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2014年04月01日

家族って何?シリーズ番外編 ~「恋愛」「純愛」が流行した大正時代ってどんな時代?~

赤玉ポートワイン

画像はコチラからお借りしました。
寿屋(現サントリー)・赤玉ポートワインの広告。日本初のヌード広告。1922年(大正11年)

今から100年前の大正時代に「恋愛」「純愛」というものが流行しました。「恋愛」「純愛」は、それまでの「色」・「恋」とは異なり、ロマンチック(現実離れした、甘美で情緒的、かつ幻想的)なもので、「大正ロマン」と呼ばれています。当時、実際にロマンに浸ったのは一部の富裕層ですが、庶民にも憧れが生まれ、ロマンに染まっていきます。

また、大正時代には「デパート」に代表される華やかな大衆消費産業が興ります。商品は女性を着飾るものが中心で、街には華やかに着飾った女性が現れ、好況期であった事もあり、消費は一気に拡大していきました。

明治から昭和初期にかけては、学校が大衆への洗脳機関として、忠・孝規範と「天皇国家」と「家制度」を正当化する洗脳を行っていましたが、当時の時代を造っていた「恋愛」「純愛」は学校では教えていません。

では、「恋愛」や「純愛」は誰が教えたのでしょうか?

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大正時代は、「新聞」「ラジオ」「映画」が急速に拡大した時期でもあります。

これまで田舎の集団の中で生活していた人々が都市に出始めると、「新聞」「ラジオ」「映画」は、集団規模をはるかに超えた国家や外国で、今、何が起きているのか?という社会認識欠乏に応えた記事(ニュース)を提供するとともに、娯楽欠乏に対して、新しい娯楽を提供することで急拡大したものです。

新しい娯楽とは、新聞の連載小説、ラジオの歌謡曲、映画(とポスター)etcであり、その中身は、「恋愛」「純愛」モノが大半で、心に響くように美しくわかりやすく表現され、大衆に受け入れられていきました。

すなわち、今から100年前、(国家とは別の)「新聞」「ラジオ」「映画」という洗脳機関が日本に登場し、「恋愛」「純愛」が教え広められていったわけです。

★そんな大正時代の文化について、わかりやすい記事があったので紹介します。
 【日本の歴史めぐり】より
大正時代は、1,912~1,926年の14年間と、日本の歴史の中ではとても短いものですが、この14年間で日本は大きく変わっていきます。大正時代を前後して、都市を背景にした大衆文化が成立しました。現在まで続く生活様式の殆どが、大正時代にルーツのあるものが多いことも事実です。

●都市化

丸ビル郊外住宅
①画像はコチラからお借りしました。                                                               ②画像はコチラからお借りしました。
①丸の内ビルディングオープン。1923年(大正12年)
②文化生活1921年頃(大正10年)
中間層の増加により、東京は人口が急増しました。職住近接から職住分離へと都市構造を変換するためには、郊外の住宅地開発が必要でした。大正7年(1918年)に住宅販売・都市開発・市街地経営を行う田園都市株式会社が作られました。

大正時代には、町の様子も変化を遂げ、町から街が形成されていきます。大阪では非常に数多くの私鉄網が完成し、とりわけ阪神急行電鉄の巧みな経営術で、住宅衛星都市郡が大阪平野に出現しました。東京帝大を卒業した半数の就職先が民間企業になり、『サラリーマン』が大衆の主人公となります。明治時代まで呉服屋であった老舗が、次々と百貨店に姿を買え、銀座はデパート街へと変っていきます。

白木屋 三越広告 伊勢丹広告
画像はコチラからお借りしました。
①白木屋(大正10年)
大正時代に入ると、洋髪と呼ばれるウェーブをつけて耳を隠すように結われた髪型が流行しました。 この髪型は大正から昭和初期にのポスターに良く見られます。 大正時代になると、西欧の文化や流行が日本にも素早く取り入れられるようになりました。

②三越(大正3年)新装オープン
百貨店の広告は、店を宣伝するだけではなく、中間層が憧れを抱くようなライフスタイル提案するやり方が取られました。

③伊勢丹(大正15年)
百貨店が提案するライフスタイルには女性がモチーフとなることが多くありました。 大正期には「大正デモクラシー」と呼ばれる、自由や平等の思想が浸透し始めました。 それに伴い、ポスターのような洋装が一般化しはじめました。

●新聞

真珠夫人
画像はコチラからお借りしました。
菊池寛の新聞小説『眞珠夫人』(「東京日日新聞」大正9年)

新聞の部数も数多くなり、大阪朝日新聞、大阪毎日新聞が100万部を突破して東京に進出し、読売新聞も対抗して成長を果たします。朝日、毎日、読売という今日の三大紙の基礎が、こうして大正時代に築かれました

●活動写真(映画)

活動写真
画像はコチラからお借りしました。

活動写真とは、現在でいう映画です。初めて活動写真が公開されたのは明治時代ですが、大正時代に入り、こうした娯楽が徐々に充実していきます。

●ラジオ

ラジオ
画像はコチラからお借りしました。

大正時代には、日本で始めてラジオ放送がされました。1,925年3月22日午前9時30分、社団法人東京放送局(現在のNHK東京放送局)が、京田武男アナウンサーによる第一声が、東京・芝浦の東京高等工芸学校に設けられた仮送信所から流されました。

●まとめ

どうでしたか?大正時代というのは14年間と短い期間ではありますが、急速に都市化、市場化が始まっていく時代です。その中で現在まで続く生活様式の殆どが大正時代にルーツがあることそしてそれが持つ意味を考えるきっかけができたのではないでしょうか?

次回は家族って何?シリーズに戻って、そんな大正時代の家族形態はどうだったのか?社会背景を押さえながら追求していきたいと想います!お楽しみに☆

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