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2018年03月01日

「何になりたいか?」「どんな仕事がしたいか?」にはっきり答えられない子供たち

何気なくツイートを見てたら、面白そうなツイを見つけた。
(返信68 10,337件のリツイート 23,073件のいいね)

@若い子と話してて気づいたんだけど、「何になりたいか?」「どんな仕事がしたいか?」という問いにははっきり答えられない子が大勢いる一方で、「どんな働き方がしたいか?」「どんな生活がしたいか?」という質問にはほとんどの子がちゃんと答えられるんですよね。

@「プロ野球選手になりたいです」とか「作家になりたいです」とかではなく「こんなライフスタイルを送りたいです」っていうのが目標であり夢なんだな、と。これは世代間格差を感じざるを得ない。

@考えてみたらブロガーブームなんかも「ブロガーになりたい」「物書きで食えるようになりたい」っていう需要じゃなくて「自由な生活を送りながらお金稼ぎたい」っていうライフスタイルへの需要なんですよね。こういう若者のニーズを理解できないと、企業は採用で苦労することになるのだろう。

@考えてみたら二十歳そこそこの頃なんて、夢なんかとくになかったもんね。「ちょっとやってみたい」程度のことはあったけど。でも、当時は「やりたいことがないなんて真剣に生きてない証拠」みたいな夢のない人を見下す風潮があって、仕方なしに無理やり夢っぽいこと捏造してたわ(昭和の話です)

このツイートに対する返信
↓ ↓ ↓

@どんな仕事と言われてもなかなかピンとこないんですよね…。
何がしたいかも、どこで何が出来るのかも正直良く分からない…

@転職で面接受けた時、私もこれ聞かれて困りましたし、ツイートを見て気付きました。リーマンショックで破産したり、過労死問題がこんなにも溢れている現代の日本を見ていると、「人生を充実させるための働き方」という段階よりもまず「安全に生き延びること」を考えてしまいます。

@上世代のその意見も分かるんだけど、今の35歳以下はライフワークバランスを1番に念頭に置いている人が多い体感です!社会に夢と希望が無いから諦めの境地なのか、楽しめることが仕事以外にありまくるからなのか、後者であって欲しいですね

@塾・家庭教師だった15年前、親が開業医でもなければほとんどの子が何になりたいか分からないと言っていました。まあ焦らないで、大学いって考えればいいよと(学部はつぶしのききそうな感じになります)。不真面目なわけではなく、なりたいものがないことに真剣に悩んでいる子もいました。

@日本は意思のない兵隊を量産する教育してるんだからやりたい事なんて生まれないのが当たり前だと思いますよ

@昔は「パイロット!」とか「お医者さん!」とか「お花屋さん!」とか「スチュワーデスさん!」とかだったものが、
子供がネットや創作物を通して身近に感じすぎて「意外に夢無えな…」とか感じたり、親見て「こんな現実嫌だわ…」とか感じたりしてしまっているのかもですね。

@30ですが、このツイート見てやっと納得できた気がします
我々の世代は学生時代にリーマンや東日本など様々なことを一度に体験してる
更に社会に出れば責任転嫁の嵐で頭がお花畑が多数…この現実を見ると、ね
この辺りからの世代は現実主義の人が多いのでそう思うのは当然かもしれないです

@高校の頃は人と変わってることがかなり異常に見られてる空気が漂っていて他人に心が開けず、大学の就活セミナーなどではなによりもまず「就職する」こと、やりがいや志望理由なんかは面接で答えられることばかり重視して教えられていたような気がします。

@これは人間の進化。私は31ですが、私より下の世代はみんなこれ✨

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「どんな働き方がしたいか?」「どんな生活がしたいか?」
に対する若い子の中身が見えないが、なるほど~って感じ。

私は1960年の生まれ、「末は博士か大臣か」という言葉が生きていた。
未来像は、村人たちの期待とともにあった。
同時に、当時の社会的外圧は貧困の克服~私権(身分、地位、金)の獲得。
博士、大臣といった姿には、その全てを満足させるものがあった。
パイロット、医者、、なども然り。

1990年代以降、「自分探し」~「自己実現」というブームが登場した。
貧困を克服した1970年頃に生まれた世代が、20代になる時期。
もはや社会的課題、私権獲得課題に価値(存在理由)を見出せなくなり、「自分」を探し始めたわけだ。
私権の衰弱は、根っこの自我欠乏をも衰弱させる。
「自分」を探したところで見つかるはずもない、なりたい未来像なども見えなくなった。

そして、リーマンショック、東北原発事故を経た現在、
若者の欠乏の中心は「人の役に立ちたい」「社会の役に立つことをしたい」というもの。
金でも、地位でも、名誉でもない。
人に期待され応えること、その喜び。
これこそ、かつて探していた自身の存在理由である。
同時に、側を覆っていた私権の欠乏が姿を消し、本源の共認充足欠乏が生起した。

「何になりたいか?」「どんな仕事がしたいか?」という問いにうまく答えられないのも当然だろう。
そんなことより、「人の役に立ちたい」「社会の役に立つことをしたい」のだと。
これは、職業の選択基準、動機が根本的に転換したことを意味する。
まさに、「どんな働き方がしたいか?」「どんな生き方をしたいのか?」が問われる時代になった。

母親は、「何かやりたいこと、夢中になれることを探しなさい」と言う。
自分の中に探しても見つかるものではない。
そんなことより、何であれ人が喜んでくれること、役に立つこと、活力あがることを、まずやってみるといい。

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