2022年09月11日
縄文人の世界観~万物の命の巡り、命の再生が自然の摂理1
前回の記事では縄文時代の「祭り」について、その本質は何かを考察しました。
縄文時代、「祭り」は、自然をはじめ万物と同期し、また仲間とも同期して全てが一体となり、大きなエネルギーを生み出す場。その中心に男女の性があり、新たな命を生み出す時であったことは、ごく最近まで多くの祭りに見られる共通項であり、現代人でも想像に難しくありません。
先日「実現塾」にて縄文時代の世界観とはどのようなものかを追求し、非常に気付きがありました。今日はそれを紹介したいと思います。
『月と蛇と縄文人(著者:大島直行)』を参考にしながら縄文時代の世界観を見てみます。
【月】
月は形を推移させながら、約28日ごとに消滅し、3日間の闇ののちに再び立ち現れる。このような月を、縄文の人びとは再生の象徴と考えたようだ。同時に月は干潮、満潮に代表されるように、生命の源である水を司る大元でもある。
【蛇】
蛇は何度でも脱皮を繰り返しながら、或いは冬眠を行い、そのたびに再生する「蘇り」の象徴である。また蛇は男根に喩えられ、月から命の水を運ぶものとして意識された。そして蛇が交尾の際に絡み合う姿は、縄とそっくりであり、縄も生命エネルギーを象徴するものとして捉えられていた。
【縄文土器】
特徴は文字通り「縄の文様」が施されていることにある。縄とは上述するように交尾する蛇を表したものである。底が尖っている土器もかなりあり、これは実用性という観点からはかなり不便に作られている。かつ過剰とも言えるほど装飾が施されている。
始原人類は万物と一体化し、眼に見えない万物の背後にあるもの=生命エネルギーを捉えていました。上記の考察からうかがえる縄文人の世界観は、万物の命を捉え、その命は姿形を変えて、巡り巡って再生している、循環していることを物語っているように思えます。
その世界観にたつと、生と死という概念も無かったと思われます。月が形を変えるなかで新月になっても月が死んだとは思わないように、また蛇が脱皮しても蛇が死んだと思わないように、死ぬというのは、別の姿形となって新たな生命に生まれ変わる過程。万物と一体化し、万物の生命の循環を捉えていたからこそ立脚できる世界観ですね。現代の死生観とは全く違います。
命の巡り、生まれ変わりこそ自然の摂理そのものと捉えていたのでしょう。故に、その再生の象徴である月や蛇が縄文人にとって象徴となり、男女の性は集団の生命エネルギーの象徴となっていた。最も高揚する満月のときに祭りがおこなわれ、性=命を解放していたのでしょう。
次も引き続き縄文の世界観をみていきます。
- posted by kida at : 2022年09月11日 | コメント (0件)| トラックバック (0)
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