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2021年2月18日

2021年02月18日

支配から自主管理へ-5

前回は、来るべき自主管理体制の社会において、どのような能力が求められるか紹介した。とはいえ、そういう能力を身につけるにはどうしたらいいのか?

もはや、学校にそれを期待している人はいないだろう。かといって自力でそれが身につくとも思えない。カギは仲間。そういう場で心を開きとことん熱中する。それは自己満足の次元ではなく、仲間が全員、満ち足りた状況になるにはどうするかという意識を持つことが芽生える。一見、子どものことのように感じられるが、実は何歳になってもこういう根本的な充足感が自主管理の原点であり、能力を培う仕組であるようだ。

そのような記事を紹介したい。

(さらに…)

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2021年02月18日

恋愛観念は、日本にどのように広まっていったのか?~2~

前回の記事では、大正時代に「恋愛」「純愛」を教え広めたのは、「新聞」「ラジオ」「映画」という洗脳機関ということに焦点を当てましたが、今回はさらにその背景の構造に踏み込みたいと思います。
理由は特定の洗脳機関や作家の仕業というだけではなく、西洋発の華やかな市場化の進展と、恋愛観念を作り広めた文化人というものに共通する構造があると思われるからです。

当時、市場化によってお金の圧力が高まり、競争の結果として貧富の差(勝者と敗者の差)が生まれて、結婚は「顔(女)」と「金(男)」の交換取引のような功利的な面があらわれてきます。
そういう見苦しい現実に対し、非現実の「恋愛」「純愛」は現実を美化する働きがあり、補完する関係にあるものと考えられます。

明治末に完成した「家」制度の下では、資産の所有権と結婚を決める権限は家長(オヤジ)にあり、家と家長の状況次第で子の運命は決まってしまいます。どこまで裁量できるかはお金次第という訳です。
この状況下で家が決めた事に子に納得がいかない場合、子には反「家」的な自我が生まれますがどうしようもありません。
そこに恋愛の根っこがあり、ある特定の異性だけを美化して「この相手しかいない」「それは何よりも大切な事」と思い込む事で、恋愛が成立するわけです。

しかし、こういう「思い込み」は自然発生的にできるものではなく、恋愛小説や映画などによる疑似体験での強い共感充足によって、「思い込みの脳回路」が形成されて初めて可能になります。
この疑似体験を使って感化する手法は、ヨーロッパで開発された手法で、明治~大正時代の文化人(小説家や画家、音楽家、大学の先生)たちは、ヨーロッパ文化に(強く感化されて)これを学び、翻訳するだけでなく、(それは何より大切と思い込んでいるので)より強力な共感が得られるよう丹精をこめて日本風に焼きなおして発表し、広めていったものと思われます。

また、小説や映画は(当時としては新しい)印刷技術や映像技術によって広まるわけですが、ヨーロッパのルネサンス初期の小説の発祥と印刷技術の開発がセットであったのと同様に、明治から大正に掛けて輸入され、新聞は朝日、毎日、読売が100万部を突破していきます。

このような動きは一見バラバラに見えますが、日本への(戦争)資金の供与(借金)と、文化の育成というものが、西洋発の(金貸し発の)市場化への戦略であったと捉えれば、以下のように繋がります。
これは、西洋側からすれば、日本に戦争圧力を掛けてお金を貸付、日本をお金第一の功利的な社会にしていくとともに、一方で「西洋文化」というものを供与してやりさいすれば、(日本は自ら学んで)華やかな市場が出現するという構造です。

華やかな市場が出現

文化(人)の育成 → 見苦しい現実を美化 → 恋愛の刷り込み
↑↑        ↑           ↑↓
市場拡大の圧力 → 功利的な社会へ → 共認非充足と自我の発生

★大正時代は、国家による教育勅語的な洗脳と並行して、西洋発の市場化戦略の洗脳が急速に進展し、その勢いが一時的に上回った時期であったようです。

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