2007年02月14日
イバン族って首狩族!?
minene71さんと一緒にイバン族のことを調べてみたら、なんとイバン族ってかつては”首狩族”だったそうな・・・!!
イバン族に限らず、この地域には結構同じような首狩族がいる様です。
海のダヤク族といわれるイバン族、陸のダヤク族といわれるビダユ族etc.
現代人にしてみれば”こんな野蛮な”と思うような部族が共同生活??
さて、そのあたりのところはいったいどうなんでしょうか・・・・・。
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もともとは確かに”首狩”の習慣があったようです。が、その後この土地に入ってきた宣教師によって、その風習はやめさせられたのだそうです。
しかし、首狩の習慣は何のために?
これは彼らの婚姻様式とも関係があるようです。
イバン族の男は青年になるとブジャライ(bejalai)に出かける。ブジャライとは首狩りが目的の放浪の旅である。勇士の首を持ち帰ってはじめて一人前の男として認められ、求婚の資格(注1)ができる。近隣部族との摩擦を避けるため、同一河川の流域では首狩りをしないというしきたりがあった。
つまり、今期を迎えた男性がその嫁に迎えたい女性の父親に勇者として認めてもらい 、結婚を許される為の風習として残っていたようです。
(注:これは現代のイバン族の若者で、首は狩りません!) 😉
とはいえ、そもそも何故勇者の証としてわざわざ人の首を狩るのかという疑問が残りますが、かつて民族闘争が激しかった頃からの慣わしで、首狩は頭には生命力が宿り、生命力は持ち運びできるという信仰があったようで、このあたりから繋がっているのかもしれません。
(注:酋長の家の天井のガイコツ:このようにガイコツが無造作に吊るされているようですが、現代では必ずしも狩った首ではなく、身内の首を供養として吊るしておくこともあるようです)
http://www.asyura2.com/0601/bd45/msg/595.html(「インドネシア専科」より)
このような”元”首狩族が現代でいえば長屋風のロングハウスなる一つ屋根の下で暮らすのは何故でしょうか。
分かり易く言えば、ラミンは一つの村である。すなわち、政治的自立単位であり、かつ土地占取の単位でもある。一般に、血縁のある大家族が居住すると思われやすいが、そうではなく、村の全家族が共同居住しているのである。ラミンに住む利点は、やはり、いくさが盛んだった時代、共同で対処する必要性から生まれた建物なのだろう。
http://www.urizn.gr.jp/
のように、ロングハウスには、かつて戦いが多かった頃の”城”としての役割があったようで、戦闘集団としてその頃から共同生活が必用だった様ですね。
- posted by saah at : 2007年02月14日 | コメント (4件)| トラックバック (0)
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comments
「未来系がない」
→未来形がない ?
ご指摘ありがとうございます。
「未来形」に修正しました。
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