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2013年10月05日

【東南アジアにおける、南方モンゴロイド的社会とその可能性を探る】1-3南方モンゴロイドに共通する文化的な特徴


画像はコチラからお借りしました。
前回は、「Y染色体ハプログループにおける日本人他東アジアの傾向について」Y染色体から分かる人類の移動ルート(人類のルーツ)について追求し、日本人と同様の気質を持つ人種が東南アジアに集中していることが見えてきました。そこで今回は、東南アジアと日本の共通点を中心に南方モンゴロイドに共通する文化的な特徴とその理由について探っていきたいと思います
続きを行く前にいつものやつをお願いします

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東南アジアと日本の文化的な共通性と言われてまず初めにイメージできるのが、「稲作文化」ではないかと思います。そこで、南方モンゴロイドの特徴としてまず初めに稲作文化から押さえていきたいと思います

■母系性の農耕文化

南方モンゴロイドの文化より

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南方モンゴロイドの祖先は、アフリカから東方へ向い、東南アジアのスンダランドに長く留まります。ここで南方適応し、その形質を固めてゆく。したがって、この地に留まったモンゴロイド(南方モンゴロイド)は海洋民としての文化を育ててゆくことになる。
また、1.4万年前から6千年前の温暖期には、極地の氷床が溶け出したことでスンダランドの海没が始まり、南方モンゴロイドの一部は中国、およびモンゴル高原へと北上してゆく。
中国へ進出したモンゴロイド(=原中国人)はそこで母系性の稲作文化を開花させた。

12/29なんでや劇場(4)~新モンゴロイドの誕生と中国文明の起源より

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● 中国初期の母系制農耕文化の担い手は原中国人(O1、O2)
モンゴル高原の新モンゴロイドO3が5500年前に南下する以前の中国は、原中国人(スンダランド発のO1、O2が主体の元海洋民)が母系の農耕文化を開花させていた。O型のうち、O1型は3万年前に南下してインドネシアに渡り、そこからフィリピン、台湾、中国へと移動した。O2型は3万年前に北上して長 江流域へ進出した。このO1、O2型が2.1~1.8万年前、1.3~1.1万年前の寒冷期に中国に移動した中亜モンゴロイドC3を凌駕した。
長江流域では9000~7800年前の彭頭山文化(稲の栽培跡)が興り、7000~5200年前の河姆渡文化、大渓文化につながる。黄河中流域では 8500~7000年前の粟の耕作やブタの飼育を中心とした裴李崗文化及び後李文化が登場し、7000~5000年前の仰韶文化、6300~4600年前 の大ブン口文化へとつながっていく。この時期には、新モンゴロイド(トルコ族、モンゴル族、ツングース族)も遊牧を営んでいたと考えられる。
●新モンゴロイドの南下とチベット族の侵入によって母系から父系へ転換
ところが、5500年前以降の寒冷化に伴って、新モンゴロイドO3(トルコ族、モンゴル族、ツングース族)が南下するのに加え、チベット族D型も移動してくる。黄河流域と長江流域で防御性の高い城堡が出現し、以降、中国は父系制に転換する。

現在、一般に北方モンゴロイドと呼ばれているのは、もともとスンダランドに暮らしていた南方モンゴロイドであり、海洋民族であり、1.4万年前の温暖化によるスンダランド水没で、太平洋諸島へ拡散した人々がミクロネシア等にその文化を引きついでいる。
一方チベット高原を経てモンゴル高原へと移動した人々が、新モンゴロイド(O3タイプ)となり、騎馬文化、遊牧文化へと変わる。
一方、原中国人はスンダランドから南回りで移動した、母系制農耕民族のO1タイプ、O2タイプが主流だったが、寒冷化に伴う新モンゴロイド(O3タイプ)とチベット民族(Dタイプ)の移動で戦争が始まり、中原を中心に父系制の武力国家(父系制の農耕文化)が形成されていく。
その後南方に残っていた母系性の農耕民族が押されて後徐々に南下し、現在の東南アジア各国に進出するのに伴い、稲作技術も南下し、現在の東南アジア各国には農耕文化が根付いている。
よって、太平洋の諸島に残る南方民族は、かつての海洋文化を残し、大陸に渡った南方モンゴロイドは母系制の農耕文化を保っている。

