2014年05月29日
【家族って何?】シリーズ.8~昭和後半から現代~家族という枠組みは成立していたのか
前回の記事【家族って何?】シリーズ.7 昭和時代:民法改正と戦後体制下の「家族」http://bbs.jinruisi.net/blog/2014/04/1251.html
では、戦後アメリカの日本去勢戦略から近代思想を中心とした個人主義が蔓延していった状況と、その中でも日本はどう適応していったかを分析してきました。その結果、
>◆集団に役立つことで活力を出すという集団統合を考えると、「平等家族」は消費・娯楽・生殖の器と、ずり下がってしまい帰属意識の元となる、活力の元となる集団と成りえなくなりました。
この時代の後、昭和後半から現代までは、家族は崩壊過程に入ることになります。このあたりは、現代人にとっても実感できるところだと思います。
今回は、その崩壊過程にある中で、家族とは一体なんだったのか。突き詰めてみたいと思います。
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●家族の崩壊現象
①1970年代~私権衰弱の始まり・遊びにしか収束できなくなった
1970年は、日本が高度経済成長を遂げ、貧困が消滅,豊かさを実現した。私権意識も衰弱し始め、家庭内では消費しか目的がなくなってしまう。ひたすら解脱,快楽しかなくなった。よって、家庭内の課題は子育てのみとなり、過保護や教育ママなど「子供の教育=囲い込み」に向かっていった。
②1980年代~家庭内暴力・教育問題
“家庭内離婚”,“亭主元気で留守がいい”,“濡れ落葉”等の流行語のように、父親は父権を喪失。家庭に外圧がかからず、無圧力空間へ。“カイワレ族”,“オタク”のような子供の出現で家庭内教育が問題化。また、父権を喪失した父親に対して女性の自我が肥大、家庭での力が逆転した。家庭内暴力がこの頃から問題化(’80)した。
③1990年代~性の衰弱・仲間第一世代
80年代半ばから始まったセックスレス(’91)が広く進行。性で繋がっていた家庭内男女関係が崩壊。また、離婚件数が右肩上がりで増加している。一方で、1985年バブル崩壊後、企業私権が衰弱し始め、この年代から家庭私権=家庭の安定を求める意識が顕在化していった。また、子供間のいじめが深刻化。そのいじめから抜け出せないほど、仲間第一世代であることが顕在化した。
④2000年代~私権終息・ついに家庭には何もなくなった
世界バブル崩壊(’02)により私権拡大の可能性が消え、人々は文字通り収束不全へ。節約志向(もったいない’02)のように、家庭内の消費意欲▼。ついに遊びにも収束できなくなった。試験制度=エリート街道への教育熱も▼。ついに家庭には何も課題がなくなった。非婚や子供を生まない夫婦等も増え、家庭という枠組み自体も現実として崩壊。その結果なのか、モンスターペアレンツ,モンスターチルドレン,草食男子,無差別殺人等々、家庭環境に関連する問題,現象が噴出していく。
このように、家族の崩壊現象は年代を追うごとに問題が噴出。家庭の唯一の課題であった子育てさえ、近年は受験熱も冷めています。今や、家庭内には課題は何もなくなってしまったことがわかります。
●生産様式の変化と核家族化の進行
前述した家庭が崩壊した背景には、核家族化が浸透していったことが挙げられます。それは生産様式と密接に関わっています。
※社会実情データ図録http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5240.html
このグラフは、第一次産業(農業,林業,漁業等),第二次産業(製造業,建設業等),第三次産業(その他サービス業)の産業別就業者数推移を示しています。市場経済拡大と共に、第三次産業が右肩上がりで増加し、村落共同体の生産様式であった第一次産業は右肩下がりとなっており、後継者不足も叫ばれているところです。
第一次産業は、家族を包摂した村や町,地域と一体となった生産様式である一方、工業生産である第二次産業,利益第一のサービス業である第三次産業は、ほぼ企業に勤めるサラリーマンで、生産の場である企業と切り離された家庭=核家族という別の生活の場を有している生産様式です。生産という外圧が全くかからないため、より核家族化=生殖と消費だけの場と化してしまったと考えられます。家族に課題がなくなったのは、このような生産様式、さらに付け加えれば、利益第一の市場経済拡大という問題が大きく関わっています。
●家族をどのように意識しているか
このような家庭の変遷をふまえて、私たちは、日常、家庭というものをどのように意識しているでしょうか。
