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2014年04月12日

【家族ってなに?】シリーズ6大正時代~村落共同体が国家圧力、市場圧力で浸食された時代

こんにちは。
【家族って何?】シリーズ6回目は、大正時代です。

前回の記事:シリーズ5明治時代において、国家による洗脳と法制化によって民衆が「家」と「国」に嵌め込まれていった過程について、確認しました。大正時代に入ると第一次世界大戦が勃発し更に国家圧力が強まりますが、一方で文化人を中心に明治末から発信されていた自由、恋愛などの近代観念が実体化し大正ロマン文化を形成、市場化・自由化の圧力も同時に高まります。大正時代とはどのような時代だったのでしょうか、国家圧力と市場化のなかで「村落共同体」、「家族」はどのような位置にあったのでしょうか。

※これまでの記事

【家族って何?】~プロローグ~

【家族って何?】村落共同体という集団形態~日本の農村における村落共同体とは?~

【家族って何?】シリーズ3.江戸時代 ~武家だけが血縁父子相続であった~

【家族って何?】シリーズ4.江戸時代~市場化の波に対し、村落共同体を守る民衆~

【家族って何?】シリーズ5.明治時代 ~洗脳と法制化によって民衆は「家」と「国」に嵌め込まれていった~

【家族って何?】シリーズ番外編 ~「恋愛」「純愛」が流行した大正時代ってどんな時代?~

 

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◆大正時代の概観と外圧【戦争経済による市場拡大】

・アメリカではFRB~連邦準備銀行が発足。戦費注入への体制が確立され、その直後の1914年(大正3年)、人類史上初の世界戦争「第一次世界大戦」が勃発。
・日本も同盟国イギリスとの約束より、ドイツ領地の中国山東地域の権益奪取のため参戦。いよいよ国が戦争圧力⇒市場拡大へと突き進む時代に突入した。
・戦前大正3年の産業別生産額は、農業45%、水産業5%、鉱業5%、工業45%だったものが、戦後大正7年には工業だけで57%を占めるようになり、農業は35%まで下落。農業国から工業国へ転換し、日本経済は一気に好景気,市場拡大を遂げた。
・しかし、大正9年株価暴落による戦後恐慌,大正12年関東大震災と日本経済は大打撃をこうむる。ジェットコースターのような時代だった。

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◆大正時代の政治【近代観念「自由」の浸透⇒政治の欧米化】

・政治でも、近代化への体制化が進んだ時代であった。
・大正2年第一次護憲運動で、江戸幕府を倒幕した元老が権力を握る政治体制に対して、立憲政友会,立憲国民党を中心に憲政擁護運動を展開。元老の一人である桂内閣を総辞職に追い込む。
・大正13年第二次護憲運動でも、特権内閣を打倒。
・ついに、納税額にかかわらず25歳以上男子が選挙権を得る普通選挙法が大正14年に成立。
・政党政治,選挙法の確立で、近代民主主義の骨格が成立した。

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◆大正時代の教育制度【女性への良妻賢母思想が浸透⇒専業主婦化】

・明治から大正にかけて、教育制度が確立されていく。師範学校令(1886年)、実業学校令(1899年)、中学校令(1899年)、専門学校令(1903年)、小学校令改正(1907年)、高等学校令(1918年)、大学令(1918年)。
・大正7年の第二次高等学校令では、高等学校を「男子ノ高等普通教育ヲ完成スル」ための機関と位置付けることが主な目的とされた。
・一方、明治32年「高等女学校令」で明確に「良妻賢母」思想が記載され、女性は、「家庭婦人」としての技芸教養の習得の場のみ与えられた。大正時代には「良妻賢母」思想が定着し、女性は家庭へ押し込められることとなった。

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◆大正時代のメディア興隆【マスコミによる世論支配が始まる】