■精霊信仰=アニミズム文化

潜在するアニミズムより

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イスラム教徒のインドネシア人が何かの災難にあって困った時、まず最初に”アッラーの神”に助けを請う。そこで効き目がないと見るやヒンドゥーの神々に切り替える。それでも駄目な場合の最後の切り札こそ古来の大地その他の諸々の精霊である。
この話は若干インドネシア人の宗教的態度を誇張しているにしろインドネシア人の宗教の根底にはアニミズム(animism)が根付いていることを示唆している。
人類に最初に宗教として芽生えたものがアニミズムである。アニミズムは人や大地はもちろん山や岩や木などのあらゆる”物”に精霊あるいは霊の存在を信じ、それを畏れ敬う心である。
インドネシア人の重層信仰といわれる表面的な宗教の根底にはアニミズムがあり、この結果、既成宗教も他の国にない様相をおびている。
例えば、バリ島のヒンドゥー教は本家のインドのものから変質しており、バリ・ヒンドゥー教といわれる。その特徴の一つはアニミズムの山岳信仰と結び付いていることである。聖なる山を背にしている寺院への礼拝は山への礼拝になる。
ジャワ人の行事のスラマタンはイスラム教のお祈りを伴うが、そもそもは村の精霊も参加するジャワ古来の共食儀礼である。イスラム教には神に食物を供えたり、神とともに食事するという習慣はない。
キリスト教に改宗したバタック人、ダヤク人、トラジャ人も葬式は民族古来の伝統に従っている。日常はキリスト教であっても死者の精霊を鎮めるためにはアニミズムに基づく伝統の儀式を欠かさない。
アニミズムはインドネシアの各々の民族の固有の文化と結び付いて民族文化の多様化をもたらしている。人形や木彫りやイカットは祖先の霊や諸々の神を表し、敬い崇めるとともに守り神としてきた。
宗教としてアニミズムは単純であるとか劣るとかいうものではない。乾燥の中東の風土には〈思索的宗教〉が相応しく、湿潤のアジアの風土には〈情緒的宗教〉が似合う。日本人も、早朝、東の空の太陽に礼拝する、大きな木に手を合わせる、滝や岩に注連縄(しめなわ)を張る、など日本人の民俗にもアニミズムに起源があるものが多い。

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日本人の独自性について~旧モンゴロイド系の言語は本来的にアニミズム的な多神教的な脳を産み出す~より

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もし、日本語がその様な脳を作り出す特性を持っているとしたら、どのような異文化が流入しても、日本の根底に在る文化、精神は変化しないのか。また、この様な日本語の特質は果たしていつ頃からできたのか。博士の研究に拠ると、この日本人特有と思われたパターンが他の民族からも見付かっている。いわゆる黄色人種の中には日本型の脳はなかった。日本人に最も近いとされる韓国人にしても欧米型であった。しかし、太平洋に点在する島々の住人、つまり、その現地語を 話すミクロネシアなどの人々は日本型と判断された。ポリネシアの言語もその形態の近い事から同様の脳を作ると考えられる。
実を言えば、現在、縄文人の直系の子孫と思われるアイヌの人々は遺伝的にポリネシアンに近い事が分かっている。また、哲学者梅原猛氏が言うようにアイヌ 語は縄文の言語の形態を色濃く残していると考えられている。最近の研究ではミクロネシアン、ポリネシアン、縄文人、アイヌなどは氷河期以前のモンゴロイド と言う意味で旧モンゴロイドと名付けられ分類をされている。ミクロネシア系の言語が日本型脳を作るのなら、そして縄文語から発展した日本語が日本型の脳を作るのなら、アイヌ語も日本型の脳を作ると推測できる。つまり、旧モンゴロイド系の言語は本来的にアニミズム的な多神教的な脳を産み出すと考えられる。むろん、文明を持つ以前の人類は、アルタミラの洞窟壁画を見ればわかるように旧モンゴロイドに限らず、アニミズム的な世界観を抱いていた。

■まとめ

東南アジアと日本の文化の共通点から南方モンゴロイドに共通する文化的な特徴をまとめると
①母系性の農耕文化であること
②自然を受け入れ、万物に神が宿る多神教、精霊信仰を残存させていること

大きく上記の2点が南方モンゴロイドの文化的な特徴と言えるのではないでしょうか。
次回は、今回特徴の一つとして挙げられた①母系制の農耕文化から南方モンゴロイドの性習俗について更に深く追求していきたいと思います

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