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2016年11月3日

2016年11月03日

偏差値の生みの親へのインタービュー

日本の「教育」が行き詰まっている~日本人の野心を奪った『偏差値』と『大学教育』~①偏差値と教育
>そもそも、なぜ偏差値が導入されたのかと言えば、学生運動の象徴とされる東大の安田講堂事件 の後、政府が強い危機感を持ったことに端を発しています。当時の世界は東西冷戦の最中です。米国に逆らってロシアや中国と結託し、政府を転覆させようと革命を企てる輩がいる。政府に逆らうような資質をあらかじめ封じようということで、「あなたは偏差値57」「あなたはもう少し上の偏差値63」というように、その人間の可能性をあらかじめ決めてしまった。若いうちに、人間にたがをはめてしまうのです。
この偏差値の存在が、今の日本の若者、ひいては日本全体を萎縮させています。

 

偏差値、試験制度、受験制度について調べていたら、偏差値の生みの親の人の記事があった。
そもそも偏差値がどのようにして生まれたのだろうか。
リンク より紹介する。

 

~小学校から高校まで、日本の学校教育の中で偏差値の洗礼を浴びない子供はほとんどない。
そして偏差値に一喜一憂した思い出を持つ大人も少なくない。
偏差値が登場したのは1960年代の中頃。それが受験生の学力を測る「ものさし」、あるいは人々の優劣を示す指標として、またたく間に日本社会に浸透した。受験生にとって恐怖の「偏差値」も受験指導をする側にとっては、強力な説得力を持つ便利な道具として、50年間、その威力を発揮してきた。しかし、その一方で偏差値遍重教育の元凶として厳しい批判も浴びている。これほど日本人にとって馴染み深い「偏差値」だが、意外にもこの偏差値について、理解と知識を持つ人は少ない。そこで偏差値の生みの親とされる桑田昭三氏に「偏差値」について語っていただいた。

 

Q:教育評価について関心を持つきっかけはどのようなことでしたか?
A: 私は,教員養成系の大学の出身ではないので、専門的に教育評価論や教育指導法を学んで来たわけではありません。ですから、教育評価に関心を持って「偏差値」を考えた訳ではなく、偏差値を追いかけている間に、いつの間にか、教育評価学が座右に来てしまったのです。
日本の教育評価の思想は、主に戦後、アメリカから移入されたものでした。昭和21年、アメリカからやってきた GHQ-CIE(連合局最高総司令官総司令部民間情報教育局)の教育審議官は、教育評価活動が行われていない日本の教育に驚いたようです。

アメリカでは20世紀の初め、心理学者のソーンダイクが「教育測定運動」〈客観式の標準テスト問題を用いて学力を測定評価する運動〉を大々的に展開しました。日本にも1930年頃、こうした運動が芽生えましたが、伝統的で権威的な日本の教育土壌には不向きだったようで、根付くまでには至りませんでした。
それまでの日本の教育は、中学から大学までテストは「試験」と呼ばれる論述式で、評価は担当の先生が結果を見て「よし」と判断したら合格、「駄目」と判断したら不合格になるといういわゆる「絶対評価」をやっていました。つまり、私が偏差値利用を考えだすまで、教育現場にはテストの得点の教育的意味や価値、評価のあり方などに関心を抱く教員はほとんどいなかったということです。

日本の教育現場に「論理的統計学的な考え方」が取り入れられるようになったのは、戦後の教育改革に伴い「相対評価」という児童生徒の学力評価の仕方が導入されてからです。それは「平均的な人の学力と比べて、どれくらい優れているか、劣っているかを5段階で表示する」というご存じの評価方法です。しかし当時、学校では指導要録や通信簿などの文書の記入以外では、「相対評価」を利用していませんでした。つまり、試験をやり,順位を付け、それを学力の指標として指導に当たるという、戦前来の方法とあまり変わらない学力評価が行われていたということです。

 

Q: 偏差値を生み出す直接的なきっかけは何でしたか?
A: 東京都の教員になって2年目、『志望校判定会議』が開かれた時のことです。進学を志望する生徒一人一人の校内テストの成績と志望校を成績順に印刷した一覧表を前にして、進学係の先生が「この生徒はまずは問題ないでしょう」「この生徒は1ランク下の学校に変更するよう指導すべきでしょう」と、判定結果を順次発表していくのです。ところが私が受け持つ生徒が、一番違いで志望校変更の宣告を受けてしまったのです。生徒に「君の力なら大丈夫!心配せずに頑張れ!」と励ましたばかりでした。それを今さら「1点足りないから1ランク下げなさい」とは言えません。頭の中が真っ白になってしまった私は、夢中で「どうして?論理的な説明をお願いします!」と、執拗に迫りました。しかし、進学係の先生から「判定は、前年度までの合格状況と私たちの勘を総合した結果だとしか、説明できない。この判定が不服だとする根拠を桑田先生こそ、『論理的』に説明して頂きたい」と逆襲されてしまいました。このことがきっかけとなり「これでよいのか、お前も教え子たちも!」と自問に苛まれた末、進学指導の科学(後の偏差値)への挑戦を決意しました。

それから3年、暗中模索の中、試行を繰り返した末に偏差値誕生に繋がる「ケトレーの法則」に出会ったのです。つまり、『入学試験における受験生の学力分布は、正規分布であるとみなすことができる』と仮定し、高校ごとの入試実態の解析を進めて行けば、道が開けるに違いないという考えに至ったのです。というのも、その生徒は志望通りの学校を受験し、不合格になってしまったのです。その時の、生徒に対する贖罪の思いと、教師としての自分の不甲斐無さが、この偏差値を生むきっかけになり原動力になったとも言えます。

 

※参考:「偏差値って必要?入試制度って、このままでいいの?」

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