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2017年11月30日

フィンランドの教育改革は、国家による強制教育からの解放にあった

近年,「世界で最も優れた教育をおこなっている国はどこか」と問われれば,間違いなくトップランクにかぞえられる国々があるだろう。それが,ノルウェー,スウェーデン,デンマーク,アイスランド,そしてフィンランドといった北欧の国々だ。
これらの国々は,OECD(経済協力開発機構)が実施するPISA 調査(国際学習到達度調査)において,優秀な結果を残している。
特にフィンランドは,これまでの調査(2000 年,2003 年,2006 年,2009 年)の全ての分野(数学的リテラシー,読解力,科学的リテラシー)で6 位以内を記録しているため,世界中から注目を集めている。今,各国の教育関係者がフィンランドを訪れ,その教育制度や教育活動の優れた点を研究しているのである。

なぜ北欧なのか?
その秘密を探るべく教育改革の歴史を調べてみた。

■1970 年代以前の教育
中世ヨーロッパ社会はキリスト教の力が強く,フィンランドも他のヨーロッパ諸国と同様に,教会が社会の中で大きな実権を握っていた。
18世紀イギリスで産業革命が起こると,19世紀にはその影響が,フィンランドを含む他の欧州諸国にも波及することになる。急激な産業化は,国力や生活水準向上を目的とした職業教育及び普通教育の需要を高め,より効率的で安定した学校制度を求めるようになった。

そこで誕生したのが国民学校だ。この国民学校の誕生は,それまで一部の子どもしか受けられなかった教育を,すべての子どもに対して,平等に施すためのきっかけになったと言えるだろう。また,国民の教育水準の底上げを図るため,「1869年には,教会に属さない国立の教育機関が設立され,同時に学校制度委員会も立ち上げられる」ことになる。これにより,教育行政は教会から完全に切り離された

フィンランドは,長くスウェーデンやロシアといった国々に統治された国家であったが,第一次世界大戦終盤の1917年に,ようやく独立することに成功する。しかし国内では,地域によって生まれた教育の格差問題が浮上していた。
1919年に制定されたフィンランド憲法では,すべての国民に対する無償の義務教育を提供する義務」を国家に課している。

1939年から1945年には第二次世界大戦が引き起こり,フィンランドも否応なしに戦乱に巻き込まれることになった。
フィンランドはソ連に対し,多額の戦争賠償金を支払わされることになるが,「国をあげて強制的に船・鉄道・工業機械製造などの重工業に力を入れたことで」北欧諸国の中でも最新の工業技術を得た。つまり,戦後のフィンランドは日本と同様,急激に農業国から工業国へと大変動を起こしたのである。こういった都市化や工業化が,1970年代の教育的転換期と深く関わっていくことになる。

■1970年代の教育的転換期
大戦前の多くのヨーロッパ諸国における教育の役割は,国の近代化・産業化や国家に適した国民形成であるとされていた。しかし大戦後になると,それまでの国家主義的教育に批判が集まり,教育の私事性(国のための教育ではなく,個人のための教育)が叫ばれるようになったのである。

しかし、総合制学校が設立された1970年代の教育は国家に裁量権があり,1970年の国家カリキュラム(日本で言うところの学習指導要領)が約700 ページもあることからわかるように,教育内容や授業で使用する教材・教科書は,国が細かく指定していたのである。教育にはテストの点数などの結果が求められ,「行動主義的または訓練的な教育」が主流であった。つまりフィンランドでも,日本がゆとり教育導入以前におこない,批判の的となっていた詰め込み教育をおこなっていたのである。

■1990年代の教育的転換期
このような教育主義の中で,1980年代から90年代の北欧諸国では,新たな教育主義が広まりつつあった。
それまでの詰め込み教育から,子ども自身が気付き学ぶために支援する教育へ。教育権限は中央から地方自治体へといった,市場原理主義を含んだ新自由主義である。この1985年あたりから,教育における裁量権が国家から地方自治体へ流れ始め,地方独自の教育がおこなわれるようになったと言えるだろう。

ところが,1991年末にソビエト連邦が崩壊すると,フィンランド国内は経済不況に陥ってしまう。深刻な経済社会を立て直すために,学校現場にもコスト削減が求められるようになり,国内では地方への分権化をより一層進めること,学校現場に競争と効率を促すことが推奨されるようになった。

フィンランド政府は1991年に視学制度を廃止し,1992年には教科書検定制度を廃止することを決定している。つまり,学校の自治は各学校に,授業で使用する教科書は各教師に委任したということである。いずれの政治的判断も,教育的裁量権が国家から地方へ移っていることから,教育の分権化を進め,脱中央集権化を見据えた政策の一部であると言えるだろう。

フィンランドはそれまでの中央集権的な教育制度を廃止し,とうとう国家カリキュラムにまで影響を及ぼすようになった。それが,世界的にも注目されている1994年の国家カリキュラムである。その特徴は何と言っても,カリキュラムが大綱化され,ガイドライン的な役割を担うようになったことだろう。ガイドライン的ということもあり,細かい教育方法や教育内容は,国家ではなく地方自治体や学校,教師が決めるようになったのである。
さて,教育的裁量権が完全に国家から教育現場に移されたことで,全国で統一された知識を教え込む授業はなくなったと言える。つまり,決まった知識を教える教育から子どもたち自身が知識を構成する力を育てる教育,構成主義的な教育をおこなうようになったのである。

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