2014年01月05日
競走馬(サラブレッド)を産み出す近親交配と人類婚姻史
画像はコチラからお借りしました。
明けましておめでとうございます!
今年の干支は午ということで、競走馬(サラブレッド)を産み出す近親交配=インブリードから人類婚姻史との関係について紹介したいと想います。
競走馬にみる近親交配より
画像はコチラからお借りしました。
現代の近親相姦といえば、馬の交配があげられると思います。競馬場を走る馬をサラブレッドと言い、スピード、スタミナを競います。また、馬の近親相姦をインブリードと言い血が交わることを意味します。
さて本題ですが、インブリードをするとどのような効果があるのでしょうか。ウィキペディア(Wikipedia)では
>インブリードとは競馬用語で近親交配、特に血統の5代前までに同一の祖先を持つ配合、もしくはその共通している馬のこと。対義語はアウトブリード。
サラブレッドを生産するときには、その能力を向上させるために意識的に近親交配を行うケースことがよくある。極端に濃いインブリードは気性難を引き起こしたり、体質が弱くなるなどの悪影響を及ぼすが、適度なインブリードは良質な遺伝子をホモ化する効果があるため有効と言われる。また、インブリードを持つ種牡馬は遺伝力が強いと言われる。<
とされています。上記のようにインブリードによって虚弱体質、気性難、受胎率低下などの問題がありますが、まれにプラス因子の塗り重ねによって能力が高い個体が生まれます。競馬史をみていても多くはインブリードが発生しない馬ですが、飛びぬけた能力を持つ馬にはやはりインブリードが発生しています。
サラブレッドの遺伝を強く残す為に近親交配が行われていますが、虚弱体質、気性難、受胎率低下などの問題もあります。現代の人類では当たり前のように近親婚はタブー視されていますが、共同体として集団で生活していた頃は近親婚でした。では、次はなぜ近親婚がタブー視されるようになったのか?それはいつ頃からなのか?見ていきたいと想います。
【人類婚姻史を構造化する】4~採取生産時代の婚姻と近親婚のタブー~より
■採取・漁労・狩猟生産時代(初期)
弓矢の発明により、外敵と同等以上に闘えるようになり、地上に進出。自然外圧は極限時代の想像を絶する圧力状況から、著しく低下することになり、忽ち外敵を駆逐して繁殖していきます。
このうち、北アジア、北米など北方を中心とした地域では、狩猟生産が中心となり、温暖な地域では狩猟生産から、採取・漁労生産が中心となっていきます。
採取・漁労・狩猟生産時代の初期は、まだまだ人類の数は少なく、集団規模も小さかったと考えられ、自分達の集団以外の同類と接触することは殆ど有りませんでした。
狩猟生産が中心であった北方地域は自然圧力が依然として厳しい状況でしたが、南方を中心とした採取・漁労生産集団では自然外圧は無いに等しく(食料も豊富で飢えることもまずない)、同類圧力も殆どゼロの無圧力状況でした。
■採取・漁労・狩猟生産時代(後期)
その後も人類は急速に繁殖。その結果、集団規模の拡大と分化が繰り返えされ、同類同士の圧力、同類闘争の潜在的な緊張圧力が働き始めます。
男はそれまでと同様、縄張り防衛=狩猟生産を担い、女は男たちによって守られた安全域で木の実や貝等を採集していました。更に防衛力が強化されるとより食料が採集しやすいエリアにも進出できるようになります。特に南方の集団では男の狩猟生産は形骸化し、女の採集物が主要な食料となっていきます。この段階では北方狩猟民族は首勇集中婚、南方採集部族では乱交化したものと考えられます。
ここでのみんなの最大期待は、自然外圧の高い北方狩猟民族では「狩の能力」=男の闘争能力、南方採集部族では障害が殆ど無い「充足」の期待だったと考えられます。
●集団の拡大⇒分化
物理的な縄張りの範囲や集団の人数の両方が拡大すると、互いの共認充足が困難になるため、集団を分化する動きが出てきます。この分化が繰り返し行われますが、この結果血縁を基準に分割された単位集団=氏族が登場します。
氏族は、分化の基準となる血縁に従って母系集団となります。婚姻は極限時代の全員婚が継続されることによって結果として単位集団内での全員=兄妹婚となっていったと考えられます。☆近親婚のタブー
実は近親婚のタブーが何故いつから存在するのかについて明確な説明や理論は今のところ有りません。Wikipediaの記事を参照してみます。
クロード・レヴィ=ストロースは『親族の基本構造』において、族外婚の推奨のために近親相姦を禁止したと主張した。
