2023年03月04日
【古代西アジアの文明史①】目まぐるしい文明の変遷を生み出した高い自然・同類圧力
画像はコチラからお借りしました。
古代人類の集団統合について、これまで日本の縄文時代を中心に扱ってきましたが、世界に拡げて目を見てみると、どのような観念(世界観)で集団が統合されてきたのでしょうか。
統合する集団規模が大きくなると、ある程度秩序立った”文明”として社会の様子を表すものが出てきますが、その中でも中国や西アジアなどは歴史的にも古くから人々が文明社会を築いてきたことが残されています。
前回扱った中国とは別に、今回は西アジアに焦点を当てて、当時の集団形態や、集団を統合する世界観とはどのようなものだったのか見てみたいと思います。
比較的安定性、継続性が見られた日本の縄文時代の約1万年もの間、西アジアでは狩猟採集から農耕牧畜、都市、国家の形成までと、目まぐるしく時代が駆け抜けていきます。
また、西欧観念の源流でもあるユダヤ教やキリスト教文化が生まれた場所でもあり、文化的革新の誕生地として、多くの考古学調査が行われている場所でもあります。
西アジアでの、それほどの速い時代状況の変化をもたらした当時の外圧状況とはどのようなものだったのでしょうか。
西アジアと縄文の先史文化比較年表。画像はコチラからお借りしました。
かなりざっくりとした集団形成の変遷を見てみると、①狩猟採集・定住(1万3000年前頃)→②農耕牧畜(1万年前頃)→③都市・国家形成(6千年前頃)で大きく社会性が発展していっています。
これらの変化には気候変動による自然外圧が深く絡んでいると考えられています。
まず定住化は、オールデスト・ドリアス期の気候乾燥・寒冷化により死海地溝帯周辺に人口が集中したことによって、高い同類圧力⇒食糧の集約・貯蔵・定住というシステムを生んだことによるもの。
農耕は、定住化後の温暖期に人口が増加したものの、再度寒冷化したことで再び死海地溝帯に人が集中→野生のムギ類を栽培化し、限られた食糧資源の開発に繋がります。
またこの時、食糧の収集・備蓄をする場所として神殿がその機能を果たしていたようですが、これの管理者の権威が世俗化することによって、新たな社会≒都市化に至ったと考えられています。
このような文明の変化が大きかった西アジアの自然環境に着目すると、日本のように狭い地域の中で水資源も森林の資源も豊富に得られるような豊かな環境とは違い、もっと自然の密度が粗い環境なのが特徴です。地域ごとに自然環境の性質がガラッと変わり、かつ湿潤か乾燥かの天候状況によっても変化が大きい場所です。
そのような場所だったからこそ、乾燥期にはわずかな自然資源を巡って同類同士の争いが絶えなかった≒その対策が必要だったことから、どうにかして自然を自ら作り変える必要(農耕、灌漑など)があったのでしょう。その際には、自然に対する観念、思想、世界観も変わっていったのではないでしょうか。
次に、より詳しく各時代の状況を見ていきたいと思います。
(続く)
- posted by matu-kei at : 2023年03月04日 | コメント (0件)| トラックバック (0)
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