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2014年05月29日

岡本太郎が見出した縄文の魂~闘争・歓び・祭り~

岡本太郎は、1970年大阪万博の「太陽の塔」をデザインした芸術家。40代以上の人にはテレビで「芸術は爆発だ!」と叫ぶ奇人系タレントとして記憶している人も多いでしょう。しかし、彼が1950年代に民俗学的視点から、縄文土器を再評価し、日本文化論を多数著してきたことはあまり知られていません。今回は芸術家という枠に納まらずに活躍した岡本太郎について紹介します。

太郎は、1911年(明治44年)、漫画家の岡本一平、歌人・作家のかの子との間に一人息子として生まれました。父は有名な漫画家、母は人気作家という家庭環境が、芸術家岡本太郎の土壌となったのは確かでしょう。がなかなか複雑な家庭環境でもありました。

父は収入こそあれ、そのほとんどを交遊に使ってしまう放蕩ぶり。母かの子は創作活動に邁進し、家事・育児は一切せず。しかも愛人をつくり、夫公認の下で同居するという自由奔放ぶりでした。当時としては、いや現代においても破天荒な家庭環境が、古い価値観や制度に縛られずに、人や物事の本質を見抜く“眼”を養ったのかも知れません。

 その後成人した太郎は、フランスの大学で哲学・社会学・民俗学を学び、つねに既製の伝統主義的価値観を否定し、人間の根源的な力を探し求め続けました。

 その太郎が、戦後まもなく出会ったのが、縄文土器です。その出会いは衝撃的なものでした。

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●縄文との出会い

「偶然、上野の博物館に行った。考古学の資料だけを展示してある一隅に何ともいえない、不思議なモノがあった。 ものすごい、こちらに迫ってくるような強烈な表現だった。何だろう。・・・・縄文時代。それは紀元前何世紀というような先史時代の土器である。驚いた。そんな日本があったのか。いや、これこそ日本なんだ。身体中に血が熱くわきたち、燃え上がる。すると向こうも燃あがっている。異様なぶつかりあい。これだ!まさに私にとって日本発見であると同時に、自己発見でもあったのだ。」

「縄文土器にふれて、わたしの血の中に力がふき起るのを覚えた。濶然と新しい伝統への視野がひらけ、我国の土壌の中にも掘り下げるべき文化の層が深みにひそんでいることを知ったのである。民族に対してのみではない。人間性への根源的な感動であり、信頼感であった」。(「縄文土器論」の一節より)

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火炎土~1

 火炎式土器

 

●縄文土器は闘争する民族の冒険譚

そして彼は、縄文土器のもつ力強さを、深い感動とともに克明に表現します。

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「激しく追いかぶさり重なり合って、隆起し、下降し、旋廻する隆線紋。これでもかこれでもかと執拗に迫る緊張感。しかも純粋に透った神経の鋭さ。常々芸術の本質として超自然的激越を主張する私でさえ、思わず叫びたくなる凄みである」。(「縄文土器論」の一節より)

 「縄文土器のもっとも大きな特徴である降線紋は、はげしく、するどく、縦横に、奔放に躍動し、くりひろげられます。その線をたどっていくと、もつれては解け、混沌に沈み、こつ然と現れ、あらゆるアクシデントをくぐりぬけて、無限に回帰しのがれていく。弥生式土器の紋様がおだやかな均衡の中におさまっているのにたいして、あきらかにこれは獲物を追い、闘争する民族のアバンチュールです。さらに、異様な衝撃を感じさせるのはその形態全体のとうてい信じることのできないアシンメトリー(左右不均斉)です。それは破調であり、ダイナミズムです」(『日本の伝統』)。

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広葉樹林

日本の風土、特に東日本の広葉樹林や深い山、谷、川を、獲物を求めて縦横に駆け巡る縄文人の姿が今にも見えてきそうです。彼らの自然観、すぐれた空間感覚が、縄文土器のダイナミックな造形を生み、それが太郎の、そして私たちの根源に眠る縄文の魂と共鳴した瞬間でした。

 ●歓びと祭りが闘いの活力源

そして、「掘り下げるべき文化の層が深みにひそんでいる」と言わしめた、縄文の世界観がどのようなものであったか? 太郎は縄文と弥生の生産様式の違いから、考察を進めていきます。