・このような政局の中、新聞を中心としてマスメディアが成長。
・明治40(1907)年には約229万部。大正時代に入ると、教育の普及により急速に普及し、関東大震災の翌年の大正13(1924)年には約625万部となり、庶民の読み物として定着。
・新聞の普及と共に、護憲運動や普選運動でも新聞メディアによる記事が世論を形成していった。(=世論コントロール)
・大正時代は、ジャーナリスト在籍経験のある政党政治家が尾崎行雄,原敬,犬養毅等々、出てきた時代でもあった。

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◆大正ロマン【近代観念「恋愛」の浸透と芸能・メディアの幻想価値市場の登場】

・新聞の隆盛と共に、様々なメディアが登場。
・書籍や雑誌の普及や映画,レコードなどの媒体も登場。芸能スターも生まれた。
・女性解放運動を率先した平塚らいてうが、雑誌『青踏』を創刊。社会運動家も多く活躍した。
・女学生文化の登場で性的商品価値が上昇。一方で、貞操を巡る議論が活発になった時代でもある。
・庶民の恋愛欠乏も上昇。この時代は、プロレタリア作家が雑誌に記事を書く程度。
・恋愛と結婚を結び付けた恋愛結婚観が登場し、家制度に代わる恋愛結婚を後押ししていく。

renaitoseiyoku     img_0    恋愛結婚・見合い結婚構成の推移

 

◆大正時代の家庭【職場と家庭の分断⇒核家族化】

・大きくは、農業→工業国へと転換し始め、都市人口△。核家族化へと進んでいく。
・明治から昭和前期の家族は〈大(人数)家族で6~7人いるのが普通〉という印象があるが、現実には普通世帯の全国平均は「4.89人」で5人にも及ばなかった。大正時代はさらに核家族化が進んでいたと思われる。
・江戸時代の共同体を強く残し男女関係は自由度が高かったことから明治時代は離婚は一般的だったが、大正時代は家制度および良妻賢母思想により離婚率が減り続けた時代であった。

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◆まとめ

工業化、市場拡大、近代観念、教育制度、メディア(共認形成機関)の登場、恋愛収束、核家族化、、、
こうしてみると、大正時代には現代社会を構成する殆ど全ての現象が登場しており、変化の時代であったことが分かる。
国家としては、家制度、教育勅語、良妻賢母などに見られるように、法制度と教育により天皇を頂点とした国家観を洗脳していく。

しかし、農村においては教育勅語による教育を受ける人などはごく少数に過ぎず、堅苦しい規範などどこ吹く風、性生活を含め昔ながらの共同体の充足を得ていた。そんな中で、西洋の近代思想を持ち込んだ文化人を中心に、自由、恋愛といった観念がメディアの登場とともに次々と発信され、家制度・規範に対する反の意識を母胎に、都市・富裕層を中心に次第に市民権を得ていく。

以上のような状況変化から、日本人の集団形成という観点から捉えてみると、
江戸時代:村落共同体
明治時代:村落共同体と、国家による家制度の綱引き
大正時代:村落共同体と、国家による家制度に加え、市場化・自由恋愛による核家族化の三つ巴の状態
そして戦争圧力の上昇とともに、一気に国家収束に傾斜していく。

どの時代においても共通するのは貧困圧力であるが、時代が進むにつれ圧力構造が変わっており、国家圧力や市場化圧力によって共同体が引き裂かれ、集団性が薄まっていることが分かる。
しかし、未だに「家族の絆」が叫ばれ、「家族型経営」が見直される現状をみると、日本人は外圧状況の変化に応じて、如何様にも集団を形成し、集団性を維持してきたとも言える。逆に言えば、外圧状況が如何に変わろうとも、如何に「集団」を形成するかがいつの時代も変わらぬ最大の課題だったと言える。

大正時代に核家族が登場し、生産の場と消費の場に分断され、家庭は教育機能を喪失したカタワの集団となり現代に至っている。「家族とは何か?」についてあらためて考えるに、外圧に適応する「集団」とは何か?という視点を加え残りのシリーズを考えてみたい。

 

 

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