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2012年10月9日

2012年10月09日

日本婚姻史に学ぶ共同体のカタチ シリーズ2‐⑤「原初の社会空間(まつり場)は充足発で形成された!」

よく、欧米に進出した企業が膨大な契約書に悩まされるといいます。欧米人は、契約書に書かれてないことは、それぞれが自分に都合の良い様に解釈してトラブルになるため、考えられる全てのことを記載する必要があるのです。
逆に日本では、契約は曖昧にしておき、問題が起きるとその場その場の状況に応じて解決しようとする傾向があります。これは日本人が何か問題があったときに、他の集団の人であっても、お互いに良心的に前向きに協力できると信頼しているからです。
このような違いはどこからきているのでしょうか?
今回の記事では、人口が増大し、初めて集団と集団が接するようになった縄文時代にさかのぼって、日本人の原点にある集団と集団との関係性について考察したいと思います。

前回の記事、「縄文の源流をタヒチにみる ~性は日常・性は充足~」  では、タヒチのように自然が豊かで食料に恵まれた地域では、同類や自然を同化・充足の対象として肯定視しており、同類は常に充足の源であり、同じ人類である他民族にも警戒心が全くない様子を見ました。
そんな彼らにとって最大のみんな期待は、共認充足(その中心は性充足)を高めることであるため、性は日常であり、性の追求→充足が周りに対する最大の喜びであり、活力源でした。
気候風土が豊かで、略奪闘争を経験していない縄文時代前期~中期の婚姻様式<兄弟婚>も、おそらくタヒチと同じように、分け隔てなく性が開かれ、集団みんなで性を共有し、充足と活力にあふれていたと思われます。
そんな自然や仲間を肯定視した集団が、初めて他の集団と接するようになった時に、どのように集団と集団の関係を形成していったかを追及していきます。
応援よろしくお願いします。

(さらに…)

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