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2021年02月11日

支配から自主管理へ-4

前回、自主管理社会へ転換する記事を紹介させていただいたが、その中で

「権力体から共同体への転換は、簡単に実現する。その場合のネックは唯一つ、成員の集団統合能力の貧弱さであり、逆に言えば、集団統合の能力育成こそが、次なる最大の課題となる。」

という課題が浮かびあがった。これまであまり注目されていなかったが、いわば人間力のあるものが重要となる。置かれた状況をいかにひろく深く察知できるか、いかに最適な方針を打ち出せるか、いかに合意形成を円滑に図れるかが問われる。

そういう先端の課題に先立って、どのように育ってきたか、人に対して、社会に対して肯定視しているのかが決定的に重要で、それがここでいう能力を規定するようだ。

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これから求められる思考能力、観念能力とは?

来るべき大転換の時代は、こうしたテクニックやスキルのレベルでは生き残れない。もっと深い思考が求められる。経営者であればなおさらである。
根本的な思考能力、観念能力について考えなければならない。

そもそも人間の思考能力、観念能力とはどのようなものなのか?
人類は、いつどのようにして「観念機能」を獲得したのか?
原点に遡って考える必要がある。
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●実現論 前史 人類:極限時代の観念機能 リンク
足の指が先祖返りして、それ以前の獣たちと同様、足で枝を掴むことが出来なくなったカタワのサル=人類は、樹上に棲めるという本能上の武器を失った結果、想像を絶する様な過酷な自然圧力・外敵圧力に直面した。そこで、本能上の武器を失った人類は、残された共認機能を唯一の武器として、自然圧力・外敵圧力に対応し、そうすることによって、共認機能(≒知能)を更に著しく発達させた。

極限状況の中で、人類は直面する現実対象=自分たちを遥かに超えた超越存在たる自然を畏れ敬い、現実対象=自然に対して自分たちの生存(=危機からの脱出)への期待を込め、自然が応望してくれる事を切実に願った。つまり、人類は直面する過酷な現実対象=自然を凝視し続ける中で、元来は同類を対象とする共認機能を自然に対して作動させ、自然との期待・応望=共認を試みたのである。そして遂に、感覚に映る自然(ex. 一本一本の木)の奥に、応望すべき相手=期待に応えてくれる相手=精霊を措定する(=見る)。人類が万物の背後に見たこの精霊こそ、人類最初の観念であり、人類固有の観念機能の原点である。直面する現実対象(例えば自然)の背後に精霊を見るのも、物理法則を見るのも、基本的には全く同じ認識回路であり、従って精霊信仰こそ科学認識=事実認識(何なら、事実信仰と呼んでも良い)の原点なのである。
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人類の観念機能の原点は、始原人類の精霊信仰にあり。
最も注目すべき点は、「自然、対象物を単なるモノではなく、意識(意思、魂)のある共認対象として見ている」ことにある。

他の動物でも(簡単な)道具を使ったりするが、あくまでモノはモノとして認識しているだけ。
しかし人類はそこが根本的に異なる。自然や対象物にも意思や魂があり、自分たちと同じ共認存在=期応存在として認識している。
だからもっと充足し合うために、全身全霊で感謝、応望し、また期待し活かし役立てようとする。
そのためには対象をよく知る必要があり、対象の本質や構造に迫るべく追求することになる。
そのたゆまぬ追求の塗り重ねが、人類の観念機能を発達させてきた。これが人類史の事実構造。

ひるがえって、我々現代人の思考、追求のありようはどうか。
確かに情報、知識、技術などは増えた。しかし「全身全霊で対象に同化する」という次元で、始原人類と比べて全くもって追求が浅いことを思い知らされる。現代人は頭の先っぽだけでしか考えていないのではないか。

これには、現代人は日々膨大な情報の中での仕事や生活を迫られているという事情もあるだろう。
※情報中毒による追求力の異常な低下とその突破口 リンク

当然ながらマスメディアの影響も大きい。
※テレビが考える時間を奪う リンク

また試験制度に慣らされた学校教育の問題もある。(仕事における「スキル」と言われているものも、試験の思考法の延長にすぎないものが多い)
※試験制度の問題性はどこにあるのか? リンク

いずれにせよ、我々が陥っているこのような浅い思考の習慣から脱却を図らねばならない。

現代でも、発想が豊かな人、切り口が鋭い人、追求力が凄まじい人、創造的な人は存在するが、概ねそのような人は「強靱な潜在思念」「全身全霊で対象に同化するエネルギー」、つまり観念原回路(精霊信仰回路)をフル作動させているように感じられる。

今の時代はかつてなかったような大転換期である。
小手先の思考やスキルでは答えを出せない。大胆な発想と仮説構築、強靱で柔軟な思考が求められている。
あらためて始原人類に想いをはせ、「全身全霊で対象に同化する」ことを原点とした思考能力、観念能力を取り戻す必要があるだろう。

※思考次元1 潜在思念の実践思考 リンク
「原始人以来の(動物にも備わっている)本源的な思考様式で、主に、感応(本能⇒共認)回路をもって現実を対象化し、答え=可能性を模索する。生命体の認識機能には、食欲や性欲etcの欠乏を感じる内識機能と、それを充たす為の視聴覚をはじめとする外識機能がある。答えとは、課題の実現経路であり、実現経路とはこの内部意識と外部認識がイコールで結ばれた回路である。答えを発見すると同時に全主体(=感応回路)はそこ(=実現経路)に可能性収束するが、それはある開かれた(=答えを見出した)欠乏意識とある開かれた対象認識がイコールで結ばれて共に強化される過程=その実現経路が強化される過程=その様な主体(実現回路)が強化・形成される過程である。従って、欠乏意識(内的認識機能)と状況認識(外的認識機能)を結ぶ実現回路こそ主体の中核(先端主体)であり、この実現回路こそ思考の先端中枢である。」

※思考次元3 本能⇒共認⇒観念の超越思考(構造認識)リンク
「超越存在たる社会の構造に起因する危機や課題は、超越思考(構造認識)によってしか、把握することも解決することも出来ない。この構造思考の母胎を成すのは、実践思考の実現回路である。事実、構造思考の求める答えとは、内部意識(欠乏や危機や課題)と状況認識をイコールで結ぶことのできる実現回路を開くことであり、その実現回路が内部意識と外部認識の相方を強化・変容させることも含めて、思考の基本構造は実践思考と同じである。しかし、実践思考が主要に潜在思念を使う(内部意識も外部認識も)のに対して、簡単に実践できない⇒答えが見出せないが故に必要になる構造思考では、潜在思念の紡ぎ出す構造観念(主体や状況を構造化した観念)を使う。この普遍妥当する構造観念という位相は、社会(超越存在)を対象とする限り、必然的に求められる認識位相である。」

 

 

 

 

 

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