な存在なのです。
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