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2018年03月22日

踊りと性のエクスタシー~シャーマン~観念回路

人類の極限時代、観念(言葉)の無い世界とはどういう世界だったのだろうか?
いかにして観念(言葉)は生まれたのだろうか?
相手に対する同一視~共感回路をフル稼働させ、自然に対しても同化を試みていたのだろうか?
相手との一体感と同じように、自然との一体感を体得したのだろうか?
性行為における女性のエクスタシーは宇宙との一体感があるというが、エクスタシー体験が自然との一体感に繋がったのだろうか?
シャーマンには女性が多いが、性行為におけるエクスタシーを経験しやすいのが女性だからだろうか?
歩行訓練による踊りはトランス状態に陥るが、踊りと性行為のトランス体験が自然との一体感~観念の獲得を導いたのだろうか?

 

未知の世界、あれこれ考えると興味は尽きない。
巫女の「神懸り」とは、舞や性行為により陶酔状態=脱魂状態とさせることで、神の降臨の儀式を行なったという。
「素質」があり、「修養」すれば、現代でも巫女になれそうではある。

 

シャーマニズムとは、忘我的な精神状態(トランス)の中で、魂が身体から抜けだして,神霊界を遍歴するのを脱魂型と呼び、その人の身体に別の神霊が憑依侵入するのを憑霊型と呼ぶ。
より根源的なのは脱魂型であり、超自然的存在と直接的に接触、交流が可能であるということ。(リンク

 

リンク より
御託宣(ごたくせん)の神・事代主(ことしろぬし)の神に始まるシャーマニズムに於いて「神懸(かみがか)り」とは、巫女の身体に神が降臨し、巫女の行動や言葉を通して神が「御託宣(ごたくせん)」を下す事である。

当然、巫女が「神懸(かみがか)り」状態に成るには、相応の神が降臨する為の呪詛行為を行ない、神懸(かみがか)り状態を誘導しなければならない。

巫女舞に於ける「神懸り」とは、すなわち巫女に過激な舞踏をさせてドーパミンを発生させる事で、神道では恍惚忘我(こうこつぼうが)の絶頂快感状態の呪詛行為の術で、仏法では脱魂(だっこん)と言い現代で言うエクスタシー状態(ハイ状態)の事である。

現代に於いても人々に踊り好き祭り好きが多いのも当たり前で、ディスコダンスでも盆踊りでも夜明かし踊ればベータ・エンドロフィンが脳内に作用して疲れ心地良いダンシング・ハイの興奮状態を招く。

その最も初期に行なわれ、永く陰陽修験に伝え続けられた呪詛行為の術が、すなわち巫女に過激な性交をさせてドーパミンを発生させ、脳内麻薬のベーター・エンドロフィンを大量に発生させ、セックスハィの陶酔状態にする。

そうした事で、巫女がオーガズム・ハイの状態(ラリル状態)に成れば、その巫女の様子から周囲が神の降臨を認め、「神懸(かみがか)り」と成る。

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