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2015年12月15日

古代の婚姻習俗の変化

日本の婚姻習俗は、隣接諸民族との文化的なつながりのもとに形成され、その後の時代的変遷とともに変貌を遂げてきたが、しかもなおその原型を近時までとどめるものも少なくなかった。婚姻習俗の変化について古代を中心にまとめておく。

■(1)嫁入り婚文化のうち、東北地方の年期婿の習俗は、極北の採集狩猟民に連なるものとして、日本の最古の文化に位置するものとみなされよう。

・労役婚の側面をもつ年期婚は、シベリア東北端の極北の狩猟漁労民や中国北方の古代の諸民族で行われており、日本の年期婿がこれら北方諸民族の労役婚文化の一環をなすと解されうる。
・幼男子後見型の年期婿と同様の習俗も、中国北方諸民族の間で「期限つきの入婿」として行われていた。

※いずれの場合であれ、娘を婚出させることによって妻家が被るであろう労働力の喪失を婿が補填するという意味がみいだされ、娘を他家へ嫁がせる嫁入り婚がその前提となっている。

■(2)ついで南方系の一時的訪婚の習俗は、黒潮が流れる房総以南の太平洋海域に分布するとともに、その分流の対馬暖流に沿って日本海域をも北上したことが判明している。

・雲南省圭山地区のイ族(彝族)のもとでは、寝宿における日常的な自由な交遊のほかに、「火把節」と称する「松明の祭り」が、若者たちの求婚の機会だったという。この松明祭りはまさに歌垣に相応する習俗であった。
・江南の少数民族のもとでは、嫁が夫家で式をあげてもすぐに自家に戻り、ある期間(多くの場合、妊娠までの間)別居し、この間、夫家に労力が必要なときや節日などに、夫家の招きで嫁が夫家を訪れ、夫婦生活を営むのである。
・中国の不落夫家婚のうちにも、日本の婿入り婚や足入れ婚と同様に、別居中の訪問が夫の妻訪い(妻問い)の形をとる場合もみられた。海南島のリー族(黎族)の少なくとも一部の部族がそうである。しかも、このリー族には、別居中の婚舎に寝宿を用いる「寝宿婚」の習俗もみいだされた。

※日本の一時的訪婚の諸習俗が中国南部の不落夫家婚と著しく共通しており、両者の文化史的関連性が推定されうる。

■(3)元来、嫁入り婚を取り入れていた北方の遊牧騎馬民は、岡正雄や江上波夫によれば、日本にもっとも遅く入ってきて大和王朝を打ち立てたが、その際、南方系の先住民と盛んに通婚することによって彼らの一時的訪婚の習俗を摂取したという。この岡・江上説は、確かに古代の支配階層の婚姻形態に関する一般的傾向を示すものといえようが、天皇が妃妻を入内せしめるという形で嫁入り婚を堅持していたことは無視されてはならないし、また、遊牧騎馬民に淵源するとみられる婚姻諸習俗が前述したように少なからず伝承されてきたことを勘案すると、遊牧騎馬民の嫁入り婚がすべて一時的訪婚に変化したとはいえまい。

・中国北方のオロチョン人、満州族、ダフール人、エベンキ人、モンゴル族において広く行われていた仲人結婚。
・嫁入りの儀式・・・中国の漢族の「親迎」と「回門」に当るものであり、北方の遊牧民族の間にもこの傾向がみられた。
・中国東北地区の満州族の間で行われていた、松明や篝火などで嫁を迎える火の儀礼。

このように日本民族生成の時点において、(2)の南方の黒潮文化に属する一時的訪婚のほかに、(1)の極北採集狩猟民に連なる嫁入り婚と、(3)の北方遊牧騎馬民がもたらした嫁入り婚が併存したが、これら三つの文化史的現象を、(1)縄文、(2)弥生、(3)古墳の各文化段階に対応するものと考えることができる。

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