RANKING
にほんブログ村 歴史ブログへ
NEW ENTRIES
RECENT COMMENTS
RECENT TRACKBACK

2014年01月03日

発見の学問=民俗学から学ぶ「脱・教科書」への道

%E6%98%AD%E5%92%8C%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A9%E3%82%82.jpg%E6%98%AD%E5%92%8C%E3%81%AE%E7%94%B0%E5%9C%92.jpg
写真はこちらこちらからお借りしました。
2011年9月から2年強に渡って追求して参りました「日本婚姻史に学ぶ共同体のカタチ シリーズ1,2,3」もひとまずの結論を得、年も変わって気持ち一新。新春にふさわしく新シリーズのスタートとなります。
題して、「発見の学問=民俗学から学ぶ『脱・教科書』への道」。

にほんブログ村 歴史ブログへ


日本において、いわゆる「民俗学」が発生・発達し、めざましい成果をあげて隆盛したのは、明治から大正・昭和初期(戦前・戦後)にかけての時代です。それは、一方では欧米発の近代西欧科学、1846年のイギリスの古代学者による民間故事と民間文芸の両者を「フォークロア」という語のもとに包括しようとした提案や、ドイツの学者による「科学としてのフォルクスクンデ」の提起の影響を受けています。しかし、一方では、それよりもはるか以前に活躍した近世知識人たち(貝原益軒、荻生徂徠、本居宣長、平田篤胤等)による風俗習慣への関心の高まりに連なるものでもありました。
明治維新を期に、それまでは生活の中で当たり前に存在していた村落共同体や習俗、伝承そのものが消失の危機に瀕していました。それを潜在思念で鋭く察知したひとたちが、残すため、伝えていくために、当たり前だったことを書き言葉に置き換え、体系化を図り、認識固定化し、その社会はなんでそうなるのか、どういう経緯をたどったのかを解明し、時間的にも空間的にも次につなげていこう、という意気込みで動き出した学問だったのではないでしょうか。
民俗学の特色は、その研究手法の主流のひとつとしてフィールドワークが重用されること、研究者のありかたとしては「大学研究室のアカデミズム」と「在野の学」が対等並列すること、さらに学問領域的境界がきわめて曖昧で、文化人類学、社会学、宗教学、歴史学、言語学、国文学、生物学、植物学等と密接に連関していること。身近な事象を扱いつつも、であるがゆえに領域、認識対象は無限であり、単なる「学問」の枠を超えて存在しています。

わたしは、「民俗学」という言葉にすらこだわりを感じます。これこれが民俗学で、これこれは民俗学ではないという枠をはずして、目につくすべてのものを人間にかかわるものとして、もう一度掘り起こしてみる。人間の科学としてですね。それによってまず素材としての学問が成立する。しかし、大学で学ぶフォークロアは、一種の資料集としての価値はあっても、新しい方法論による発見の喜びみたいなものは感じられませんね。大切なのは事実をどうみていくかということ、どうつなげていくかということ、その点から見ると、現在のフィールドワークというのは、発見の学問にはなっていないのではないか。やはり問題は、聞く側が一体何を求めているかということにあります。
宮本常一「なつかしい話~歴史と風土の民俗学『現代民俗学の課題』」より要略

現代=激動の時代、バブル崩壊以降、市場経済の衰退、政治の大混乱、待ったなしの環境破壊、精神破壊、家庭崩壊・・・、明治維新とは比較にならないほどのパラダイム大転換期。民俗学に学ぶこと(中身、そしてそれに対峙するときの姿勢や切り口)は、決して小さくはありません。とりわけ2011年3月11日以降、自分たちの手で作りだせる能力や自分たちの頭で答えを出せる能力を身につけたい、という気運(自給期待)は高まるばかりです。

3.11の東日本大震災において地域共同体の絆が大きな力を果たした。「絆」は元来、動物をつなぐ綱の意であったが、人と人との断つことのできない結びつきを指すようになった。この絆は自然に形成されたものではなく、長い間の成員の努力と忍耐によって、織りあげられたものである。絆には心地よいゆるやかな「結び」があるが、同時に厳しい「縛り」を伴っている。近代人は自己実現のためにイエの中の絆を断ち、ムラという共同体の絆を断って都市に集中し、「絆」の持つ「縛り」を拒否した結果、核家族単身家族が激増し、その果ては孤独死につながることもある。
巨大地震・津波・豪雨といった未知の災害に備えるためには、土木的科学的対応、民族的伝承の活用とともに、地域共同体の基礎力を復活させなければならない。少々の「縛り」に耐える姿勢が求められている。
野本寛一著「自然災害と民俗 終章『災害列島に生きる』」より要略

赤松啓介、宮本常一、高群逸枝、網野善彦、宮崎駿、柳宗悦、柳田國男、折口信夫、渋沢敬三、木下順二、南方熊楠・・・。それぞれ、観念能力にすぐれかつ強烈な人格者であったと言われる先達たちが、何を考え、どのように掴もうとし、どうやって伝えようとしたのか。彼らの、その問題意識と密接につながる事象に切り込み・切り拓いていくときの視座を学び、、2014年、追求力の時代の幕開けにふさわしく「脱・教科書」を図っていきたいと思います。
応援よろしくお願いします。

> List 

trackbacks

trackbackURL:

comment form
comment form