2007年02月27日
アイヌから学んだ文字の力
アイヌの老人 アイヌ民族博物館
「アイヌ民族がなぜ文字を使わなかったかということはむずかしい問題ですが、その理由として考えられることを、ここではふたつばかり挙げてみましょう。・・・」 続く・・・
「・・・ひとつは、文字というものがそもそもどういう目的で必要とされたかということです。これは推測に過ぎませんが、どの民族でも、文字文学などというものが発展する前の段階においては、広範囲に渡る命令の伝達、租税や、貢物などが納められたものの記録、そしてその国家なり、支配者一族の事績(歴史)の記録というようなことが、一般的な文字の使用法だったと思われます。だとすれば、統一国家というようなものを作らないまま現在に至っているアイヌ民族にとっては、文字を使うことを迫られるような状況に、今まで置かれたことがなかったということができるでしょう。」 アイヌ民族博物館から引用
言葉はあるが文字を持たなかった、いや、文字を持つ必要のなかったアイヌ部族。
その言葉には、過去形や未来形がない。
まさに現実を生きている証である。
酷寒の地で、自然と向き合い、自然と融け合って生活しているその様は、純粋でいて、逞しい“生”へのエネルギーを感じ取れる。
「イヨマンテ~、燃えろかがり火、・・・」
叫び声が聞こえてきそうである。
彼らの生活からは、自然の中にいる神まで、まるで尊い仲間と同一の地平に有る様にも伺える。根源的な“生”の力は、現実との同化、その力が産み出すんだ、と教えてくれている。
しかし、同時に、“文字”の重要性も教えてくれた。
数十人の集団統合には、そこにいる人間が理解できる言葉があれば十分だが、集団を超えた統合には文字=観念が必要であるということだ。アイヌは魅力的な集団ではあるが、いまや種として存亡の危機に有る。
両方を併せ持つアイヌであったら、社会はもっと変わっていたかも知れない、・・・・・・・と考えるより、それがわかったなら、自ら実行していこう、・・・と考えよう。
- posted by taiyaki at : 2007年02月27日 | コメント (4件)| トラックバック (0)
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comments
外圧状況の違い、確かにありそうですね。
北米というと、針葉樹林に覆われていて、トナカイが群れで走り回っている姿を想像してしまいます。
そうなると、北方は狩猟部族?
そうなると、階級社会というのは当てはまりそうですね。
母系社会というと、
外圧が比較的緩い部族に当てはまりそう。
でも、北米って、南部とはいっても外圧がきつそうだけど、本当はどうなんだろう?
などと、色々と思い浮かんできますね。
新しい報告を待っています。
現在、カナダでインディアンとして登録されているインディアンの数は約54万人で、カナダ国民のほぼ1.8%に当たります。登録していると、連邦法によって一定の権利や特典、社会保障(補助金)などを受けることができ、登録したインディアンのうち、約55%が、彼らのために確保された「保留地」(原住民保護地)に住んでいます。この保留地はインディアンだけが住むことを許されていて、石油の利権もあるようです。
しかし、多くのインディアン達がこの過剰すぎる援助のため、働くことをやめたり、学校に行かなくなったり、酒やドラックに溺れたりしており、生きる目的を見失って自殺にまで至る人もいるなど、カナダ全体でも社会問題化しているようです。
人工的な保留地に半強制的に住まわされ、活力を奪われて、自殺にまで追い込まれてしまうというのは、なんかおかしな話ですね。
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