実は、核家族-父、母、兄妹-だけではなく、親類,友人,お世話になった学校の先生,仕事仲間…。様々な人と接し、日々過ごしています。アメリカの家族のような徹底した個人主義のような意識かというと何か違います。
日本人は、核家族という枠組みを超えて、様々な人達との充足体験の方が意識が強いのではないかと感じるのです。制度だけが残っている家族に帰属意識も残っていると思われますが、例えば、現代若者が「地元」=地域をリスペクトしているように、村落共同体の意識が根底に流れているのです。
●そもそも家族は成立していたのか
家族が始まってからの歴史を、もう一度、俯瞰してみたいと思います。
人々は、明治民法において、家制度という枠に無理矢理嵌め込まれました。それでも、農村は村落共同体でした。
「家族って何?シリーズ5 明治時代 ~洗脳と法制化によって民衆は「家」と「国」に嵌め込まれていった~http://bbs.jinruisi.net/blog/2014/02/001187.html」
大正時代は、メディアや新聞等が恋愛等の近代思想を流布。市場拡大のための富国強兵の国家圧力から、核家族が姿を現しました。しかし、まだ都市だけの現象であり、農村では村落共同体も残り続けていました。
「【家族ってなに?】シリーズ6大正時代~村落共同体が国家圧力、市場圧力で浸食された時代http://bbs.jinruisi.net/blog/2014/04/1394.html」
昭和民法においては、アメリカによる個人主義を軸とした家族が刷り込まれました。核家族化が進行する一方、共同体的経営の企業,町会や自治会等の地域共同体などが人々を繋げ支えていました。
「【家族って何?】シリーズ.7 昭和時代:民法改正と戦後体制下の「家族」http://bbs.jinruisi.net/blog/2014/04/1251.html」
結果、現在は、1898年民法で制定されてから100年足らず。核家族化が進行してから50年たらずでその枠組みが崩壊しました。
こうして明治に半ば強制的に始まった「家」という集団は、「(核)家族」という自立できない=外圧に適応できない集団に成り果てました。こう俯瞰してみると、「家族」という枠組みは成立していたのか?非常に怪しいのではないでしょうか。
例えば、江戸時代の商家では自分がどうしたいという自分勝手な意識ではなく、「家、親族、別家、組合を末代まで存続させるためにどうしていくのか?」という規範,意識が貫徹されていました。「家」という枠組みだけでは存続できないということを自覚していたからです。
「後継ぎに息子は禁止!江戸時代商家の集団の在り方とは?http://web.kansya.jp.net/blog/2009/07/000875.html」
我々の家族に対する意識も、決して家族だけが優先なのではなく、仲間,友人・・・様々な人々を対象にしています。
昭和の初めまで残り、日本人を支えてくれた村落共同体のように、安心して帰属できる,外圧に適応できる集団を再構築することが今最も求められていることではないでしょうか。
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2014年05月29日
岡本太郎が見出した縄文の魂~闘争・歓び・祭り~
岡本太郎は、1970年大阪万博の「太陽の塔」をデザインした芸術家。40代以上の人にはテレビで「芸術は爆発だ!」と叫ぶ奇人系タレントとして記憶している人も多いでしょう。しかし、彼が1950年代に民俗学的視点から、縄文土器を再評価し、日本文化論を多数著してきたことはあまり知られていません。今回は芸術家という枠に納まらずに活躍した岡本太郎について紹介します。
太郎は、1911年(明治44年)、漫画家の岡本一平、歌人・作家のかの子との間に一人息子として生まれました。父は有名な漫画家、母は人気作家という家庭環境が、芸術家岡本太郎の土壌となったのは確かでしょう。がなかなか複雑な家庭環境でもありました。
父は収入こそあれ、そのほとんどを交遊に使ってしまう放蕩ぶり。母かの子は創作活動に邁進し、家事・育児は一切せず。しかも愛人をつくり、夫公認の下で同居するという自由奔放ぶりでした。当時としては、いや現代においても破天荒な家庭環境が、古い価値観や制度に縛られずに、人や物事の本質を見抜く“眼”を養ったのかも知れません。
その後成人した太郎は、フランスの大学で哲学・社会学・民俗学を学び、つねに既製の伝統主義的価値観を否定し、人間の根源的な力を探し求め続けました。
その太郎が、戦後まもなく出会ったのが、縄文土器です。その出会いは衝撃的なものでした。
- posted by KIDA-G at : 2014年05月29日 | コメント (0件)| トラックバック (0)