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「縄文式時代は狩猟期であり、弥生式時代には人びとは、かなり大きな集落を作って、農耕生活をおこないました。この二つの異なった社会生産の段階において、生活はとうぜん異なった世界観に彩られます。狩猟期にあっては、糧はたたかいとらねばなりません。獲物をおっかけて突きすすみ、仕とめる。躍進、闘争はその根本にある気分です。それはきわまりなく激しく、動的であり、むごたらしいほど積極的です。ところで猟ではとうぜん、いつも望みのままの獲物がとれるとはかぎりません。おもしろいように大猟のときもあれば、獲物の影一つ見ないシケもありましょう。不猟はただちに飢えを意味するし、生命の危機です。それと反対に、大猟は歓喜であり、祭りです。」

(中略)

「ところで、農耕民族の律儀さもとうぜん彼らの生産様式に規定されているのです。彼らは土着します。農耕生活は年々が一定の規律をもった繰り返しです。カレンダーによる周到な計算と、忍耐づよい勤勉がその生活条件となるのです。秋の実りは蓄積されて、次の1年を保証します。まれにおそってくる天災、飢饉のほかは彼らの生活を根こそぎおびやかすものはありません。安定と均衡、節度と従順、必然と依存の意識が世界観を支えるのです。」

 いうまでもなく、太郎は文明以前とされていた縄文の時代にこそ、人類が根源的にもっている力、現実の中で生き抜く力を見てとったのです。この発見は、その後彼が、北海道のアイヌ文化、東北地方や沖縄の伝承文化に興味を持ち、フィールドワークに向かう大きな契機でもありました。

 ●社会閉塞の突破口となる縄文の魂

さて、太郎は縄文土器、縄文の魂から何をつかみ、何を伝えようとしたのでしょうか。

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「われわれが縄文土器のあの原始的なたくましさ、純粋さにふれ、今日瞬間瞬間に失いつつある人間の根源的な情熱を呼びさまし、とりかえすならば、新しい日本の伝統がより豪快不遜な表情をもって受けつがれるのです。そうありたい。」

 「それが現実であり、日本現代文明の姿であるならば、全面的におのれに引きうけなければならない。(中略)まず冷静に正視する。それはのりこえる第一の前提です。残酷な、絶望的な現実であるならばこそ、あるがままを認め、そこから出発する決意を持つべきです」

 「それ以上の現実をつくり、生きがいを押しだしてゆくことだ。いかにしてそれを変え、ゆたかに充実した世界に高めてゆくかというほうにエネルギーを投げつけるべきです。そのときこそ、おのれの責任感によって、憤りと勇気と情熱とで、腹がふくれあがるでしょう。いやでもおうでもやらなければならない、だからこそ生きがいのあるいとなみです。」

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太陽の塔と彫刻「縄文人」

 太郎は、1970年の大阪万博で中央広場のメインデザインを託され、有名な「太陽の塔」をつくります。しかし彼は万博のメインテーマである「人類の進歩と調和」には終始反対していたといいます。

「文明の進歩に反比例して、人の心がどんどん貧しくなっていく現代に対するアンチテーゼとしてこの塔を作ったのだ」と太郎は語っています。また、塔内部に歴史上の人物の写真を並べる主催者の案に反対し、「世界を支えているのは無名の人たちである」といって、無名の人たちの写真や民具を並べさせた。という逸話も残っています。

縄文の情熱や闘争を失ってしんまった人類は、進歩どころかむしろ退化しているのだ、というのが彼の考えでした。

 縄文人に同化した太郎の“闘争”とは、大きな転換期を向かえた現代社会の問題を抉り出し、乗り越えんとする挑戦でした。奇しくも1970年。私たち日本人が物的豊かさを実現し、モノから心へ、私権から共認へと意識潮流が変化していく起点となる年に、「太陽の塔」を世に問うたことは、歴史的に大きな意味をもっていると思います。

◇現実を正視せよ

◇その現実を肯定視し、そこから出発する決意をもて

◇そして、それ以上の現実をつくりあげろ

◇それこそが私たちの生きがいであり、そこに大きな歓喜と祭りがある。

 太郎は縄文の魂から、次代を切り開く「実現の論」を見出したのです。

 

 

 

 

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