常染色体劣性遺伝の疾患は、異なる系統との交配ではホモ結合せず、発現しない可能性が高いが、近親交配の場合は発現する頻度が高くなる。この理論は血縁者同士での妊娠確率の低下、出来た子供の死産や乳児期死亡、先天的奇形、知的障害の確率が高くなるという事実により支持される
自分に属している物を自らに禁じる者が行う留保により、尊重と慎みと遠慮が暴力性に打ち勝つような世界の雰囲気を作り出すために、近親相姦のタブーは存在するとみなし、近親相姦を行わないことによって人間性というものを生み出している
インセスト・タブーより
他には
ハヴロック・エリス 幼少期から慣れ親しんだ相手に対して性的興奮が起こりにくい
1891年 エドワード・ウェスターマーク(フィンランド)自らの著書『人類婚姻史』で幼少期から慣れ親しんだ相手に対して性的興奮が起こりにくいのは近親者同士の性的嫌悪にこそあり、この発展形が族外婚の規律であると主張
ジークムント・フロイト 精神分析学を創始。『Totem and Taboo』で「近親相姦を避ける傾向が備わっているなら何故タブー視して抑制せねばならないのか」と批判。
デュルケームは社会的文脈を無視しているとフロイトを非難。
リーバーマンらは初期の批判者が、検証によってではなく政治と知的流行に基づいて退けたと指摘。その後の人類学者からはほとんどウェスターマークの学説は無視され、人間社会における近親者間の性交回避傾向は長期に亘って議論の対象にすらならず、実証されることはなかった。
ウェスターマーク効果より
結局、まともに研究したことが殆ど無いようです。改めて、全員婚から自然に生じる近親婚に対して敢えてこれを禁止する理由は何だったのでしょうか?
「禁止」とは、意図的な規範や制度ですので自然発生したものでは有りません。これを踏まえて考えられることは以下の三点位でしょうか?
①グループ内の全員婚によって高じる集団の閉鎖性や無圧力による活力低下などを回避する為、他グループとの交流(族外婚)を推進する
②高まる同類圧力に対抗する同盟関係を強化する為族外婚を推進する
③その後の私権時代に生じる皇位や私有の権利を手にする為、近親婚を政略的に禁止し血族以外の族外婚を推進する
この頃(採取・漁労・狩猟生産時代)のみんなの最大期待は、外圧が低下して集団統合が難しくなる一方、増え続ける同じような近隣集団に対してどのように接していけば充足を得られるか?と言うことだったのではないでしょうか?その意味では、大衆の大半は族外であっても乱交状態(全員婚)だったように思います。
このように考えると、自然発生的な充足発の婚姻(全員婚、兄弟婚)から、次第に他集団との関わりを意識するようになったことで族外婚が推奨される段階が有ったのだろうと思います。集団間の充足期待を実現する為の他集団との交流、交歓が族外婚へと向かうきっかけだったと思います。
なお、こうした族外婚の推奨と、現代的な近親婚のタブーは、実は全く異なるものではなかろうかと思います。その様に思えるのは、婚姻があくまで集団の統合期待であったことに対して、その後の私権時代では位階や財産を継承する正当性の根拠づけの為に行なわれる政略結婚など、権力の収奪に婚姻が利用されていくなどしているからです。
言い換えれば、これまでの自然と充足に根ざした婚姻が、次第に集団統合の様式(若しくは規範)に変わっていく過程と、更にその何年も後で私権の実現のために婚姻(制度)を利用するという別の過程がある、と言うではなかろうか、と思います。近代以降は、個人が原点となり、個人が社会的に自立すること=家族や兄弟からも自立することを是とする規範が近親相姦のタブーを深く植えつけたと考えられます。
以上見てきたように、私権時代の終焉を迎えた現代においては個人を絶対とする婚姻様式は制度と人の意識がマッチしていないように思われます。
それではどうすればいいのでしょうか?
その問題を解決するには、現代における婚姻に対する大衆の最大期待がどこにあるのか掴み、その応えを導く必要があります。その為には認識が必要です。今回紹介したように、個人的な価値観を取り払って、なんで?思考(昔は上手くいっていたのはなんで?等)によって歴史事実を広く深く追求する必要があります。これまで以上に追求力、認識力の求められる時代です。今年もこのブログを通して様々な追求をみなさんと重ねて、追求力、認識力を磨いていきましょう!
- posted by miyashow at : 2014年01月05日 | コメント (0件)| トラックバック (0)
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